水道橋博士の「日記のススメ」 第4回

記念日を「祈念」する日記

水道橋博士

浅草キッドの水道橋博士は、タレントや作家の顔を持つ一方で「日記を書く人」としても知られています。

小学生時代に始めたという日記は、たけし軍団入り後も継続、1997年からは芸能界でもいち早くBLOG形式の日記を始めた先駆者となり、現在も日々ウェブ上に綴っています。

なぜ水道橋博士は日記を書き続けるのか? そこにはいったいどんな意味があるのか?

そう問うあなたへの「日記のススメ」です。

 

初めて父になった日

 先日、6月20日の「父の日」にTwitterのフォロワーから「博士は自分が父の日になった日のことを覚えていますか?」との質問をいただきました。

 ボクは明確に覚えています。

 それは日記に克明に記すからです。

 人生に於ける大事な日であっても記録にないことは、加齢と共に記憶は確実に書き換えられます。

 この連載で何度も触れることになりますが、そういう経験は何度もあります。

 だからこそ、人生で初めて体験するような特別な通過儀礼の日(ボクはそういう日を「MEANING OF LIFEを知る日」と呼んでいます)。その経験の原点や初心を忘れないように自分の気持ちを正確に書いて残すことにしています。

 この行為を自分では、記念日を祈り、念じることから「祈念する」と呼んでいます。

 

 初めて父になった日の日記を正確に再録します。

 2003年8月8日のBLOGの記述です。

 

7時起床。まったく眠れず。

病院に入ってから連絡とれず、

落ち着かず心配極まりない。

女性は、10ヶ月を期待と不安と共に過ごすのであろうが、

男性は、この一日に凝縮した期待と不安に

さいなまされるのであろう。

 

それでも、スズキ秘書の運転で、

仕事場のお台場、ニッポン放送へ向かう、

気が気じゃない。

道すがら、10時45分、義母より連絡。

「無事生まれた!母子共に健康!」とのこと。

安堵と喜びに声を失い、

心の底より湧き上がる感情にしばし涙とまらず。

  

人生は長く退屈で、

世界は明日終わっていい、

自分は生涯孤独で、

遺伝子が途絶えたとしてもかまわない~

そんな気分で、

生まれてきたことを呪いながら、

無為に青春時代を過ごしたことがある。

 

そんな俺としては、

40歳になっても惑いっぱなしで、

大人の分別もなく、今なお青臭いが、

これほど自分が存在してきたことを肯定できたことはない。

 

究極のミーニング・オブ・ライフの実感。

 

気を取り直して、

第一報を誰に連絡するか?

師匠、実家、兄、相棒、事務所?

順番を考えるが、

ここは感傷に浸ることなく一ギャグ、挟むべしと。

携帯の登録で、名前を検索。

そして、そのなかでも一番くだらない名前に思えた、

ワハハ本舗の猫ひろしに連絡。

電話を俺からかけるのは初めてだ。

 

「今日、生まれたよ!」と俺の声に、

「はい、今日、生まれました、ありがとうございます」と猫。

「?うん」と訝る俺に、猫が、

「今日、僕の誕生日なんですよ!」

となんたる、偶然であり、猫の引きの強さか。

 

お台場、フジテレビに到着。

8月8日フジテレビの日、フジテレビのなかのニッポン放送、

丁度、『ラジオビバリー昼ズ』の生放送の直前、

に滑り込みで生まれる、勘の良さ、間の良さで、

わが息子、親父を助けて一仕事してくれた。

 

「文武両道」、

俺の人生を決定付けた武と文夫にちなみ、

男なら「武」、 女なら「文」、

と10年も前に決めた命名。

その誕生をいち早く高田文夫先生に報告できるのも、

これまた一つの運命であろう。

 

ちなみに、次男は、きよし、

で新ツービート結成。

三男は、やすし、

で新ドンキーカルテットを狙っているのだが……。

 

放送は『お笑い男の星座2・私情最強編』、

番外エピソードベスト3を発表。

三谷さんからのメールなどなど盛りだくさん。

 

中野翠さんの

サンデー毎日の書評は嬉しかった。

 

帰途、渋滞を避けて通りがかった道に、

糸井重里事務所の看板。

初めて「明るいビル」がこの場所にあることを知る。

こんな日だから、糸井さんにも会いたいと思って、

事務所を訪ねたが、不在。

『お笑い男の星座2・私情最強編』を置いてくる。

 

渋谷ブックファーストへ、

雑誌「編集会議」取材。

買いたい本5冊を選ぶ。

好きな本を選んで、しかも買ってもらえる、

なんと素晴らしい仕事か。

しかし、高価な藤田嗣治の画集を選んだら、

「それだけは勘弁してください」と。

得意分野の話題だけに、口も滑らかにろうろうと。

「4ページじゃ収まらないでしょ」と話するが、

後から雑誌を見たら、2ページのコーナーであった。

 

待ち時間、恵比寿で、

浮かれて何年ぶりかにパチンコやってみる。

もう様式も方法もわからない。

 

今日の印象に残るものを食べようと、

『筑紫楼』へ。

スズキ秘書、冨永マネを連れて。

フカヒレ煮込みそば、

蟹肉入りフカヒレ煮込みそば、

蟹肉入りフカヒレ煮込みごはん、

 

生誕記念日と告げると、お店から、

杏仁豆腐がサービスされる。

 

19時、フジテレビへ。

『SRS』収録。

PRIDEグランプリ直前情報、PART2

高田延彦、小池栄子一緒。

 

楽屋からスタジオ入りするまでの道すがら、

ベビー用品が次々と置かれてあると言う、

「SRS」スタッフの心憎いサプライズ演出。

もうリアクションなんて取れない。

胸いっぱいになり感激、感涙。

 

そして同じ年の高田延彦さんが、

「第一子ですか、それはさぞお喜びでしょう」

と笑顔で声をかけてくれた。

向井亜紀さんの書いた「16週」を読んでいる俺は、

その言葉に心揺さぶられる。

 

入籍の時も、そして第一子誕生の時も、

仕事が一緒になった、

我が家の巨乳女神の小池栄子が、

「たけ坊に、授乳してあげる!」

とカメラに宣言してくれた。

なんたる羨ましいガキになることか。

これは必ず実現するつもりだ。

 

そして、番組はPRIDEミドル級グランプリの前煽り、

この大会を見たいがために、

うちの子供は予定日の2週間も前に、

生まれた来たのだ~と発言。

 

帰宅。

一日にさまざまな感情を経験し、

ぐったりとして、北郷と飲んでるところに、

マキタスポーツ、猫ひろしが来宅。

その後、ガンビーノ小林も。

マキタやガンビーノも最近、父親になっているだけに、

俺の今の喜びがわかるのであろう。

それを思えば、彼らの出生報告を受けたとき、

「おめでとう!」と言いながらも、

その意味も理解できてなくて、

心から祝ってあげることは出来なかったのは、

本当に申し訳なく後悔することだ。

 

飲みながらも、ずっと携帯電話を離さず、

ご報告だ~と番号リストを眺めながら次々と電話。

普段、携帯電話依存ゼロの俺だけに、

よっぽど嬉しかったのだろうな。

朝方、気分良く大盤振る舞いなどあったらしい。

結局、夜明けまで高揚感に浸って飲んでいた。

 

 こんな一日を忘れるわけがない!

 はずなのに、実際は、毎回、読み直しては、「嗚呼、あのとき、こんなことも同時に起こっていのか!」などと思い返します(今回も読み返して、糸井重里さんの事務所を訪ねたことなどすっかり忘れていました)。

 この日、生まれた、もうすぐ18歳になる長男が反抗期を迎えて、ずっと可愛気のないことをボクに向かって口にする日常ですが、この日の日記を読み返すと、全く怒る気持ちも起こらなくなるから不思議なものです。

 随分、生意気になったけど、18年前に無垢な天使だった君が、ボクにミーニング・オブ・ライフを与えてくれたのだ。

 と、思い起こすからなのです。

第一子誕生の瞬間

自分の慶事にまだ羞恥心があった

 他にも、記念日と言えば、例えば、自分は結婚記念日をどう記録していたのでしょうか?

 ボクは、結婚という儀式は、皆、神様の前で永遠の愛を誓う割にはなぜか多くの人が誓いを全うしないで離婚してしまうのか、子供の頃から不思議に思っていました。

 今は人生経験を経て、それぞれに事情があることも十分承知していますが、“離婚”の危険性をはらみながらも結婚生活に安易に突入することが疑問でした。

 だから、「結婚」は重大な祈念を書いているはずです。

 と思って、検索をしてみると、結婚記念日には、あっさりと「入籍記念日」としか書いていません。

 ボクは恥ずかしいという理由で結婚式をあげなかったし、あの頃の自分は慶事を浮かれることにも羞恥心があったのだと思います。

 

2002年6月22日

 

相棒、玉袋35回目の生誕記念日で、

しかも、俺の入籍記念日に。

仏滅を避けて、受理日は23日に指定。

 

四谷スタジオ、13時入り。

「クイズ!バーチャQ」収録。

1本目、梨花、肥後克弘ゲスト。

梨花、相変わらずのあけすけ無防備、

日本代表。自らオウンゴールの連続。

子供番組でなければ……と思いつつ。

 

肥後さん、久米宏設定で。

いつもながら手堅い。

 

2本目、佐藤江梨子、伊集院光、

佐藤江梨子と本の話。

「プレイボーイ」に連載する、

書評が変なので気になっていた。

 

伊集院番組の趣旨、把握しての

リアクション、コメント相変わらず抜群。

 

番組スタッフ打ち上げ、飲み会、

赤坂「いっこん」にて。

 

番組飲み会などに俺たちが、

顔出しするのは珍しい。

 

この世界、飲ミニケーションの重要性は、

よくわかっている。

しかし、 俺たち、残念ながら日々打ち上げの、

テレビタレントではない。

 

しかし…。

 

虎ノ門で共演する野村アナや、

今、「生でGONG GONG」一緒にやってるディレクターやら、

一緒に旭川で雪中行軍したディレクターや、

「タケシムケン」で、まずいラーメンを食べ歩いたディレターやら、

「出張タイムショック」のプロデューサーやら、

そして、たけし軍団と長年おつきあいの番組プロデューサーら、

それぞれに、思い出話も縁ある方々ばかりなのである。

 

一期一会のテレビ界。

 

しかし、今日が個人的には人生で特別な日であることも、

言いたいような気にもなる。

 

結局、酔って自分の口で入籍発表。

同席した人は、今後、常に、あの日、あの時、あの場所にいたと

言ってくれ!共に乾杯しよう。

 

女性から反響が最も大きかった日記

 実にあっさりとしたものです。

 でも、その2年後、ママの弟、つまり義弟の結婚式の日には、自分としては思いの外にエモーショナル事を書き記しています。

 

2004年10月10日

9時起床。

昨日、新幹線車内でモニター画面の作業をやりすぎたのか、

さすがに視神経からの疲れはとれず。

それでも、今日は晴れの結婚式。

義父、義母、義妹は、

あんなに夜更かしであったのに、

ほぼ6時半起きで着物の着付けへ。

皆、タフだわ。

カミさんの弟、大雅(ひろまさ)くん、祐美さん、

近所の熱田神社にて華燭の典。

厳粛な儀式なのだが、子供、泣くので、

途中で抜け、あやしつつ。

場所を移して、大府市勤労会館、結婚披露宴。

宴の間も、何度か子供をあやすために抜ける。

控え室、2Fの40畳敷きの大広間、この広大な空間に、

子供はしゃぎつつ、ついに走り出す様子に感動。

記念すべき、初走りが義弟の結婚式、

そして、旧体育の日と言うことで忘れがたい記念日に。

最後の義父の挨拶。

息子への応援団仕込みの応援エールを交え、

何時ものことながら見事なもの。

4人兄弟姉妹で、たった一人の男児だけに、

親父様の想いもひとしおのものがあるだろう。

ましてや、嫁を含めて親父の会社で共に働くのだから。

結婚式にいつも思う感慨は、

人生の伴走者が増える悦び、

弟や、妹、兄や、姉、家族が増える悦び、

さらに、親戚が増える悦び、

そして、子供が増える期待まである。

自分の応援団が一挙に2倍以上に増える。

晩婚だった、俺は長くこの悦びに想いを馳せたことはなかった。

さらに、親戚づきあいなども苦手な思春期を送ったので、

結婚式そのものを忌避していた。

芸人になっても、20代の時は他人の結婚式にも、

心からの祝福を感じることなく面倒と思ってきた。

が、今は、別の感慨を持つ。

俺の唯一の義理の弟に成った大雅くんに、幸多かれ!と願う。

そして、そのお嫁さん、祐美さんにも、末永く幸せを!と祈る。

昔、「おしゃれ関係」で、関根勤さんが、ゲストのとき。

芸人なのに女性スキャンダルが皆無で家庭円満の関根さんに、

その秘訣を古館さんが聞いた。

その時、関根さんは、

「自分の娘が生まれた時、どれほど子供を尊いと思ったかわからない。

でも、同時に、それを生んでくれたカミさん、

そして、そのカミさんを生んでくれたカミさんの両親に感謝した、

自分が初めて生まれた子供に寄せる無償の愛情と同じく、

カミさんの両親もカミさんの誕生を同じ思いで見たのだろう。

どれほど、この子が人生に嘆くことなく幸せに育って欲しいと願ったことか。

その両親に『幸せにします』と誓ったはずなのだから、

それを思うと、決してカミさんを傷つけたり泣かせるようなことは出来ない」

というような内容の話だった。

なんと、その言葉は真理であることか。

芸人になってから、

芸人は女房を泣かせてナンボのものだと教育されていた俺は、

この発言を考えてもみなかった。

今、書いている話も、大半の10代、20代の若者には伝わらない。

俺だって、若い頃は、小市民的に成りたくないと、

無頼を気取り、無理やり破滅を何度目指してきたことか。

超人的英雄にしか許されない、この特権を求め、

その人(にん)じゃない俺は、何度失敗してきたことか。

でも、俺くらいの年になると、

わかってくれる人も多いだろう。

夫婦は互いに自分の本性、まっとうさを合い照らす合わせ鏡だ。

カミさん、子供、マキちゃんに名古屋駅まで、送ってもらう。

カミさん、子供は、14日まで実家に逗留。(後略)

 

 と、書いています。

 この日の日記は、ボクが書いてきたBLOG歴のなかで女性の読者から最も反響があった日だと思います。

 今でも、カミさんと喧嘩した日(ボクは滅多にしないのですが……)などに読み返すことがあります。

 

 人生経験と共に人は変わり続けるものです。

 かつて豪腕・小沢一郎が自らの変節に対し、映画『山猫』の台詞を引用して「変わらずに生きてゆくためには、自分が変わらねばならない」と言いました。

 ボクは、その時も思ったものです。

 まず、その「変わらない基本」を明示して欲しいと。

 やはり日記の記念日は、自分が「祈り稔じる」理念が何かを記すべきです。

 

 第3回
第5回 

プロフィール

水道橋博士

1962年岡山県生れ。ビートたけしに憧れ上京するも、進学した明治大学を4日で中退。弟子入り後、浅草フランス座での地獄の住み込み生活を経て、87年に玉袋筋太郎と漫才コンビ・浅草キッドを結成。90年のテレビ朝日『ザ・テレビ演芸』で10週連続勝ち抜き、92年テレビ東京『浅草橋ヤング洋品店』で人気を博す。幅広い見識と行動力は芸能界にとどまらず、守備範囲はスポーツ界・政界・財界にまで及ぶ。著書に『藝人春秋』(1~3巻、文春文庫)など多数。

水道橋博士の日記はこちら→ https://note.com/suidou_hakase

 
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