なぜM-1は国民的行事になったのか 第2回

M-1創世記

手条萌

パラダイムシフトとしてのM-1

まずは、M-1の歴史を振り返っていく。M-1は第1回大会の2001年から休止前最後の開催の2010年までと、再開後の2015年以降に大きくわけられる。ウオッチャーのあいだでは前者は「旧M-1」、後者は「新M-1」と呼ばれているが、ここではまず「旧M-1」について見ていこう。

2001年に第1回が開催されたM-1は、新感覚の大会として始まった。 もちろんそれまでにもお笑いの賞レースやコンテストなどは存在した。もっとも古い歴史があるといわれているのは、1966年に設立された「上方漫才大賞」だ。上方芸人の功績をたたえる目的で制定されたこの賞は、これまで夢路いとし・喜味こいし、横山やすし・西川きよし、ダウンタウンなど、数々の漫才師が受賞してきた、非常に伝統のある賞である。

他には1971年より制定された「NHK上方漫才コンテスト」、1972年から2006年にかけて開催された読売テレビ主催「上方お笑い大賞」(現在では「ytv漫才新人賞」に引き継がれている)、1980年開始の朝日放送テレビ主催「ABC漫才落語新人コンクール」(現在の「ABCお笑いグランプリ」)、同年開始の「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」などが漫才やお笑いにおける主なコンテストであろう。

今でこそ活動拠点の東西を問わずエントリー、あるいは候補者選出されている賞も多いが、当時は主に関西を拠点に活動する芸人向けであり、全国区のコンテストではなかった。加えて、各賞の開始当時は現在のようにTverやAbemaなどの場所や時間を問わない配信サービスがなかったため、主催の在阪局でしか放送されておらず、そのため大衆への影響力は文字通りローカルなものであった。たとえば「上方漫才大賞」の選出基準は「上方漫才界のすべての漫才師の中でその年最も活躍した漫才師に贈られる」とされている。これは日頃の劇場出番やメディア露出などの総合的な要素によって受賞者が選出されることを意味しているが、「その日一番の結果を出した芸人が評価を得る」という競技らしさはない。つまり、「一発逆転」や「一晩で人生が変わる」という類のロマンや夢はないということだ。

そういった関西の賞レース文化の特徴、悪く言えば脆弱性をクリアしていったのがM-1である。

当時にしては破格の賞金1000万や、アマチュアのエントリー、全国ネットでのゴールデン放送、東西や事務所の壁を取り払う姿勢などといった観点からも、これまでとはまったく異なる大会だった。

今までの賞レースとの違いは「ガチ感」である。このような感覚はこれまでのお笑いシーンにおいては、まったく新しいものだった。例えば「全国ネットのテレビ放送でお笑いの優劣がつけられる」という点では、1999年に放送開始されたNHKの「オンエアバトル」が近しい存在として挙げられるだろう。この番組は観客の投票によって「オンエア」(放送される)芸人と「オフエア」(放送されない)芸人が決まるオーディション的な要素で人気を博していた・しかし「オンエアバトル」については深夜帯の放送、主観客の評価の基準が曖昧であるなどの理由から、オフエアとなっても、出演芸人には悲壮感がただよっていなかった。つまりそこまで「ガチ」の審査ではなかったのである。

ただ当初は、M-1のガチ感がウオッチャーには伝わっていなかったように思える。M-1を「オンエアバトル」のようなものだと認識していたはずだし、K-1のパロディのネーミングに少々おちゃらけた雰囲気を感じ取り、ごく普通の賞レースだと思っていたであろう。決勝当日までは。

第1回目のM-1の開催日は12月25日。このクリスマスにすべてが変わったと思う。あんなに深刻な空気でお笑いを見た経験ははじめてだった。すさまじい緊張感がテレビ越しに伝わってくる感覚はたしかにスポーツのそれに近かったが、間合いや掛け合い、ボケ・ツッコミのスキルなど、競技として割り切れない伝統芸能としての厳しさ(落語がそうであるように、漫才においても師匠・弟子関係が存在する)も加わり、間違いなくその瞬間、世界で一番シビアな場所になっていたと思う。

審査員としての松本人志のキャッチフレーズ「漫才の歴史はこの男の以前以後でわかれる」と同じく、近代漫才の歴史はおそらくM-1の以前以後でわかれるといえるだろう。M-1の開始はそれくらい強烈なパラダイムシフトである。

権威付けと東西問題の可視化

第1回大会で特筆すべきシステムは一般客による審査である。これは、審査員のほかに大阪・福岡・札幌の劇場にいる一般客が審査するものであったのだが、大阪会場の東京所属の漫才師への得点が極端に低かった。大阪会場における、おぎやはぎの投票数は9点であったのだ。おぎやはぎは東京の事務所のプロダクション人力舎所属の漫才師であるため、標準語の漫才であった点、加えて、いわば「東京流静か系」の始祖ともいうべきローテンションなムードも、大阪会場からの支持が得にくかった原因と考えられる(その後、この温度感はPOISON GIRL BANDやオズワルドなどに引き継がれていったと言えるだろう)。また、おぎやはぎの陰に隠れがちだが、吉本興業東京所属のDonDokoDonも、大阪会場投票数は18点と低い数字を叩きだしていた。

このことは、それまでなんとなく認識されていた「東西問題」を数字として可視化させた大事件である。散々語り草にされているこの事件は、このあとのM-1、そしてお笑いに大きく影響していく。

この事件はまずM-1の権威化への道をつくった。観客による審査は第二回より即刻撤廃されたが、それはすなわち一般人がM-1の結果にかかわることがなくなったことを意味している。審査員のみによって出される結論はおのずと権威付けされることになり、そこに一般感覚の入る余地はない。だからこそ、ある意味では審査に異議を申し立てることは「わかってないやつ」「お笑いのセンスがないやつ」扱いされることになる。そうなるとますます「勝てば官軍」という雰囲気が充満し、漫才に対して自分の言葉を持たない人でも、審査員の言葉を借りることで容易に漫才を語ることが可能になる。「凄い人が凄いと言ったら凄いんだ!(本当はよくわかんないけど)」という主張が誰でも可能になることは、漫才が誰にでも開かれた状態と言えるだろう。その反動で一方では不健康な審査員批判へとつながっていく――。

ところでまったく余談ではあるが、本稿を執筆中の2023年3月現在、結成16年以上の漫才師による大会「THE SECOND ~漫才トーナメント~」の予選「ノックアウトステージ」が開催されたのだが、なんと客審査が採用された。それだけならまだしも、驚くべきことに講評のコメントまでさせていた。このシステムはもちろん賛否両論ではあるが、個人的には年々加熱する審査員への批判の一種の抑止力のように思えた。「審査というのはこんなにもプレッシャーのかかることで、ましてや言葉は救いにも刃にもなる」ということを観客に自覚させようとしているように思えてならない。いずれにしても、権威性よりも一般感覚を重視しているとも言える稀有な大会だ。

さて、話を元に戻すと「大阪の客が思想を持って東京を低く採点する」というのは、漫才を評価するための素養の有無などとは別の、漫才だからこそ発生してしまった特有の事象である。一般観客が思想を持っている状態であり、それが「おもしろい」とか「おもしろくない」とかよりも優先されるということである。いや、語弊を恐れずにいうと、大阪会場の人にとっては「上方漫才のほうがおもしろい」と思うようにプログラムされているということだ。単純な人気投票とも違う、思想としか言いようのないこの感覚は、確かにM-1が「全国区」に、すなわち「国民的」になるうえでは退けたほうがいい感覚であっただろう。ローカルからの脱却という点では当然であるが、それが現状における、必要以上の大阪下げ問題にもつながっている。もちろん大阪所属の漫才師の母数が少ないからという理由もあるだろうが、2021年のファイナルにおける大阪所属はロングコートダディとももの2組であったこと、そして何よりこの3年間のチャンピオンは東京の事務所所属の漫才師であることなどから、「M-1においては大阪勢が強い」というイメージはもはや有効ではない。にもかかわらず、2022年チャンピオンのウエストランドの漫才中の大阪のお笑いについての言及、「自分たちのお笑いが正義だという凝り固まった考え」は、「勝てば官軍」的に共感した人々によって真実のように語られている。第1回目の大阪会場の点数、そしてその後の旧M-1において続いていった大阪有利なムードについてフラストレーションを溜めていた人が実は多く、その反動として大阪への視線が厳しいものとなっていると考えられる。

現に2022年の予選においては、各種賞レースにおいて第1回目のチャンピオンがその賞レースのカラーを決定づけるとはよく言われることではあるが、それと同様に第1回大会で示されたこの「東西問題」が、現在においても大きなテーマとして響き続けている。

競技漫才の萌芽

「競技漫才」という言葉を生み出したのもM-1である。昨年はスポーツ誌「Number」でM-1特集が組まれるなど、漫才が競技として鑑賞できるものだということはある程度共通の認識であるが、大会開始当初はそれに対しても引っかかる人は多かった。そもそもM-1の点数制システムに対しては、「漫才を採点などできるのか」「審査員の好き嫌いではないのか」などの指摘があったが、漫才の競技性を前面に出していきながら克服していったのがM-1の歴史である。

しかし厳密には競技性が明確な高まりを見せたのは新M-1からであり、旧M-1、特に前期においては割と寄席らしい漫才が多かったように見受けられる。しかし回を重ねるごとに、予選を通過しやすい漫才を研究し実行する出場者が増えてきた。開催回数が増えアーカイブが蓄積されればされるほど研究しやすくなるので、その向きは強くなる。それはさながら、傾向と対策を確認し合格を目標に進める受験勉強のようだ。

旧M-1の頃、「最近の子はM-1対策で4分ネタしか作れないので、2本つなげて寄席に出ている」という嘆きをベテラン芸人のトークライブで聞いたことがあるが、今となっては嘆く意味がわからないほど当然のことである。しかし旧M-1の当時は「競技漫才も重要だが、元来は寄席漫才こそが漫才」という前提のうえにあったように思い出される。

もちろん競技漫才を競技漫才たらしめているのは制限時間と審査制のみではない。おそらく鍵は「主題」の有無だ。主題があるかないかは新M-1の審査において重視される。話題が散漫になると大きくポイントを下げがちであるが、かといってワンイシューで一辺倒に突っ走ると「もうひと展開欲しい」と言われる。主題を守りつつ展開の山を作り、なおかつしゃべくりであるとより評価される傾向にあるのだが、しかしこれも実際のチャンピオンはまた別のロジックで選出される。端的にいうと、このような対策を完璧にこなした漫才をぶち破るほどの強度を持った存在が選出されるのである。かまいたちを破ったミルクボーイなどがわかりやすい例だろう。

しかし旧M-1においては、「主題」は特に重要視されていないように思う。特に一貫した主題が見えにくい、中川家やますだおかだのように寄席らしい漫才であっても、漫才として評価すべきという価値観の審査員たちだったことに加え、もしかしたら時代背景も大きく影響しているかもしれない。

漫才にも「トレンド」がある

新M-1では予選からネタをYouTubeで公開しているので、主題やキラーフレーズがあるとバズりやすいという判断基準が芸人の中でも生まれているように見えるが、当時はネット展開がないので、劇場で披露する時、純粋におもしろいかという基準で勝負をしていた印象である。

昨今は漫才ファンも「タイパ」重視で、多くの観客は主題がない漫才を好まないという傾向にあるように思える。。その意味では、新M-1の前期で人気を得た冒頭のボケを後半で回収する「伏線回収」というロジックも、昨今はあまり好まれないといわれている。

伏線回収は和牛の代名詞であり、その巧みな技に鳥肌を立てる者も多い。筆者もそのうちの一人であり、彼らの漫才は国宝級だと信じて疑わない。

しかし問題は、彼らがあまりにもうますぎたことだ。伏線回収を行うにはスキルが必要であり、そしてどうあがいてもあれには敵わないという自覚が、若手たちに伏線回収をためらわせた。そして観客があれ以上のものを期待してしまうので、他の若手が似たフォーマットのコント漫才において仕掛けを工夫しても、逆算して事前にボケを挿入しているように見えてしまうことが多かった。

2023年2月放送の「見取り図じゃん」(テレビ朝日)にて、さや香・新山氏による「競技漫才における伏線回収の重要性」という指摘があった。新山氏によると、競技漫才としての伏線回収元年は2015年のスーパーマラドーナであり、その萌芽は2007年のトータルテンボスとのことである。こうして伏線回収の歴史が積みあがっていく中で、伏線回収を巧みに操る和牛のネタも大きく存在感を増していった。

そして和牛の伏線回収への憧憬と不可能性に演者も観客も審査員も翻弄されていた状態が続いていたが、2018年決勝では見取り図が、伏線回収のパロディともとれる時差ツッコミを披露したこと(「あれはエセ伏線回収」とさや香・新山氏、ロングコートダディ・堂前氏が「見取り図じゃん」にて指摘していたが、すなわちパロディとも読み取れる)。さらに、和牛が2021年に密着取材されたドキュメンタリー「情熱大陸」の番組構成自体が和牛の伏線回収を踏襲しているようなものであり、それを祇園・木﨑氏が指摘したこと。2022年1月の天竺鼠の単独ライブにて披露されたネタ内で「伏線回収とは和牛らしさだ」と言及されていたこと。このように、芸人たちによって「和牛といえば伏線回収である」という言説が定説化し、和牛が活躍した「新M-1前期といえば伏線回収やコント漫才である」という評価が確立していった。

漫才にはトレンドがある。時代とともに価値観が変化し、それに寄り添い、表現を試行錯誤する必要があるのはお笑いの本質だ。それを具体的な作業に落とし込んだのがM-1対策としての競技漫才だ。旧M-1はそんな競技漫才が萌芽した重要な時代である。

 第1回
第3回  
なぜM-1は国民的行事になったのか

いまや漫才の大会としてのみならず、年末の恒例行事として人気を博しているM-1グランプリ。いまやその人気は「国民的」とも言える。なぜあらゆるお笑いのジャンルのなかで、M-1だけがそのような地位を確立できたのか。長年、ファンとしてお笑いの現場を見続けてきた評論作家が迫る。

プロフィール

手条萌

てじょうもえ

評論作家。広島県尾道市生まれ。『カレーの愛し方、殺し方』(彩流社、2016年)で商業デビュー。『平成男子論』(彩流社、2019年)のほか、『ゼロ年代お笑いクロニクル おもしろさの価値、その後。』『2020年代お笑いプロローグ 優しい笑いと傷つけるものの正体』『漫才論争 不寛容な社会と思想なき言及』『お笑いオタクが行く! 大阪異常遠征記』『上京前夜、漫才を溺愛する』など多くの同人誌を発行している。

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