ニッポン巡礼 Web版③

知られざる「日本美の聖地」へ

滋賀県・三井寺【前編】

アレックス・カー
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天台密教というミステリー

 

 さらに奥へ進んだところに「一切経蔵(いっさいきょうぞう)」という建物があります。これは江戸時代前半に、毛利輝元が山口から移築したものです。一切経蔵とは密教独特のもので、箱のように四方を壁で仕切っただけのシンプルな建物の中心に、「輪蔵」という細長い八角形のお堂のようなものが立っています。輪蔵には棚と引き出しが詰まっており、その中にお経の集大成である「大蔵経(だいぞうきょう)」が収められています。

「一切経蔵」の外観。歳月を経た迫力が宿る

「一切経蔵」の内部。ここに密教の貴重な経典が収められた

 

 輪蔵は中心の柱を軸にして、全体を回転させることができる仕組みです。この輪蔵を回すことによって、お経に書かれている文字の力が空気を伝って地球全体に広がっていく、ということで、回した人にとって功徳を得る行為です。

 同様のものは、京都の仁和寺や清凉寺(せいりょうじ)など、多くの場所で見ることができます。また日本に限らず、北京の智化寺(zhihuisi)にも立派なものがあります。その意味で、チベットや韓国など、アジア全土に伝わる一つの信仰の形と言えます。

 三井寺を訪れた時、私は英語で「般若心経」を海外に紹介する本を書いている最中でした。般若心経は「羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい)波羅羯諦(はらぎゃてい)〜」という真言で終わり、それを唱えることによって霊的な力を発信すると、昔から信じられています。輪蔵を回すことも、真言を唱える行為につながっていると言えます。

 しかし、欧米でこの思想を紹介するにあたって、一つの問題に直面しました。そうした霊力は「単なる迷信」なのか、あるいは普遍的な真理によって実際に存在するものなのか、説明がつかないのです。現時点では「ミステリー」としか言いようがありません。

 二〇世紀後半から、日本に興味を持つ多くの外国人は、禅宗の簡素でストレートな思想と美術に焦点を当ててきました。しかし、一九世紀に、フェノロサや彼のまわりの友人たちは、禅よりも天台密教の方に魅了されました。開国後に日本にやって来た彼らは、「未知の国ニッポン」で様々なことを探求しながら、この国の奥深くにあるミステリーを追求したのです。

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ニッポン巡礼

著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。

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ニッポン景観論

プロフィール

アレックス・カー

東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『ニッポン景観論』(集英社新書)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。

 
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