大きな炎を背負ったノートルダム
そんな思いが頭を巡るなか、近くに住む友人に火災のことを報せると、なかば期待通りの、しかしどこか落ち着かない反応が返ってきた。「見に行く?」
10分後、わたしたちは現地に向かうRER(パリと郊外をつなぐ急行鉄道)のB線に乗り込んでいた。車内で偶然、同じくノートルダム目当ての研究仲間と合流。すでに立入り禁止になっているというサンミッシェル・ノートルダム駅のひとつ手前、リュクサンブール駅で降り、それから徒歩でセーヌ川方面に向かった。
リュクサンブール、カルチェラタン周辺は普段と変わらぬ様子だったが、サンミッシェルではすでに交通規制が行われ、ただでさえ人通りの多い地区が人と車でごった返している。ノートルダムのあるシテ島へ続く道はどこも封鎖されており、直接河岸へ出ることはできない。セーヌ川上流から回りこもうと繁華街を抜け、サンセヴラン教会を横目に東へ向かっている途中、ガランド通りにある小さな広場に人だかりができていた。みな腕を伸ばし、スマートフォンを高々と掲げ、せわしなく写真を撮っている。群衆のなかを分け入っていくと、市立公園越しに大きな炎を背負ったノートルダムが覗いている。幸い西のファサードは無事らしいが、聖堂東側上部は休むことなく燃え続け、火の勢いが強まるたびに周りから声が上がる。尖塔は崩落してすでにない。
どうしてもツイッターで見た動画とおなじ画角で大聖堂を確認したかったので、遠回りしてトゥルネル通り沿いの河岸へと降りていった。みな考えることはおなじらしく、河岸にはすでに多くの人が集まっている。集まった人々の視線の先で、ノートルダムは闇のなか、水面に光を反射させながら赤く浮かびあがっていた。
フランスの、ヨーロッパの歴史を象徴するノートルダム大聖堂を襲った火災。またたく間に世界中へ伝わった痛ましい悲劇の報せが、思わぬ波紋を呼んでいる。「エリート」と「庶民」、そこには、パリのみならず世界が抱える深い断絶が浮かび上がっていた……。パリに学ぶ若き中欧文学研究者が捉えた「ノートルダムが燃えた日」とは。
フランスの、ヨーロッパの歴史を象徴するノートルダム大聖堂を襲った火災。またたく間に世界中へ伝わった痛ましい悲劇の報せが、思わぬ波紋を呼んでいる。「エリート」と「庶民」、そこには、パリのみならず世界が抱える深い断絶が浮かび上がっていた……。パリに学ぶ若き中欧文学研究者が捉えた「ノートルダムが燃えた日」とは。
プロフィール
1988年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程在籍。ミラン・クンデラを中心に、チェコと中東欧の文学を研究中。論文「亡命期のクンデラと世界文学」(『れにくさ』第8号、2018年)、「偶然性と運命」(『スラブ学論集』第20号、2017年)、エッセー風短篇「中二階の風景」(『シンフォニカ』第2号、2016年)、留学記「中空プラハ」(http://midair-prague.blogspot.com)など。