「ジュラシック・ビーチ」の危機
ジャン・マルクたちと合流して、嘉徳浜に向かう途中で立ち寄ったマングローブ原生林は、最近、奄美大島の中でも人気スポットになっている場所です。観光客の増加で「オーバーツーリズム(観光過剰)」が深刻化している今の時代は、人気スポットへ行っても失望するばかりですので、普段はそのような場所を避けることにしています。
しかし、少し雨が降っていたこともあったのか、その日は人混みに心を乱されることもなく、ゆっくりと見てまわることができました。隣接する道路からマングローブ林を一望すると、予想していた以上に広大で、霧が湧き上がってくる景色が幻想的でした。
マングローブ林を後に、嘉徳浜へ行く途中に通った山では、自衛隊の基地建設の関係でコンクリートの斜面がいきなり目の前に現れるなど、ところどころ自然が蝕(むしば)まれている現実も見ました。とはいえ、全体的に見ればまだきれいな状態といえます。しかし、今後もこうした開発が続くことを想像すると、楽観することはできません。
山から嘉徳浜へと流れ出す川の河口は入江になっていて、私たちが訪れた時にはちょうど風が止んで、水面が対岸の崖を鏡のように映し出していました。家屋が数えられるほどしかない海辺の小さな集落を抜け、嘉徳の砂浜に降りると、ジャン・マルクが送ってくれた写真通りに、南洋諸島のような砂浜が広がっていました。砂際にはアダンの木が植えられ、集落を潮から守り、周りの山はジャングルのように木々が密集しています。純潔な自然浜は「ジュラシック・ビーチ」と呼ばれているそうです。「まだ日本にも、こんなビーチが残っているのか!」と、あらためて驚きました。
しかし「土建国家」の日本で、こうした自然環境を残すことはきわめて難しい。それが、悲しい現実です。ここでも高さ六・五メートルの巨大なコンクリート護岸を造る計画が進められています。海岸の侵食を防ぐことが名目ですが、ここ数年は台風時ですら侵食は確認されていないそうです。
日本の多くの公共工事がそうであるように、この護岸工事もまた、予算を使うために作られた事業です。私たちが訪れた翌月には、工事が着工される予定だと聞きました。ジャン・マルクや嘉徳を守るために頑張っている仲間は、弁護士グループの協力も得ながら、建設反対の活動を続けています。今後も頑張ってくれると思いますが、一度工事が始まってしまえば、もう絶望的です。近々、日本から「ジュラシック・ビーチ」の姿が消え去ってしまうかもしれません。
絶望的状況ですが、嘉徳を愛している彼らは運動を続けるはずです。たとえば、数年前に埋め立て事業が差し止めになった、瀬戸内海の「鞆(とも)の浦(うら)」のように、奇跡はたまに起こるものです。
ここで、私が「ニッポン巡礼」を始めた最も大きな動機の一つに、触れておきたいと思います。
日本の山奥や離島には、まだまだ美しい自然や素朴な村の景色など、巡礼に値する「聖地」が残っています。しかし、それらの多くは脆(もろ)く、儚(はかな)いもので、分別のない公共工事や、景観に無関心な住民によって、いつ崩されてもおかしくありません。
もしくは、この日本では崩れゆくことこそが、あらかじめ決められた運命なのかもしれません。たとえ今日訪れることができても、明日、一年後、一〇年先にこの場所に来て、同じ美しさと出会えるだろうか。「ニッポン巡礼」で紹介している多くの場所も、この先、歴史の彼方に埋もれていくものかもしれないと、切ない気持ちになります。
私の師である白洲正子さんは、「かくれ里を世に広めることは罪かも知れない」と書きました。私も同じように心配していますが、同時に「日本には、これほどすばらしい場所がある。大事にしましょうよ」とアピールしていくことも必要だと感じています。
「ニッポン巡礼」もその一つですが、私にとって行動することは、嘉徳を守ろうとしている人たちと同じように、暗闇の中での手探りの闘いとなります。行動には苦しさが伴いますが、それは失われゆくものの価値に気づいた者の義務だと考えています。奇跡が起こることを祈り続けています。
著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。