百田尚樹をぜんぶ読む 第19回

『錨を上げよ』

藤田直哉×杉田俊介
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ベストセラー作家にして敏腕放送作家。そして「保守」論客。作品が、発言が、そしてその存在が、これ程までメディアを賑わせた人物がかつて存在しただろうか。「憂国の士」と担ぎ上げる者、排外主義者として蛇蝎の如く嫌う者、そして大多数の「何となく」その存在に触れた人々……。百田尚樹とは、何者か。しかしながら、その重要な手がかりであるはずの著作が論じられる機会、いわば「批評」される機会は思いのほか稀であった。気鋭の批評家と文芸評論家が全作品を徹底的に論じる。

 

【杉田】これは『永遠の0』による小説家デビューの二〇年ほど前、つまり三〇歳前後(二九歳~三一歳)に、習作的に書かれた長編小説です。現存する限りは、事実上の最初の小説ということになります。原稿用紙に手書きで二四〇〇枚。小説家としての百田の原型を示す作品とも言えます。本人は「自伝的な要素が強い」、そして「私はひそかに『自身の最高傑作』だと思っています」(『永遠の一冊』)と言っています。それくらい思い入れの強い作品だということでしょう。

 冒頭にゲーテの『ファウスト』の引用があります。正確には『ファウスト』から引用した文章を批判している。『錨を上げよ』は、百田流の成長小説、教養小説(ビルドゥングスロマン)なんですね。ただし、正確に言うと、これはアンチ成長小説です。つまり、本当は成熟して、成長しなければならないのに、全く成長のできない男の物語。ひたすら成長しようとあちこちを遍歴し放浪するんだけど、結局全く成長できずに、同じところへ戻ってくる。ダメでクズの自分であり続ける。しかも二四〇〇枚に渡って。そういう異形の作品です。

 「自伝的な要素が強い」のと同時に「ピカレスクロマン」(悪漢小説)であるとも言っていて、主人公像は中上健次やブコウスキーのような、性的にも暴力的にも荒れた感じです。大阪の暴れ者であり荒くれ者、という感じでしょうか。女性が次々と出てきて、やたらとモテるんだけど、肝心の好きになった女の子の前ではガチガチになって、相手にされず、ふられてばかり。色々な女性と付き合うんだけど、「俺は真実の愛に目覚めた!」と感じたと思えば、すぐに不満になって、「裏切られた」という被害者意識に陥っていく。そういうことが結構うんざりするほど単調に、あまり物語の起伏もなく、延々と延々と、ひたすら反復され続けます。しかし、まったく成長していない(笑)。この成長のできなさが驚きですね。

 あと、ついでに言うと、「自伝的要素が強い小説」と言うんだけど、すでに歴史修正小説のようなところがあります。同志社大学を中退したとか、テレビ局で放送作家になったとか、年譜的事実と一致する面があるんだけど、明らかに主人公のキャラクターは百田自身とは思えない面が多々ある。めちゃくちゃ喧嘩に強かったり、アウトロー的な生き方をしていたり。

 つまり、本当の百田自身と、劇画マンガのキャラクターがキメラ的に融合したような感じ。これを「自伝的」と言えてしまうのは、どういう神経なんだろうか。ちょっとおかしい。つまりこれは「歴史修正小説としての自伝」なんですね。単純に不思議ではありますが、その点も含めて百田っぽいのでしょう。

 

【藤田】ケンカのところとか、怪しいですよね(笑)。編集者は、これは自伝ではない旨を文章でにしています。

 

【杉田】これを読む限りは、特別な愛国者ではないし、排外主義者でもない。弱者差別みたいなものもありません。ただ、明らかに、左翼嫌い、アンチ左翼のマインドはこの時点ではっきりとある。それから屈折したミソジニーもある。左翼嫌いと女性嫌悪、それが百田の原型的な欲望なのだろう、ということはわかった。ただ、それが排外主義やレイシズムにはまだ結びついていない。

 

【藤田】これが最高傑作である、という百田尚樹の自己評価は間違っていない、と僕も思うんですよ。百田の全作品の中でこれがいちばん好感が持てるし、読み応えがあった。自伝的な作品なので、自己相対化もあるし、なぜ彼がそういう考えを持つにいたったのか、その経緯が分析されている。差別感情やステレオタイプな保守的思想もあまり出てこない。

 生まれ故郷の大阪の街も、しぶとい生命力をもったゴキブリのようなもの、と表現されていて、自分はお上品な上方のような理念や理想を重視する人間ではない、とはっきり言っています。「大阪くらいしたたかな生命力を持った町はない。まるで巨大なゴキブリだ」(p.9)。自分の考え方はそこをベースにしていると。

Graphs / PIXTA(ピクスタ)

 つまりこれは、大阪の下町の貧しい人間が、大学や色々な職場を遍歴する小説ですよね。それは同時に、ゲーテ的なビルドゥングスロマンの脱構築でもある。プルーストの話も出てきますね。『失われた時を求めて』ではマドレーヌの菓子のような高級なものが記憶を誘うが、自分の場合は「宿便」なんだ、という対比の表現が、本書の意図を示しますよね(笑)。

 自分が好きなのは一九世紀の小説だ、と百田は言っています。新左翼のごちゃごちゃした関係を描くところはドストエフスキーの『悪霊』を意識していたでしょう。つまり、一九世紀の巨大な長編小説を意識して書いているんだけど、まったくそうはならない(笑)。

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ベストセラー作家にして敏腕放送作家。そして「保守」論客。作品が、発言が、そしてその存在が、これ程までメディアを賑わせた人物がかつて存在しただろうか。「憂国の士」と担ぎ上げる者、排外主義者として蛇蝎の如く嫌う者、そして大多数の「何となく」その存在に触れた人々……。百田尚樹とは、何者か。しかしながら、その重要な手がかりであるはずの著作が論じられる機会、いわば「批評」される機会は思いのほか稀であった。気鋭の批評家、文芸評論家が全作品を徹底的に論じる。

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プロフィール

藤田直哉×杉田俊介

 

藤田直哉
1983年生まれ。批評家。日本映画大学専任講師。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『娯楽としての炎上』(南雲堂)、『虚構内存在:筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』、『シン・ゴジラ論』(いずれも作品社)、『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)などがある。朝日新聞で「ネット方面見聞録」連載中。文化と、科学と、インターネットと、政治とをクロスさせた論評が持ち味。

 

杉田俊介
1975年生まれ。批評家。自らのフリーター経験をもとに『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)を刊行するなど、ロスジェネ論壇に関わった。20代後半より10年ほど障害者支援に従事。著書に『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書)、『無能力批評』(大月書店)、『長渕剛論』『宇多田ヒカル論』(いずれも毎日新聞出版)、『ジョジョ論』『戦争と虚構』(いずれも作品社)、『安彦良和の戦争と平和』(中公新書ラクレ)など。

 
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