米欧の空爆による民間人死者が急増している
問題は、欧州でテロが続発した2017年3月以降、アドナニの声明が現実に力を持つような「イスラム教徒同胞の受難」があるのかということである。3月22日にロンドンで車を暴走させるテロが起こった後、シリア内戦での民間人殺害の集計を出している市民組織「シリア人権監視団(SOHR)」や「シリア人権ネットワーク(SNHR)」のインターネットサイトをチェックした。すると、3月に入ってから、米国、英国、フランスなどが参加する有志連合の空爆による民間人の死者が飛躍的に増加していることが分かった。
SOHRが3月24日に発表した集計によると、3月8日から24日までの17日間で、有志連合によるIS地域への空爆で、18歳以下の子ども19人、18歳以上の女性28人を含む民間人150人が死んだとしている。SOHRの別の集計によると、2014年9月23日に始まった有志連合のIS地域への空爆により、30カ月(2年半)で、236人の子どもを含む1096人の民間人が死んだという。1カ月平均37人の死者であるから、それと比較すると、2017年3月8日以降の17日間で死者150人という数字が、いかに多いかが分かる。
SNHRは毎月、シリア内戦に関わるすべての武装勢力による民間人の殺害を公表している。3月の民間人死者の総数は1134人。有志連合による死者は260人(23%)を占め、アサド政権軍による死者417人(37%)に次ぎ、ロシア軍による死者224人(20%)を上回った。4月は8%に下がったものの、5月の数字では、946人の死者のうち有志連合による死者は273人(29%)となった。有志連合は、ISによる268人(28%)、アサド政権による241人(25%)を上回り、すべての武装勢力のうちで最も多く民間人の犠牲を出したのである。
SOHRやSNHRには、英語サイトとともにアラビア語サイトもある。3月以降、「有志連合による虐殺」という言葉がサイトにあふれるようになった。反アサド政権、反ISの立場のアラビア語ニュースサイトでも、有志連合によって殺害された子どもたちの写真を掲載して「虐殺」と報じている。5月27日にはSOHRのラミ・アブドルラフマン代表がBBCのアラビア語放送に登場し、シリア東部デルゾール県マヤディン市に対する有志連合の空爆による死者は106人に達し、「その多くは子どもや民衆である」と語った。
「有志連合による虐殺で死んだ子どもたち」の写真を掲げたアラビア語ニュースサイト
SNHRが集計した2016年1年間の民間人死者総数は1万6913人で、政権軍による死者8736人(52%)、ロシア軍の空爆による死者3967人(23%)で、両軍で死者の4分の3を占めた。有志連合による民間人の死者は537人で、全体の3%に過ぎなかった。それが、2017年の3月と5月は20%台まで急増している。
有志連合の空爆による民間人死者増加の背景には、米軍がクルド人勢力を援護して行っているラッカ掃討作戦の激化がある。有志連合による5月の死者273人のうち、3分の2の177人はラッカ県に集中している。有志連合による民間人死者の増加は2017年1月から始まっており、「対テロ戦争」を課題のトップに掲げるトランプ氏が米国大統領に就任したことで、民間人の巻き添えを意に介さないような、荒っぽい軍事作戦が始まったと考えるべきだろう。
有志連合による空爆で民間人死者が急増していることについては、5月25日に国連人権高等弁務官のザイド・アルフセイン氏が声明を出し、「ラッカ県やデルゾール県での空爆によって民間人の死傷者が急増していることは、攻撃前の予防措置が不十分であることを示している。ISによる無差別の砲撃や処刑の犠牲になっている同じ市民が、激化する空爆の犠牲になっている」と警告した。
有志連合によるIS掃討作戦で多くの民間人が犠牲となり、それがインターネットで拡散する中で、欧州でのテロが起こっている。ISのアドナニ報道官は2016年8月に米軍の空爆で死亡したが、欧米のイスラム教徒に「非道への報復」を吹き込む彼の声明は、インターネット上に残っている。
欧州でのイスラム教徒の過激化の要因には、イスラム教徒に対する差別や社会的な格差、極右勢力の台頭によるイスラム教徒への排斥圧力などもあるだろう。だが、政治、社会、経済問題があることと、過激なテロ活動とは直接はつながらない。しかし、イラク、シリアで米欧軍によって多くのイスラム教徒の子どもや女性が犠牲になっている暴力を突き付けられれば、その報復として、テロという対抗暴力に結び付くことになるだろう。欧州でイスラム教徒が過激化する要因として、シリア・イラクでの米欧軍の対テロ戦争の影響は無視できないと考える。
一連のテロについて、欧米のメディアが、有志連合による空爆の非人道性に言及することなく、「イラクやシリアでのISの危機に呼応した、IS支持者による犯行」と解説していては、自分たちも加担している暴力の連鎖の実態を見誤らせることになるだろう。
さらにいうならば、ISの問題は、ISを武力で排除しても解決しない。イラクとシリアで抑圧されている、スンニ派勢力やスンニ派部族の受難を終わらせる必要がある。前述のように、現在、イラクのモスルではシーア派主導の軍隊、シーア派民兵、クルド人部隊が掃討作戦を行い、シリアのラッカではクルド人主体で掃討作戦を激化させている。これではスンニ派の受難は終わらず、ISが排除されても新たな問題の種が撒かれるだけになるだろう。
中東情勢は、中東の国々と中東に関わる国々の相互作用で生まれる。米国が加わり、ロシアが加わり、日本もまた中東情勢をつくる構成要素の一つである。中東には世界を映す舞台がある。中東情勢を読み解きながら、日本を含めた世界の動きを追っていく。
プロフィール
中東ジャーナリスト。元朝日新聞記者・中東特派員。中東報道で2002年ボーン・上田記念国際記者賞。退社後、フリーランスとして中東と日本半々の生活。著書に『「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)、『イラク零年』(朝日新聞社)、『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)など。共著に『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)。