中東から世界を見る視点 第10回

繰り返す中東危機とパレスチナ問題

川上泰徳

IS排除後の沈静化は「嵐の前の静けさ」?

 2010年代の前半は、中東でも過去に例がないほどの激動ぶりだった。

 チュニジア、エジプト、リビアでの体制崩壊、シリア内戦の泥沼化。2014年には「イスラム国(IS)」が生まれ、15年には100万人の難民が地中海を超えて欧州に渡り、一方で、15年~16年とISに越境されたテロが欧州でも相次いだ。

 このような危機に対して、アサド政権も、イラン、トルコという周辺の地域大国も、さらに米国、ロシアという軍事大国までが、軍事力を使って問題を封じ込めるという強硬な対応に終始している。その結果、ISはイラクの都モスルとシリアの都ラッカから排除され、2018年春現在、中東情勢は全体として沈静化に向かっているように見える。

 しかし、これまでの中東危機のパターンを省みれば、力で危機を抑え込んだところで、中東が安定に向かうとは思えない。

「アラブの春」で声を上げた若者たちの不満や怒りのもとになったのは「格差の広がり=不公正」「政権の腐敗」「強権による自由の封殺」である。それらの問題はなんら解決されておらず、逆に強権支配は強まった。

 むしろ、「アラブの春」の前よりも強権化は進んでいる。以前は、インターネットのフェイスブックやツイッターなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)は、若者たちが政治や社会への不満を述べる場所となっていた。しかし、いまではどの政府もSNSを厳しく規制するようになった。

「エルサレム首都認定」による、あらたな危機の予兆

 繰り返される中東危機を振り返ると、危機の前に、必ず、パレスチナ情勢が動いていることに気付く。

▽1990年湾岸危機の前の87年12月、パレスチナで第1次インティファーダが始まった。

▽2001年9月の米同時多発テロの前年(2000年9月)に第2次インティファーダが始まった。

▽2011年の「アラブの春」の2年前にイスラエルによるガザ攻撃があった。

 1987年の第1次インティファーダは、石つぶてでイスラエル軍戦車の前に立ちはだかるパレスチナの少年がアラブ諸国と世界に衝撃を与えた。

 イラクのサダム・フセイン大統領が90年にクウェートに侵攻したことはパレスチナ問題と無関係に思えたが、フセインはクウェートからの撤退について、イスラエルのパレスチナ占領地からの撤退を条件とし、さらに湾岸戦争中にイラクがイスラエルに向けてスカッドミサイルを撃つなど、パレスチナ問題をリンケージさせた。フセインが自らの行動を無理やり正当化するための後付けであったとしても、ここでパレスチナ問題とのリンケージが登場するところに、パレスチナ問題が中東での矛盾の根源であることを示している。

 2001年の米同時多発テロの前年に始まった第2次インティファーダは、第1次インティファーダの時のような「不服従運動」ではなく武装闘争が中心となり、イスラエル軍も容赦のない軍事的制圧を続けた。パレスチナ人の怒りや嘆きは共通語であるアラビア語でアラブ世界に広がり、それに対して、米国の目の色を伺って何もできないアラブの政府と指導者たちに対する批判が強まっていたのである。

 パレスチナが動いた後にアラブ世界に危機がくることは偶然かもしれないが、パレスチナ問題がアラブ世界の政治の欺瞞を顕在化させるとはいえるだろう。

 かつて4回の中東戦争があった時代には、パレスチナ問題こそが中東危機の核心だった。しかし、1967年の第3次中東戦争でアラブ諸国が大敗し、その後、第4次中東戦争で一矢報いたエジプトがイスラエルと単独和平を締結した後、パレスチナ人の対イスラエル闘争は、アラブ世界の中では孤立無援の状態で行われることになった。

 かつては「アラブの大義」と言われたパレスチナ解放を支援するアラブ世界の政治的な意思は、いまや崩れている。第1次インティファーダ(1987年~)、第2次インティファーダ(2000年~)、さらにイスラエルのガザ攻撃(2008年~)では、イスラエルの圧倒的な軍事力を前に、パレスチナ人が捨て身の闘いを行う図式となった。

 私は2002年春、イスラエルがヨルダン川西岸のパレスチナ自治区に大規模侵攻した時に、エルサレム特派員だった。パレスチナ人からは「アラブの為政者たちは動かず、自分たちはアラブ世界で見捨てられている」という憤りの声を繰り返し聞いた。

 しかし、「アラブの春」でデモに出た若者たちの話からわかるように、アラブの若者たちもアラブの指導者のふがいなさに「カラーマ(誇り、プライド)」を傷つけられ、怒りを募らせているのである。パレスチナ情勢が動き始めると、アラビア語という共通の言葉を通じて、アラブ世界に波紋が広がるのだ。

 2011年の「アラブの春」に始まった危機は、沈静化に向かい始めるとパレスチナ問題が表面化するという、これまでの中東のサイクルをなぞるかのように動いている。トランプ大統領が「エルサレムはイスラエルの首都」と認定し、米国大使館をエルサレムに移転するという動きは、イラクとシリアでISの支配地域が掃討され、中東が安定に向かうことへの期待が出たタイミングで、わざわざパレスチナ問題に火をそそぐ形となっている。

 ISが姿を消した後で、パレスチナにあらたな問題が発生する。また、中東で10年ごとに危機が繰り返すパターンに入って来たかと思わざるを得ない。

 もちろん、次の危機が2020年前後と特定する根拠はない。重要なのは時期ではなく、2011年に始まった危機が力で抑え込まれたことで、次の危機に向けて動き始めたということである。

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 第9回
中東から世界を見る視点

中東情勢は、中東の国々と中東に関わる国々の相互作用で生まれる。米国が加わり、ロシアが加わり、日本もまた中東情勢をつくる構成要素の一つである。中東には世界を映す舞台がある。中東情勢を読み解きながら、日本を含めた世界の動きを追っていく。

関連書籍

「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。元朝日新聞記者・中東特派員。中東報道で2002年ボーン・上田記念国際記者賞。退社後、フリーランスとして中東と日本半々の生活。著書に『「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)、『イラク零年』(朝日新聞社)、『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)など。共著に『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)。

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