酒というものが旨くてしかたがない年頃がある。
世間から大人と見なされる年齢に達して、おおっぴらにアルコール飲料を嗜むことができるけれども、まだあまり経験はない。学生仲間と飲む安酒、大人が教えてくれる上等な酒――世の中にはいろいろな酒の種類があると思って、毎度盛り場へ行くたびに、未知なる大海へ乗り出す心地がするーーわたしが酒を飲みはじめた頃は、そんなふうだった。
この頃、始終一緒に飲んだO君という友達がいる。
わたしたちは互いに飲み屋や食べ物屋の情報を交換し合ったが、どちらかといえば、O君に教わる方が多かった。
ある時、彼がこんなことを言って来た。
「会社の先輩から聞いたんですけど、新橋に『トニーズ・バー』っていうすごく良いバーがあるんだそうです。お酒もそろってるし、カクテルがとびきり美味しいんですって。『トニーさんのとこなら、何でも旨い。水を飲んでも旨い』って先輩が言ってました」
「へえ。そいつは行かなきゃ!」
わたしはさっそくO君と新橋駅で待ち合わせ、そのバーへ行ってみた。
今はあの辺も様子が変わってしまったろうが、新橋駅から山手線に沿って銀座の方へ歩いて行き、「十仁病院」の裏へ入ると、小さいビルの間に黒々とした瓦屋根の二階家が一軒だけ残っていた。その向かいに薬局があり、わきに地下へ下りる階段があった。
「トニーズ・バー」はそこの地下にある店だった。
店内は鰻の寝床式に細長くて、カウンターの両端に少し椅子席があるが、大部分のお客は立って飲まなければいけない。カウンターの向こうは、足元から天井まで壁一面が洋酒の棚になっていて、酒壜が隙間なく並び、ウイスキーだけでも千五百種類を数えた。
その酒の棚を背にして、店主のトニーさんとお姉さんのベティーさん、それに助手の人――わたしが行きだした頃は、中川さんという青年――がいた。客は年輩の人が多く、サラリーマンもいれば、新橋・銀座を遊び歩いた通人のような旦那もいた。有名なお寺の住職にも会ったことがあるし、中には作家などもいただろう。高木順や吉田健一が愛用したバーだという話は、O君から聞かされていた。
奥の方にいるトニーさんは当時もう五十代だったろう。身体つきががっしりしていて、背も高く、イギリス紳士のような風貌だった。眼鏡ごしにこちらを見る眼は厳しかったが、笑うと、とたんに屈託のない、人なつこい顔に変わった。
初めての時、わたしたちはいささか緊張し、店の真ん中辺に立って、まずカクテルのギムレットを注文した。それが美味しいとO君が先輩に聞いたのだ。
「トニーズ・バー」のギムレットはふだん「ローズ」のライムジュースを使うのだが、あの時はたまたまそれを切らしていて、 生のライムを使った。トニーさんはシェーカーに材料を入れると、腰を入れて力一杯、放りつけるように前後に振る。小刻みにカチカチ、という流儀ではない。
グラスに注いだギムレットをベティーさんが持って来る。
ギムレットはさっぱりして、甘すぎず酸っぱすぎず、スーッと水のように喉を通った。カクテルを旨いと思ったのは、それが初めてだった。
べつのものをくださいというと、スティンガーをつくってくれた。ブランデー・ベースのカクテルで、ミントが利いて後味が涼しく、これもまた水のようだ。
以来、わたしはこの店でいろいろなカクテルを教えてもらった。
トニーさんがつくるのは古典的なカクテルばかりで、オリジナルというのは聞いたことがない。けれども、その古典が何と素晴らしいのだろう。
わたしがよく飲んだのは、前述のスティンガーにサイドカー、マティーニ、トム・コリンズ、それに店自慢のオールド・ファッションというところだったが、トニーさんのレパートリーは素敵に広い。O君と飲んだカクテルのうちで、とくに印象に残っているものを挙げてみよう。
「フレンチ・セヴンティー・ファイヴ」
これはジン・トニックに似ている。違いは、ジンをトニックウォーターではなく、シャンパンで割るところだ。いかに口あたりが良いか、御想像がつくだろう。
トニーさんの冷蔵庫にはいつもシャンパンの小壜が入れてあり、一本でこのカクテルが四杯できた。シャンパンの口を開けたら、もちろん使いきらないといけないから、わたしとO君は二杯ずつ飲むことになる。
一杯目が出て来ると、わたしたちは、
「それっ!」
とあわててグラスに口をつけた。こいつを早く飲み干さないと、残りのシャンパンの気が抜けてしまう。百メートル全力疾走する勢いで、ゴク、ゴク、ゴクと息もつかずにグラスを空ける。トニーさんがニコッとして二杯目をつくってくれる。
ああ、今度は落ち着いて味わえるワイ。
「プレーリー・オイスター」
これはアルコールの入らないカクテルだが、ノン・アルコール飲料ではない。
「トニーズ・バー」に食べ物はなかった。おつまみに柿の種と砂糖をまぶしたレーズンが出るばかりだ。
ある時、わたしたちがよほどひもじそうにしていたのだろう。
「こんなのはいかがです」
といってつくってくれたのが、このプレーリー・オイスター――大草原の牡蠣――である。
一体何かというと、タマゴである。新鮮な生卵を穴のあいたスプーンを使って、黄身だけカクテルグラスに入れる。そこにタバスコとソースを少々。グッと吞み込む――そう、生牡蠣の食べ方だ。アメリカの大草原にいる人が、牡蠣は食べたし牡蠣はなし。代用品を思いついたという趣向である。
バーという商売は、新鮮な卵を用意しておかなければならないのだと思った。
「ゴールデン・ドーン(黄金の暁)」
わたしは大学の頃からアーサー・マッケンという作家が好きで、O君も同じだった。
そのマッケンが十九世紀の末、「黄金の暁」というオカルティズムの結社に入っていたことがある。その結社と同じ名前のカクテルがあることをO君がどこかで調べて来た。
トニーさんに注文すると、めったにつくらないカクテルだといって、「サヴォイ」のカクテル・ブックを引っ張り出し、そこに載っている製法でつくってくれた。
これはカルヴァドスとジン、アプリコット・ブランデー、オレンジジュースを主材料とする。赤とオレンジ色が混じり、東空に昇る太陽を思わせる。さほど強烈な特徴はないが、酸味のあるさわやかな味だった。
しかし、オカルティズムの結社とは関係がないようである。
「ゾンビ」
このカクテルは手間がかかるので、忙しい時に頼むと叱られた。
ロンググラスに色の濃いラムと薄いラムを数種類入れ、ライム・ジュースなどを加える。ラムは混ぜないので、グラスの中にオレンジ色や茶色がほのかな層をなしている。トニーさんは一番おしまいに、アルコール度数七十五度のロンリコ・パープルを少し入れた。
口あたりは良いが、滅法強い。良い気になってグイグイ飲むと、あとでゾンビと化すわけである。
どんなカクテルもトニーさんの手にかかると、水のように飲みやすかった。ベースに強い酒を使っても、である。あれは今もって不思議でならない。女性をカクテルで酔わせる話は昔からあるが、あんなカクテルを勧めたら、たいがいの女性はイチコロだろう。
わたしはそういう不道徳なことはしなかったが。
女性といえば、トニーさんのバーは女人禁制だった。
いや、正確にいうと、女性を入れないのではなく、男の同伴者のいない女性をお断りしたのである。
昨今の御時世では、とても許されないことだろう。あの頃でもそういうバーは珍しかったが、トニーさんは方針を押し通した。理由を訊かれると、こんなふうに答えた。
「英米のバーにエスコートのない女性がいれば、その人はプロフェッショナルだというのが常識です。うちは外国のお客さんもよくいらっしゃるものですから、トラブルを避けるために、お断りしているんです」
時々、ふざけてこんなことも言った。
「うちのお客さんはおサワリをする人が多いもんですから」
しかし、中には一人で来て一杯飲んだ女性もいる。
わたしの知り合いに「カコちゃん」というあだ名の美人がいた。銀座のクラブに勤めていたが、わたしはもちろん、そんなところに縁はない。よそで知り合ったのである。
トニーズ・バーの話をすると、ぜひ連れて行けという。そこで、「銀座ナイン」のジュース・スタンドで落ち合い、一緒に行って二、三杯飲んだ。カコちゃんはいたくギムレットが気に入り、御機嫌で、そのまま職場へ行った。
良いバーだから、また行きたいとカコちゃんはしばらくして思った。しかし、一々わたしなどを誘うのは面倒くさい。
ある日、彼女は一人で「トニーズ・バー」へ行くと、
「南條さんと待ち合わせなの」
といった。
「アラ、そう。どうぞ」
とベティーさんが椅子席に坐らせてくれた。カコちゃんは気さくなベティーさんとおしゃべりしながら、美味しいカクテルをたっぷり味わい、そのうち時計を見て、
「おかしいなあ。来ないなあ。約束を間違えたのかしら」
そういって、悠然と店を出た。
これはカコちゃんの話だったと思うのだが、記憶がもし違っていたら、ごめんなさい。
(第5回 了)
今はない酒場、幻の居酒屋……。酒飲みにとって、かつて訪ねた店の面影はいつまでも消えることなく脳裏に刻まれている。思えばここ四半世紀、味のある居酒屋は次々に姿を消してしまった。在りし日の酒場に思いを馳せながら綴る、南條流「酒飲みの履歴書」。