NHK杯のショートプログラム(2018 NHK Trophy SP)の素晴らしさは、2月15日に発売になる拙著『羽生結弦は捧げていく』の中でもふれていますが、冒頭で見せてくれたトリプルアクセルの見事さ、『G線上のアリア』にノーブルに呼応したミュージカリティは、本当に絶品でした。
ここに至るまでに、どれだけの努力をしてきたのか。折れそうな気持ちをどれだけの思いで律してきたのか……。
「私にはそれらが想像できる」と軽々しく言いたくはありません。それらを想像しようと努めたとき、抱くのは「リアルな共感」などではなく、「思わず背すじが伸びるようなリスペクト」です。
山本草太、そしてもちろん羽生結弦……、私には「好きな選手」が挙げきれないほどたくさんいます。ただ、それ以上に私はフィギュスケートというスポーツそのものが好きです。ですから、そのスポーツで切磋琢磨している選手たち全員をリスペクトしています。もしかしたら綺麗事に聞こえるかもしれませんが、本気でそう思っているのです。
私は若いころテニスをやっていました。それなりに真剣にやっていたつもりですが、「芽が出る」などというレベルには程遠い結果ばかりでした。そんな私からすれば、「地区を代表する」レベルにまで自分を高めてきた選手たちの才能や努力は、どんなスポーツであれ尊敬に値するのです。ましてや「国を代表する」レベルになると、正直、想像もつきません。
男子テニスで言えば、私はロジャー・フェデラーと錦織圭のプレイが大好きですが、だからと言って、
「テニス界にはフェデラーと錦織圭だけいればいい」
ということにはなりません。ほかの選手たちのプレイを見るのも好きですし、それ以前にフェデラーと錦織圭しかテニス選手がいなければ、テニスの試合はテレビで中継されることは絶対にない。二人だけの選手で、スポーツをそこまで大きくすることはできないのですから。
「少しでも上に行きたい」と、全身全霊でその種目に向き合っている選手たちが世界中に数え切れないほどいるからこそ、そのスポーツは盛り上がっているのです。そして、フィギュアスケートもそんなスポーツのひとつ。盛り上がっているスポーツだからこそ、1980年、日本に住む9歳の私は、テレビを通じてレークプラシッドオリンピックのフィギュアスケートに出会えた。その最初の感激は、今では感謝に近い感情になっている。私はその感情を忘れたくありません。
山本草太だけではなく、スケーターは誰もが、大なり小なり体の故障や不調と向き合いながら、「自分が目指している演技」にたどり着こうと努力をしています。
ひとりの観客として、彼ら、彼女たちが、これ以上の心身の不調に見舞われないことを第一に祈りつつ、
「それぞれが目指す高みに手が届いたときの、あの表情」
を心待ちにしたいと思っています。
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『羽生結弦は助走をしない』に続き、羽生結弦とフィギュアスケートの世界を語り尽くす『羽生結弦は捧げていく』。本コラムでは『羽生結弦は捧げていく』でも書き切れなかったエッセイをお届けする。
プロフィール
エッセイスト。東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業後、出版社で編集に携わる。著書に『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』『恋愛がらみ。不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』『愛は毒か 毒が愛か』など。