ニッポン巡礼 kotoba連載版⑤

奄美大島(鹿児島県)

アレックス・カー

数百年前の古木が織りなす並木道

 

 嘉徳浜を後にして、加計呂麻島へ。

 加計呂麻島は、奄美大島・瀬戸内町の港「古仁屋(こにや)」からフェリーで渡ります。二〇分ほどの距離ですが、フェリーに車を載せると料金が高くなるので、車を古仁屋に置いて、加計呂麻島の「瀬相(せそう)」という港から、また別の車に乗り換えます。

 ジャン・マルクと久美さんは、奄美大島中心部の名瀬に暮らしていますが、加計呂麻島の諸鈍(しょどん)集落にも古民家を借りていて、二つの島を行き来する生活をしています。フェリー代が高くつくので、車はそれぞれの島で一台ずつ所有しているとのこと。聞けば、この辺りではそれが一般的な生活スタイルのようです。

 地図を見るとすぐにわかりますが、加計呂麻島は、小さい面積ながら、海岸線が複雑に入り組み、無数の湾と半島からできています。

 はじめに訪れた港近くの諸鈍集落は、沖縄を彷彿(ほうふつ)させる雰囲気の、少しラフな石垣で家が囲われていて、それぞれの敷地の間を縫うように細い路地が続いていました。通りに人気(ひとけ)はなく、ひっそりとした雰囲気です。

 ジャン・マルクたちの家の玄関前には、「アコウの木」がありました。この木は枝先ではなく、幹や枝そのものに花や種をつけることが特徴です。古民家再生の仕事で、五島列島の小値賀(おぢか)町へ行った時に見た、大きなアコウの木が私の印象に強く残っていて、思いがけぬ再会に心弾みましたが、これは諸鈍の序章に過ぎませんでした。

 ジャン・マルクたちの家から数十メートル歩いて海に向かうと、緩やかな曲線を描いた海岸線と平行して、デイゴの並木道がありました。アコウとデイゴは似ていて、どちらも地上まで根を広げ、枝は蛇のようにくねくねと広く伸びていきます。

 この並木道にあるデイゴは特に幹が太く、不思議な線形の枝が縦横無尽に広がっていて実に見事です。これまで日本で多くの場所を見てきましたが、これほど美しい並木道は見たことがありません。たとえヨーロッパでもこんな光景は稀だと思います。いずれも数百年前の古木と聞きました。「古(いにしえ)の森」のような神秘的な味わいに、しばし幻想の世界に浸りました。

デイゴの並木道

 実は日本では、このように自然のまま、自由に伸びた枝ぶりを見ること自体が、かなり贅沢で希少な体験といえます。「木が汚い」「枝が邪魔」といった観念が社会全体に蔓延(はびこ)り、どこもすぐに枝を落としてしまうのです。

 以前、群馬県の前橋市に行った時、駅前で枝落としされていないケヤキ並木を目にしました。枝が上へ上へと緩やかに「ゴシックアーチ」を描く姿は優雅なものです。ちょうど秋だったので、黄色とワインレッドに紅葉した葉っぱが夕日に照らされて煌(きら)めいていました。市長に「ケヤキ並木は前橋の宝ですね」と伝えると、「私たちはあの場所が大好きです。けれども、市民の中にはそう思わない人もいて、『落ち葉がイヤ』『木陰がイヤ』などと陳情の声が止まりません。そのうち、やむを得ず木を切ってしまうかもしれません」という返事が返ってきました。

 こうした状況を考えれば、諸鈍のデイゴ並木がどれだけ貴重なものかわかります。別の言葉を使えば、それは今の日本社会の通念には逆行するもので、危険を帯びているともいうことができます。私の心に、心配の種が宿り始めました。変なアクションが起こり、あの幻想的な枝が切り落とされるのでは、と考えると、はらはらして、心から楽しめなくなってしまいました。

 目の前のデイゴ並木は、元気な姿を保っていますが、まもなく破壊されてしまうのでは……。「ジュラシック・ビーチ」の直後に訪れたので、緊張感が異常に高まり、妄想に走ってしまったのかもしれません。

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ニッポン巡礼

著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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