21世紀のテクノフォビア 第1回

テクノロジーの歴史は「機械ぎらい」の歴史

速水健朗

■スティーヴン・キングが考える恐怖の根源

ちなみに作家のスティーヴン・キングも飛行機嫌いである。彼は、自分のコントロールが効かないところに原因があると述べている。

 「飛行機の原理は理解していたし、安全統計も余さず理解していたが、そんなものはなんの約にも立たなかった。わたしの問題の一部は、自分の置かれている状況をすっかりコントロールしたいという欲望にあった(し、その気持はいまも残っている)。自分でハンドルを握って車を走らせているときには安心できる――自分を信じているからだ。
(『死んだら飛べる』スティーヴン・キング、べヴ・ヴィンセント編、白石朗・中村融訳、竹書房文庫)

キングが言うように飛行機に乗って死亡事故に遭遇する確率は、鉄道、自動車、船などに比べて低い。それは、安全確認に一番コストをかけているのが航空業界だから。一度事故が起こった際に社会全体が反飛行機、つまり「エアプレーンフォビア」を引き起こすからだ。飛行機の普及以前、飛行船が空の交通手段の主流になりかけていたが、ヒンデンブルク号の事故で一気に業界ごと消えた。テクノフォビアは、社会的なヒステリーの側面もあるが、人々がどのテクノロジーを選び取るかに一躍買ってもいるということ。

さて、スティーヴン・キングの話に戻るが、自分でコントロールできないものの怖さという話は、とても現代的でもある。キングの話は、自分で運転しないから飛行機が怖いのだという。飛行機のパイロットがいるコックピットとキャビンルームは隔離されているから飛行機はブラックボックスでもある。まるでベッドルームの下にブギーマンがいると思い込む子どもの想像力の話のようだ。

恐怖を扱うホラー作家が飛行機を怖がる。テクノロジーと恐怖は、背中合わせだ。”人類が自ら生み出したテクノロジーによって危機を迎える話”は、人造人間からAI、DNA解析と編集技術で復活した恐竜に至るまで、数多く存在する。テクノロジーフォビアと常に向かい合っているのは、作家とハリウッドなのだ。

新しいテクノロジーが登場したときに、最大限にそれが世界を変えると思うものがいる。一方で、それこそが社会に悪影響を与えるというものも出てくる。冷蔵庫フォビアのようなものであれば、時間とともに解決されるだろう。ただ嫌悪のあまりに制限や規制が強まれば、その普及をさまたげることになる。「ゲーム脳」や「ゲーム条例」のようなテクノフォビアであれば警戒してかかる必要がある。「いんちき文明批判」や「脱成長主義」みたいなものもそうだろう。テクノロジーの発展は、テクノロジーをおもしろがり前に進めようとする発明者の存在だけで前に進んできたわけではない。それでは人類は滅びてしまうというテクノフォビア的なブレーキ役も伴って発展してきたのだ。

フランスのエミール・ゾラは、19世紀後半に活躍した作家。彼の時代にちょうど自動車が発明され、想像どおりにそれを嫌う人々の反発が生まれていた。その中でゾラは、自動車の明るい展望を予見した。「未来は自動車のものだ――それは人間を開放するからだ」(『自動車の世紀』折口透、岩波新書)。感動的な言葉だが、案の定、ゾラに自動車について質問した者は、自動車の危険性を無視するんですかとゾラにクソリプを飛ばしてきた。ゾラは、「それならブレーキを改良すればよいでしょう」と返した。以降、自動車の技術発展の中でブレーキが重視する流れが生まれた。テクノフォビアとテクノロジー礼賛は、発展の両輪なのだ。

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21世紀のテクノフォビア

20年前は「ゲーム脳」、今は「スマホ脳」。これらの流行語に象徴されるように、あたらしい技術やメディアが浸透する過程では多くの批判が噴出する。あるいは生活を便利なはずの最新機器の使いづらさに、我々は日々悩まされている。 なぜ私たちは新しいテクノロジーが生まれると、それに振り回され、挙句、恐れてしまうのか。消費文化について執筆活動を続けてきたライターの速水健朗が、「テクノフォビア」=「機械ぎらい」をキーワードに、人間とテクノロジーの関係を分析する。

プロフィール

速水健朗

(はやみずけんろう)
ライター・編集者。ラーメンやショッピングモールなどの歴史から現代の消費社会について執筆する。おもな著書に『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)『1995年』(ちくま新書)『東京どこに住む?』『フード左翼とフード右翼』(朝日新書)などがある。

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テクノロジーの歴史は「機械ぎらい」の歴史