「量」を目指す観光地はレベルが落ちる
後ろ髪を引かれながら諸鈍を後にして、島の西端にある実久(さねく)海岸を目指しました。その途中で、久美さんから「見せたいものがある」といわれ、武名(たけな)という集落に立ち寄ることにしました。
武名にも静かな砂浜がありましたが、今回はそれを背にして、細い小径を山へと入っていきます。原始的な森の雰囲気が色濃くなったところで、突如現れたガジュマルの巨木に、私は息をのみました。
ガジュマルの巨木は、沖縄の八重山でも見たことがありましたが、ここはその数倍の大きさです。しかし、驚きはそれで止まりませんでした。「もう一歩、奥に入ってみてくださいね!」と、久美さんが指差した先には、霊気を帯びた、さらに巨大なガジュマルの木がたたずんでいました。恥ずかしいことに、私たちは手前にあったガジュマルに見惚(みほ)れるあまり、その奥にある、もっと大きなガジュマルを見逃していたのです。
ガジュマルは東南アジアでよく見られるバンヤンツリーのように、上に伸びた枝から、地面に向けて根を下ろします。垂れさがった根は、幹に絡みつきながら太くなり、どこが幹で、どこが枝と根なのか区別がつかないぐらい複雑にもつれ合った樹形に発達していきます。このガジュマルは、樹齢一〇〇〇年以上と聞きましたが、自然と古のパワーに気圧(けお)されました。
さらに車を走らせると、加計呂麻島の西端となる実久海岸が見えてきます。手前の丘の上から海岸の全景を確認し、海岸に着いてからは、浜辺を歩きながら、周囲の山と海が夕焼け前の色に染まっていく景色を楽しみました。
遠くからだと、砂浜は完璧に美しく見えましたが、近くまで来ると、無数に散らかったプラスチックのゴミが目に付きます。これはもちろん奄美に限ったことではなく、今現在、世界中の島と浜が直面している問題です。しかし、日本の中でも自然がしっかり残された奄美だからこそ、「どうにかできないかな」と考えてしまいます。
嘉徳浜の無意味な護岸工事に、どれだけのお金がかかるのかわかりませんが、きっと何億円もの税金が費やされることでしょう。公共工事に依存した地域は、次から次へと過剰な工事を繰り返します。それが変えられない日本の仕組みであるならば、そうした工事の代わりに、毎年、数億円をかけた「海岸の大掃除部隊」を編成したらどうでしょうか。これなら大規模工事がなくなっても、島民の生活は今まで同様に保障されますし、同時に浜と海もきれいになって一石二鳥です。
掃除だけではありません。本当の意味で島のためになる公共事業は、いくらでも考えられます。たとえば嘉徳、あるいは諸鈍の、南洋の雰囲気がある空き家を再生させれば、収益につながる宿泊業なども育めます。少し頭を使ってみれば、奄美を美しい状態のまま次世代へ引き継いでいくためのアイデアは、色々と思い浮かびます。まあ、現実はほとんど無理なのでしょうけどね。
実久海岸辺りの山の木々には、独特の白い幹と丸い樹冠が見られます。それらは私にハワイ島の「コアの木」を思い出させました。ハワイは私が幼少期を過ごした思い出の場所です。感傷に浸りながら、大島海峡を見渡せる「夕日の丘」へと急ぎ足で向かいました。到着したころには日が沈み始め、空は赤く染まっていました。
大島海峡の景色は夢見心地になれる穏やかなものですが、対岸の奄美大島の西端にある西古見(にしこみ)という小さな港には、開発の手が及ぼうとしています。中国から数千人の観光客を運び込もうと、アメリカの大手クルーズ会社がクルーズ船の寄港を計画し、それを受け入れる接岸施設が西古見に造られようとしているのです。港の開発が始まれば、アクセス道路、護岸工事など、影響は半島全体へと拡大し、景色や自然環境はがらりと姿を変えてしまうでしょう。
名目は観光促進ですし、大型クルーズ船は一見、地元にとっておいしい事業にも思えます。しかし、世界の事例からもわかるように、大型クルーズ船の寄港は、小さな集落にとっては地域の破壊につながるケースがほとんどです。港に降り立った観光客は、地元で買い物をするかというと、そうではなく、クルーズ会社や中国系の資本が経営するショッピングセンターの店で買い物をします。食事と宿泊は船の上ですから、利益は結局、外部に流れていき、地元には残りません。一方で、島の景観や自然環境は壊滅的なダメージを受けます。
三月に刊行した『観光亡国論』(清野由美との共著。中公新書ラクレ)では、健全な観光を築くために役立つ、世界各地の事例を紹介しました。大きなポイントは「Quality over Quantity(量より質)」という基本的な概念です。近年、世界中の人たちが観光旅行をする中で、「量」ばかりを目指した観光地はレベルが落ち、「観光公害」が引き起こされます。反対に、「質」を目指したところにはよい客が来て、経済的な面でも、文化的な面でも、観光業がうまく回っていきます。しかし、残念ながら西古見のクルーズ船の事業プランは、「量」を基準に考えた典型的なもので、奄美にさらなる破壊をもたらすことが予想されます。
今、この目の前の眺めも、大規模な工事によって、近い将来に消滅してしまうかもしれない。ここでも寂しい思いで、大島海峡に沈みゆく夕日を眺めました。
奄美の自然は、心の深いところに尾を引く力があります。戦後、千葉から奄美に移って絵を描いた日本画家、田中一村(いっそん)も奄美に魅せられた一人でした。彼は、生きているうちは不遇で、世の評価を得ることができませんでしたが、後世にその真価が認められ、「日本のゴーギャン」と呼ばれるようになりました。離島に移住したことが、タヒチに移り住んだゴーギャンに重ねられたのでしょう。
今では奄美空港のすぐ近くに「田中一村記念美術館」があり、私たちは彼の絵をゆっくりと鑑賞することができます。実際に作品に接すると、その絵のタッチはゴーギャンというより、素朴派のルソーに近いものです。人物画を好んで描いたゴーギャンと違い、一村の絵はシダ、アダン、ガジュマル、鳥、海辺の岩などが対象で、ルソーのジャングルの絵のように、自然そのものを力強く描いています。
一村だけではありません。今回、ジャン・マルクの引き合わせで、名瀬で工房を営む陶芸家、池波陶柳さんにも会うことができました。奄美の言葉で「やんちゃ」を意味する「野茶坊(やちゃぼう)焼」をその名に掲げる彼の作品は、作家の人柄同様に明るく素朴で、魅力的です。奄美はアーティストが生まれる島なのです。
奄美には、これまで私が日本で見た中でも一番きれいな状態で自然が残されていました。原生林とともに、レジャー開発を免れた美しい海岸も数多くありました。諸鈍のデイゴ並木という幻想にも巡り合えました。
一方、嘉徳浜は奇跡が起こらない限り、破壊されてしまう運命です。諸鈍のデイゴ並木は今のところは大丈夫ですが、将来が心配です。西古見には恐ろしい大規模工事と、クルーズ船の人混みが待ち構えています。
日本を旅する行為、つまり「ニッポン巡礼」には、心の琴線に触れる発見がたくさんあると同時に、儚さへの憂い、とめどなく進む破壊に対しての恐怖が常に同居しています。日本では、こうした感情をスリルとして楽しむべきなのでしょうか。今回の旅は甘くほろ苦いものでした。
構成・清野由美 撮影・大島淳之
*季刊誌「kotoba」36号(2019年夏号)より転載
著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。