大江千里のジャズ案内 「ジャズって素敵!」 最終回

新世代の新しいジャズの潮流

大江千里

ロバート・グラスパーの衝撃

さて、ここまで述べたジャズ史観はいちジャズファン目線でした。

2008年の春、ニューヨークのジャズ大学「ニュースクール」へ留学した僕が、アメリカへ渡って最初の夏に面白い体験をしました。毎年夏にマンハッタンの二ヶ所で行われている無料のイベント「チャーリー・パーカー ジャズフェステイバル」へ足を運んだ時のことです。

多くのジャズミュージシャンが詰めかける賑わいのあるイベントで、バードにゆかりのあるアーティストがいっぱい演奏します。そこでメインの出演者の合間に、MCが一人の黒人青年を紹介したのです。

「もう知ってる人は知っているとは思うが、彼はこれからのジャズの世界を変える男だと私は思う」

MCにそう言われて、恥ずかしそうに一人の男がソロピアノを弾きにステージに上がりました。その人物こそが、現在のジャズの世界に大旋風を巻き起こしているロバート・グラスパーだったのです。

最初、彼は即興で抽象画を描いているように演奏を始めたのですが、やがて熱を帯びてくると、さまざまなテクニックを披露しはじめました。おそらく彼のルーツであろう教会へリスペクトを捧げている印象を受けました。場所はハーレムでしたからものすごい数の黒人が来ていて、人種に関わらず怒涛のような盛り上がりを見せました。

僕がこの時想起したのは、当時話題になっていたジャズピアニストの新たな潮流であるブラッド・メルドー、アーロン・ゴールドバーグなどの存在です。彼らもジャズを新たな世界へ広げようとチャレンジしていました。

アーロンは知的な傾向が強く、ブラッドはものすごい繊細でポップな要素を意識して取り込んでいました。地下鉄でブラッドの譜面を目で追っている僕に、白人のおばあちゃんが「あなた、ブラッドのファンなのね。ピアニスト?」って声をかけてくるほどの人気でした。

そんな2人の存在をグラスパーを見てまず思い出し、しばらくしてから「いや、違う。全く違う」と頭を横に振ったのでした。

それはジャズとは袂を分かつ「雑食ロック感」でした。90年代頭に少しの間、僕はマンハッタンにアパートを借りてたのですが、この頃ラジオから流れてたミシェル・ンデゲオチェロの音楽を真っ先に思い浮かべました。

彼女の音楽はジャンル分けできない音の玉手箱で、オリジナルなメロディに加えファンク、フォーク、そしてジャズやフュージョンなどあらゆる音楽の影響が混在していました。中でも、とりわけ雑食ロック感というような印象が強かったのです。

グラスパーの奏法はそれに近い感じでした。グルービーでジャズへの教養が深いのにジャンルを跨ぐ雑食な感じがあるのです。

ちょっと話はそれますが、90年代初頭マンハッタンのダウンタウン、ブロードウェイ沿いのタワーレコードで行われたミシェル・ンデゲオチェロのサイン会に並んだことがあります。その時集まっていたファンはどちらかというと、見た目がグランジロックのそれでした。彼女の音楽はグランジな人たちにも受け入れられていたのです。

当時のニューヨークでは、白人ラップグループのビースティ・ボーイズが大人気で、アメリカ全土でグランジロックが全盛。そして黒人音楽は圧倒的にマイケル・ジャクソンが強かったです。

そんな時期に、ア・トライブ・コールド・クエストというヒップホップグループが現れました。彼らはサンプリングにキャノンボール・アダレイの楽曲を使うなどジャズ色が強く、また客演にロン・カーターなどジャズミュージシャンが参加していました。

このグループが歌う世界はジャンルを超えていて、歌詞が「見た目が色々あっても眠い時は眠い、ゆったり構えてリラックス、自分を解放しろ」というような、それまでのギャングスタラップ全盛の作品とは一線を画す温かみのあるものでした。この頃の彼らのムーブメントとアトモスフェアが、クールで格好良かったです。

80年代終わりには、一旦ブームが収束して静かな印象のジャズシーンでしたが、過去のジャズをサンプリングして、リスペクトと愛を込めて新たな社会との格闘を始める動きが台頭してきたのです。ア・トライブ・コールド・クエストがまさにそういうグループでした。

ハーレムのジャズフェスで、チャーリー・パーカーの名のもとでピアノを弾く青年。ジャズ色に染まったその会場で僕が聴いたジャズを超えた何か新しい未来へ向いている音楽。ちなみにその数年後に青年はそのまさにア・トライブ・コールド・クエストのメンバーでもあったQティップとコラボを果たします。

90年代から続いていたヒップホップのサンプリングの音楽としてだけではなく、ジャズ自体が世界中に驚きを与える革命的な音楽として注目を集め、多様性を持ち始める時代がやってくるのはもう少しあとのことです。そこにはこのロバート・グラスパーがキーパーソンになっていきます。

グラスパーのその後のキャリアはどうか。『Double Booked』(2009年)でヒップホップとジャズの掛け合わせに取り組み、ポップスのマーケットで“ジャズの素敵”をジャズ側から近付ける動きをし、その次のアルバムの『Black Radio』(2012年)でそれまでのエリア的な、人種的な、カテゴライズ的なジャズを一気にぶっ壊す動きを加速させます。

ちなみにグラスパーは、我がニュースクールの卒業生であり(ブラッド・メルドーも同じくですが)、僕が在籍した2008~12年頃には、すでにシーンの中心にいた彼に対して「どこへジャズを連れて行くのだろうか」という想いでその背中を見つめたものです。

グラスパー世代の功績によって、大きくジャズの可能性が外向きに開いた印象があります。そしてその機運はZ世代へと受け継がれていきます。

次ページ ジャズの新潮流とZ世代
1 2 3 4 5 6 7
 Vol.6

プロフィール

大江千里

(おおえ せんり)

1960年生まれ。ミュージシャン。1983年にシンガーソングライターとしてデビュー。「十人十色」「格好悪いふられ方」「Rain」などヒット曲が数々。2008年ジャズピアニストを目指し渡米、2012年にアルバム『Boys Mature Slow』でジャズピアニストとしてデビュー。現在、NYブルックリン在住。2016年からブルックリンでの生活を note 「ブルックリンでジャズを耕す」にて発信している。著書に『9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学』『ブルックリンでソロめし! 美味しい! カンタン! 驚きの大江屋レシピから46皿のラブ&ピース』(ともにKADOKAWA)ほか多数。

集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル
プラスをSNSでも
Twitter, Youtube

新世代の新しいジャズの潮流