百田尚樹をぜんぶ読む 第18回

『影法師』

藤田直哉×杉田俊介
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ベストセラー作家にして敏腕放送作家。そして「保守」論客。作品が、発言が、そしてその存在が、これ程までメディアを賑わせた人物がかつて存在しただろうか。「憂国の士」と担ぎ上げる者、排外主義者として蛇蝎の如く嫌う者、そして大多数の「何となく」その存在に触れた人々……。百田尚樹とは、何者か。しかしながら、その重要な手がかりであるはずの著作が論じられる機会、いわば「批評」される機会は思いのほか稀であった。気鋭の批評家と文芸評論家が全作品を徹底的に論じる。

 

【杉田】今度は時代劇です。勘一と彦四郎という二人の武士の、青春とその顛末を描いています。

 僕個人としては、三〇歳前後の『錨を上げよ』以来の「男らしさとは何か」「男にとって愛とは何か」という弁証法的展開の、これは一つの決着であり、一つの終着点ではなかったか、と考えています。それが男同士の「殉愛」という倫理ですね。日陰者の無名の人間として、誰にも認められず汚名を背負っても、自分の親友の天命的な仕事を支えると。そういう生き方が「男」の究極の理想として、『影法師』の段階で描かれるに至った。

 勘一の方は、下級武士から筆頭家老にまでのぼりつめて、新潟の大坊潟(だいぼうがた)の干拓・開発を一生の事業にしようとします。他方の彦四郎は、勘一の竹馬の友であり、学問も剣の腕も、藩内に敵う者はいないほどの天才的人物です。ダブル主人公という意味では『ボックス!』を思わせます。実際に、『影法師』はある意味で『ボックス!』のやり直しとしても読める。生き方の探究が『ボックス!』では曖昧なまま終わってしまったから、武士の生き方を通してそれをあらためて試行錯誤した。

 しかし彦四郎は、その後、「卑怯傷」を負って人生が転落し、さらなる不始末を重ねて、藩を追われることになります。それはなぜか。そのことを、数十年後に、今や成功者となった勘一が思い出し、惨めに死んだ友の人生の真実を知る、という物語の構造になっています。優れた武士でありつつ、卑怯者の汚名を負って死んだという意味では、『永遠の0』の主人公にも似ています。

 勘一は物語の最後に、実は親友の彦四郎に、子どもの頃から何度も何度も生かされてきた、という事実に気づきます。しかしそのことを長い間忘れていた。というか、何度も助けられながら、それに気付くことができなかった。ちょっとした偶然がなければ、死ぬまで気づけなかったかもしれない。その悲しみと後悔の感覚には、人生にとって重要な何かがあると僕は思う。

Graphs / PIXTA(ピクスタ)

 彦四郎は見返りを求めず、友達を陰で支えながら、黙って若い日の約束を守ろうとするんですね。たとえ友がそれを忘れていても。世間ばかりか、その友からすら馬鹿にされ、笑われていても。そういう生き方を一つの理想として提示した。それは『永遠の0』の宮部久蔵が、自分の命を擲って別の誰かを生かした、という行動にまで遡りうるものでしょう。

 もちろんその男の殉愛という倫理観の是非は、微妙でもある。たとえば安倍晋三が最初に読んだ百田作品は『永遠の0』ではなく『影法師』だったんですね(『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』参照)。それで感銘を受けて(まあそれがどこまで本当かどうかも微妙ですが)、作家としての百田に注目しているんですね。

 安倍晋三が第一次安倍内閣の時に悲惨な退き方をして、周りからはバカにされ、いわば憐れみの眼で見られていた。百田尚樹はその段階で、政治家としての安倍晋三を応援する論文を書いている(「さらば!売国民主党政権」、「WiLL」二〇一二年九月号)。だから自分の小説である『影法師』の勘一と彦四郎の関係を、百田は安倍晋三と自分の関係の中で現実的に演じるというか、生き直そうとしたのではないか、とも考えられる。フィクションと政治がメビウスの帯のようにねじれています。

 政治的に現実を変えようとする誰かのために、自分が滑稽な笑いものになっても、それを支えるという生き方を、安倍晋三との関係において見出してしまったのではないか。たとえ「騙されたがっている」だけだとしても。それが『影法師』という小説の奇妙な運命だった気がします。

 

【藤田】それは面白い指摘だと思いますね。世間から日陰者と言われる存在が、じつは自己犠牲的に何かを支えていた。そういうことが判明して、ネガティヴな評価がひっくり返っていく。それが百田尚樹の小説の基本パターンですよね。それは『永遠の0』と『影法師』に共通しています。

 

【杉田】百田尚樹は若い頃からの何十年にも至る、男としての生き方や自己嫌悪との葛藤の末に、『影法師』的な「殉愛」の倫理を見出したんだけど、それがゆえに、彼は安倍晋三政権と結託し――しかも騙したのか、騙されたのか、騙されたがっていたのか、それもよくわからないような形で――、歴史修正主義的な差別主義者として自己実現してしまった。

 だとすれば、皮肉というか、滑稽というか、喜劇というか……。殉愛を理想としたがゆえに、ヘイト的保守になってしまった、という面すらあるのかな。

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ベストセラー作家にして敏腕放送作家。そして「保守」論客。作品が、発言が、そしてその存在が、これ程までメディアを賑わせた人物がかつて存在しただろうか。「憂国の士」と担ぎ上げる者、排外主義者として蛇蝎の如く嫌う者、そして大多数の「何となく」その存在に触れた人々……。百田尚樹とは、何者か。しかしながら、その重要な手がかりであるはずの著作が論じられる機会、いわば「批評」される機会は思いのほか稀であった。気鋭の批評家、文芸評論家が全作品を徹底的に論じる。

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プロフィール

藤田直哉×杉田俊介

 

藤田直哉
1983年生まれ。批評家。日本映画大学専任講師。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『娯楽としての炎上』(南雲堂)、『虚構内存在:筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』、『シン・ゴジラ論』(いずれも作品社)、『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)などがある。朝日新聞で「ネット方面見聞録」連載中。文化と、科学と、インターネットと、政治とをクロスさせた論評が持ち味。

 

杉田俊介
1975年生まれ。批評家。自らのフリーター経験をもとに『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)を刊行するなど、ロスジェネ論壇に関わった。20代後半より10年ほど障害者支援に従事。著書に『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書)、『無能力批評』(大月書店)、『長渕剛論』『宇多田ヒカル論』(いずれも毎日新聞出版)、『ジョジョ論』『戦争と虚構』(いずれも作品社)、『安彦良和の戦争と平和』(中公新書ラクレ)など。

 
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