エッフェル塔、凱旋門、ルーブル美術館……。パリの名所と聞いて、何処を思い浮かべるだろうか。もし、そこにノートルダム大聖堂が欠落していたら、大きな違和感を抱くだろう。
そのノートルダムが燃えたというニュースは、祈りを捧げる人々の姿や、文化人たちが嘆き悲しむ数多くの声とともに、記憶に新しいはずだ。だが他方で、火災はフランスに静かな、しかし決して小さくない波紋を呼んでいる。
パリでチェコ文学を学ぶ気鋭の研究者が、その日、目にした光景から波紋の意味を考える。
ヨーロッパの終わり?
セーヌ河岸、トゥルネル通り沿いから撮影した動画だろうか。みずからを軽く呑みこんでしまうほど大量の煙を放ちながら、後にそのすべてが焼け落ちる尖塔を這いあがるかのように、誰もが知る大聖堂の屋根をオレンジの炎が包んでいた。
──ノートルダムが燃えている。4月15日、夜8時前。夕食をとりながらツイッターのタイムラインを確認しているとき、目に飛び込んできたのはそんな映像だった。
「なんて年にパリに来たんだろう。」これが第一の感想だ。昨年9月に渡仏したわたしは、半年も経たないうちに、非ヨーロッパ人向け大学学費の大幅値上げ、「黄色いベスト」運動など、フランスという国のあり方を大きく揺さぶる動きを立て続けに目撃することとなった。そこにきてこの事件である。すぐに杞憂だとわかったが、テロリズムや放火という最悪のシナリオも一瞬頭をよぎった。
わたしがパリに来たのは、ミラン・クンデラ(1929-)というチェコスロヴァキア出身でフランスに亡命した小説家を中心に、チェコと中東欧の文学を研究するためである。クンデラは小国チェコと大国フランスの狭間で独自のヨーロッパ観を語った。小説という偉大な散文形式を生み育ててきたヨーロッパ、理性と寛容と多様性とをその本質とするヨーロッパは、20世紀の大戦およびそれに続くソ連の東欧支配で実質的には終わっており、今となってはある種の郷愁やノスタルジーとしてしか存在しない。極端で悲観的ともいえるクンデラのヨーロッパ観は、わたしが西欧を、とりわけその文化的中心であるフランスを考えるうえでもひとつの目安になった。わたしもいつか何らかの「終わり」を経験することになるのではないか。どこかでそう予感してはいたものの、まさかそれがこのようなかたちでやって来るとは……
フランスの、ヨーロッパの歴史を象徴するノートルダム大聖堂を襲った火災。またたく間に世界中へ伝わった痛ましい悲劇の報せが、思わぬ波紋を呼んでいる。「エリート」と「庶民」、そこには、パリのみならず世界が抱える深い断絶が浮かび上がっていた……。パリに学ぶ若き中欧文学研究者が捉えた「ノートルダムが燃えた日」とは。
プロフィール
1988年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程在籍。ミラン・クンデラを中心に、チェコと中東欧の文学を研究中。論文「亡命期のクンデラと世界文学」(『れにくさ』第8号、2018年)、「偶然性と運命」(『スラブ学論集』第20号、2017年)、エッセー風短篇「中二階の風景」(『シンフォニカ』第2号、2016年)、留学記「中空プラハ」(http://midair-prague.blogspot.com)など。