「自由」の危機 第5回

学問の危機の行方

―自民党PT「日本学術会議の改革に向けた提言」批判―
佐藤学(さとうまなぶ)

集英社新書編集部では、「自由の危機」と題して、いま、「表現の自由」「学問の自由」「思想信条の自由」「集会の自由」など、さまざまな「自由」が制限されているのではないか、という思いから、多くの方々にご参加いただき、広く「自由」について考える場を設けました。本企画の趣旨についてはこちらをご覧ください。 

コロナ禍という特殊事情もあり、「自由」はますます狭められているように思います。こうした非常時の中では、それについて考える余裕も奪われていきますが、少し立ち止まって、いま、世の中で起きている大小さまざまな「自由」の危機に目を向けてみませんか? それは、巡り巡ってあなた自身の「自由」に関わってくるかもしれません。


 

第5回 佐藤 学 学問の危機の行方
―自民党PT「日本学術会議の改革に向けた提言」批判―

「日本学術会議新会員任命拒否問題」での議論の紛糾を受けて、自民党は昨年12月に「日本学術会議の改革に向けた提言」を公表しました。しかし、この提言の内容をよく読んでみると非常に多くの問題点が含まれていると、教育学者で元日本学術会議第一部部長の佐藤学さんは指摘します。

佐藤さんによれば、現行の日本学術会議は世界的にも優れたアカデミーとしての性格を有しているにも関わらず、自民党改革案が実行に移されればその要件をことごとく失うことになるといいます。自民党による「提言」の問題点はどこにあるのでしょうか。そして、その背景にある政治的思惑とはいかなるものなのか、分析して頂きました。


 

自民党による改革案提出までの経過

菅義偉首相は、日本学術会議が2020年10月3日に提出した「要望書」の2項目(任命拒否の理由説明と6人の速やかな任命)にまっとうに対応しないまま10月14日、自由民主党政務調査会内閣第2部会に「政策決定におけるアカデミアの役割に関する検討PT」(以下、自民党PT)を組織した。自民党PTは6回の「有識者ヒアリング」を経て12月9日、「日本学術会議の改革に向けた提言」(自民党PT「提言」)をまとめ、15日に菅首相に提出した。「提言」は「おおむね一年以内に具体的な制度設計を行い、すみやかに必要な法改正を行った後、現行日本学術会議第25期の任期満了時(3年後)を目途に新組織としての出発が望ましい」と結んでいる。

自民党PT「提言」の論理は巧妙である。「民主的正統性(legitimacy)」を担保する政治(決断)と、学術的正当性(rightness)を担保するアカデミア(エビデンス)の連携」を求めて「政治からの独立」を掲げつつ、その活動については政府がより強く統制する組織に改編するという「提言」になっている。「独立性」を組織形態で実現しつつ活動の「独立性」を破壊するというアクロバティックな論理である。「提言」は、「ブダペスト宣言」(1999年)にも言及。日本学術会議の声明にあった「科学者の行動規範」、総合科学技術会議や有識者会議などの文書の文言である「知の源泉」「世界の中のアカデミー」「俯瞰的・学際的」などの美辞麗句で粉飾している。しかし「提言」の本質は「改革」にはなく「つぶし」にあり、「政策のための科学(Science for Policy)」によって日本学術会議を政府に隷従させ、ひいては学問全体に権力が介入する道筋を準備している。

他方、日本学術会議の梶田隆章会長(東京大学卓越教授)は、12月16日、「要望書」への対応をひき続き求めつつ、井上信治担当大臣に自主改革案「中間報告」を提出した。「中間報告」は、ナショナルアカデミーの5要件として、「①学術的に国を代表する機関としての地位、②そのための公的資格の付与、③国家財政支出による安定した財政基盤、④活動面での政府からの独立、⑤会員選考における自主性・独立性」を明記している。自民党PT「提言」と日本学術会議幹事会「中間報告」は、大きな溝をはさんだ平行線のように対峙している。この溝が埋まることはないだろう。長期戦である。

 

自民党PT案の構造

自民党PT「提言」は、「組織のあり方」として「独立した法人格を有する組織」、「提言機能」については「シンクタンク機能」と「プロジェクト・ベース」の活動、「会員および選出方法」については会員・連携会員の区分廃止ならびに会員数と分野別会員数の是正、さらに「第三者機関」「指名委員会」など外部推薦を含むコ・オプテーション方式(会員が新会員を推薦し選考する方式)、「財政基盤」については当面は「運営費交付金等」、将来は「自主的な財政基盤」を求めるという骨格で構成されている。組織形態としては政府から切り離して「科学の独立性・政治的中立性」を実現しつつ、会員選出と活動内容は政府の直接的統制のもとに組み込み、財政的に政府・財界の誘導を行うシステムが構想されている。

「提言」による改革が行われるならば、日本学術会議はあとかたもなく壊され、「似て非なるもの」として新しい「日本学術会議」が創出されるだろう。「提言」は、「改革」によって「世界の中のアカデミー」に昇格するかのように記述しているが、「改革」が行われると、日本学術会議はアカデミーの要件をことごとく失うことになる。なぜ、そう断言できるのか、以下、その根拠を示すこととしよう。

自民党PT「提言」の中心概念は「政策のための科学」である。「政策のための科学」は、「ブダペスト宣言」が唱えていた「社会のための科学」という文言のすり替えである。「ブダペスト宣言」は、1999年に国際科学会議(世界の科学アカデミー連合体)とユネスコの共催で開かれた世界科学会議で採択された宣言であり、「社会のための科学」を追求する「科学者共同体」の「社会的責任」を提唱し、一つの方策として科学者と政策決定者の連携を要請していた。その理念を示す「社会のための科学」が「提言」では「政策のための科学」にすり替わり、政府の求める活動が日本学術会議の中心的役割にされている。

「政策のための科学」という目的によって、会員組織と活動内容と会員選考は現行とは異なるものとなる。自民党PT「提言」における会員組織は、現在の会員(210名)、連携会員(約2,000名)の区分を廃止した「シンクタンク」としての人材ストックへと変化する。会員数に関しても2020年12月1日現在は第一部(人文・社会科学64名〈欠員6名〉)、第二部(生命科学〈医学を含む〉69名)、第三部(理学・工学71名)であるが、「科学者総数の割合(人文・社会科学11.5%、生命科学19.9%、理学・工学68.6%)」に応じた数が好ましいとされ、「全研究者の6割を占める企業・産業界の研究者、実務者」からも多数を会員にすることが求められている。

「提言」どおりに会員数を組織すると、210名の会員数が維持されたとしても、人文・社会科学の会員は70名から24名に激減し、生命科学(医学を含む)も70名から40名になり、理学・工学が70名から144名(その多くが工学)へと変化する。「提言」が主張する「全研究者の6割を占める企業・産業界の研究者」を考慮すれば、人文・社会科学の会員数はさらに減少するだろう。

今日、科学技術と医療に関する政策課題に限定したとしても、それらは経済、社会、政治、倫理の学問的知見と統合されて初めて現実的効果を発揮する。経済、文化、教育、福祉など社会政策に関してはなおさらである。工学研究に限定してみても、世界の最先端を拓いているマサチューセッツ工科大学の教授の4割近くは人文・社会科学の研究者である。現代において先進的な工学研究は、人文・社会科学と融合しているのである。「提言」の想定する工学中心のアカデミーが「社会のための科学」からかけ離れてしまうことは必至だろう。

さらに「みなし公務員」(公務員扱いの職)ではない会員は「シンクタンク」のストックでしかなく、政府の「必要に応じて」会員が「テーマ別プロジェクト」に参加することとなる。こうなると省庁直属の審議会と同様になり、もう一方では政府主導の「プロジェクト」の委託研究組織になる。「政策のための科学」は、日本学術会議の活動全体を政府に隷属させる概念なのである。

科学と学術を統制しようとする政府の欲望には背景がある。日本の科学技術政策は2005年以降、5年ごとの科学技術基本計画を中心に遂行されてきた。第5期科学技術基本計画(2016年―2020年)の総予算は約26兆円であった。日本学術振興会の科学研究費(通称「科研費」)の総額は毎年約3,000億円である。科学技術基本計画の予算は「科研費」と比べようがないほど巨額である。現在、政府は2021年度から開始される第6期「科学技術・イノベーション計画」を作成中である。「科学技術・イノベーション計画」の巨額の資金で学問をトータルに支配することが、日本学術会議を改組し政府に隷属させる目的であると推察してまちがいないだろう。

政府の統制を強めるあらゆる手立てが、自民党PT「提言」には組み込まれている。「役員並びに新組織発足時の会員を指名」し、会員選考にも外から介入する「指名委員会」、会員推薦を行う「第三者機関」、活動と財務を「評価・監督」する「評価委員会」と「外部レビューワー制度」などである。さらに「提言」は、政府と日本学術会議が密に連携する「パートナリング制度」、「フェローシップ制度」も提案し、政府と日本学術会議の「政策共創能力を高める努力」が強調されている。

財政基盤についても「政策のための科学」は一貫している。自民党PT「提言」は当面は「運営費交付金等」に依存させるが、「政府や民間からの調査研究委託による競争的資金の獲得」と「民間からの寄付等」によって「自主的な財政基盤」を強めることを求めている。資金によって政府と財界の要請に誘導する仕組みである。この財政基盤の仕組みは、内閣府に置かれている現在よりもはるかに、政府の誘導と統制を容易にするだろう。

 

アカデミーとしての日本学術会議

自民党PT「提言」は「世界の中のアカデミー」の国際基準に到達することを謳っているが、現実にはむしろ「改革」によって日本学術会議は「アカデミー」の性格を喪失してしまう結果になるだろう。

アカデミーとしての性格を国際的に比較すれば、現在の日本学術会議は世界最上の組織と活動で特徴づけられると断言できる。現代におけるアカデミーの在り方は「ブダペスト宣言」(前述)に最もよく表現されている。「宣言」を採択した当時の国際科学会議会長は日本学術会議の吉川弘之会長であった。吉川会長は日本学術会議法(2004年改正)の制度設計で中心的役割をはたした。「社会のための科学」を「科学者共同体」の「社会的責任」で遂行するという最も先進的なアカデミーの理念は、現行の日本学術会議において具現化されたのである。

自民党PT「提言」は、日本学術会議が世界のアカデミーと比べ劣っているかのように叙述しているが、その認識は実態を知らない人の思い込みである。「政策提言」についても、日本学術会議はどのアカデミーよりもたくさんの質の高い提言を公表してきた。それらの実効性が弱かったのは、政府が日本学術会議の提言をことごとく無視してきたからである。

私は、2001年から全米教育アカデミーの会員(終身会員)である。したがって全米科学アカデミーについても多少は認識している。自民党PT「提言」は、参考資料として全米科学アカデミー、英国王立協会など、世界の11のアカデミーの組織・財政・活動を一覧にして示している。それらのうち、カナダロイヤルソサイエティー以外はすべて国の財源で運営費の3割から8割が補助されている自然科学アカデミーである。ロシア科学アカデミーは人文・社会科学分野も含んでいるが、その比率はわずかでしかない(科学者論文数で2.6%)。

アカデミーの性格や組織や活動は、各国の歴史や社会によって多様だが、その多くは、①終身会員の会員制(会費制)、②日本学士院のような栄誉団体、③政策提言機能よりも顕彰機能や若手奨学機能、④政府貢献よりも社会貢献、⑤学会との関係は薄いという特徴を示している。私の所属している全米教育アカデミーは、私が会員になった時は上限100名(現在は約200名)の栄誉組織であり、年間約2万円の会費を払い、終身会員制なので前年に逝去した人の数だけの新会員が会員の推薦と選挙で補充され、人文・社会科学系のアカデミーなので政府から資金はなく、スペンサー財団(公益財団)の巨額の基金によって若手育成の奨学事業を中心に活動している。政策提言というよりも社会提言を行っているが、数年に1回程度である。

現行の日本学術会議のアカデミーとしての卓越性は明らかだろう。日本学術会議は、①内閣府に所属することによってすべての省庁との連携が可能で、すべての省庁の政策に関して政策提言(第4期〈2017年10月―2020年9月〉には85件)を行っていること、②自然科学のみならず、人文・社会科学、生命科学(医学を含む)、理学・工学の3部制で組織され、3部の諸科学の総合によって政策提言を行っていること、③会員210名が連携会員2,000名と対等に協同し、かつ約2,000の学会(協力学術研究団体)と協力関係を結んで「科学者共同体」を構成していること、④他国のどのアカデミーよりも民主的な方法で会員選出を行っていることなどである。

日本学術会議の会員選考は、会員と連携会員の推薦による約1,300名と協力学術研究団体の推薦による約1,000名を合わせた約2,300名の推薦名簿から何段階かの選考会議を経て、会員候補者105名を推薦候補として決定している。これほど民主的な手続きで会員選考を行っているアカデミーは他国には存在しない。これらの特徴から、日本学術会議は他のどのアカデミーよりも卓越した理念と組織と活動を展開してきたと断言してよい。惜しむらくは、海外のアカデミーと比べて財政が比較にならないほど小規模である点であり、この財政基盤の抜本的解決こそが急務なのである。

自民党PT「提言」は、「奨学金や研究助成」「栄誉・顕彰機能」を持たせてアカデミーの「国際基準」にふさわしい組織への改革を提言している。しかし、これらの機能は、アカデミーの役割の末梢の事柄であって、アカデミーの存在価値や要件がそれらにあるのではない。アカデミーの必須要件は、日本学術会議幹事会の「中間報告」が指摘しているように、①学術的に国を代表する機関としての地位、②そのための公的資格の付与、③国家財政支出による安定した財政基盤、④活動面での政府からの独立、⑤会員選考における自主性・独立性にある。この5要件のいずれも、「提言」は充足していない。「提言」は、「アカデミア」の名を借りた「アカデミーつぶし」と言ってよいだろう。

 

学問の危機とアカデミー

そもそも日本学術会議問題は、なぜ生じたのだろうか。その理由は、日本学術会議が日本学術会議法を遵守して国家と社会のための活動を行ってきたのに対して、菅首相が自らの政権のための活動を求めたからである。国家と社会のためか、ときどきの政府のためかという亀裂において菅首相が断行したのが任命拒否であり、着手されている日本学術会議「改革」である。

政権によって学問の自由が侵害される事件は、近年、世界各国で生じている。代表はトルコである。2016年のクーデタ鎮圧によってさらなるクーデタを遂行したエルドアン大統領は、わずか1年で15大学を閉鎖、5,300人の大学教員と1,200人の大学事務員を解雇し、899人の大学関係者を逮捕して独裁者に君臨した。同様の事件は、ヴェネズエラなど南米諸国にも見られる。

ハンガリーでは2017年、極右のオルバーン首相が大学改法を成立させ、「学問の自由」を掲げる大学として知られる中央ヨーロッパ大学(CEU)を存続の危機へと追い込み、国外に追放した。中国の習近平は、他国では考えられないほど多額の研究費を大学に注ぎ込みつつ、学問の自由を制約し学問研究への国家統制を強めている。

プーチンによるロシア科学アカデミーに対する政治介入は、日本学術会議つぶしと共通するところが大きい。プーチンは2013年以降、ロシア科学アカデミーの独立性を奪って国家機関に組み込む法案を成立させ、科学アカデミー全般の権力統制を実現し、学者とメディアへの統制と粛清によって独裁体制を構築した。今やプーチンなしのロシアは考えられない体制である。プーチンがKGB(秘密警察・国家保安委員会)出身であることと、日本学術会議問題の黒幕とされる、杉田和博官房副長官が公安警察出身の官僚であることは偶然の一致だろうか。

学問の自由が奪われると、メディアの統制も容易になり、やがて思想表現の自由も奪われる。学問を失った社会は暗闇の中をさまようしかない。その暗闇の中から独裁者が登場し、民主主義が壊され、社会と国家も破壊される。歴史の教訓である。まだ遅くはない。任命拒否によって開かれた暗黒の世界への扉は、私たちの手で塞がなければならない。

 第4回
第6回  
「自由」の危機

日本学術会議の会員任命拒否問題。 それは「学問の自由」の危機のみならず、あらゆる「自由」の危機に通じます。 いま声を上げなければ−−。そんな思いで多くの方々の言葉をお届けします。

プロフィール

佐藤学(さとうまなぶ)

1951年広島県生まれ。教育学者。学習院大学文学部特任教授。東京大学名誉教授。三重大学教育学部助教授、東京大学教育学部助教授、東京大学大学院教育学研究科教授などを歴任。教育学博士(東京大学)。全米教育アカデミー(NAE)終身会員、アメリカ教育学会(AERA)名誉会員。日本教育学会元会長。日本学術会議では、2011年から2014年にかけて第一部(人文・社会科学)の部長を務めた。アジア出版大賞(APA)大賞次賞(2012年)。著書は『カリキュラムの批評―公共性の再構築へ』『教師というアポリア―反省的実践へ』『学びの快楽―ダイアローグへ』 (いずれも世織書房)、『学校改革の哲学』(東京大学出版会)、『学びの共同体の挑戦―改革の現在』(小学館)など多数。

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