■キーウ駅でサバイバル・お泊まり
電車は午後9時30分に、夜間外出禁止令の時間をしっかりと超えてキーウに到着した。私はとなりのコンパートメントにいた、取材をシェアする予定になっている写真家の八尋伸(やひろ・しん)さんと合流した。
ここでちょっと余談だが、基本、取材はお金がかかる。通訳、コーディネーター、車両の手配。1日の経費が原稿料1本分を上回ることなんてザラなので(そして原稿は1日の取材だけでは書けないことも多い)、資金の少ないフリーランスは行動を共にしながら経費を折半し、それぞれの取材をしていくのだ。
今回はたまたまリビウに同じ時期に到着した八尋さんと、その場で相談して協力することを決めた(最初はコロンビア人の友人と3人で協力する予定だったが、彼がリビウで盲腸になってしまったため断念)。八尋さんとはこれまでに一度しかあったことはなかったが、淡々とした彼の雰囲気から無理なく行動を共にできそうな気がしていた。
巨大なキーウ駅は真っ暗だった。空爆の標的にならないように電気を消しているのだ。
「でも駅がどこにあるのかはロシア軍もすでにわかっているはずなのに、意味あるんですかねー」
予想通り、淡々とウクライナ政府にツッコミを入れる八尋さん。
構内では多くの人が行ったり来たりしていた。出入口には警察か兵士がいて、みなが外に出られないようにしていた。
八尋さんが駅構内で開いている店がないか探してくると言って食料調達に出かけてくれた。数分後に小さなアルミの器をいくつも持って戻ってきた。
「ボランティアの人たちが配給してたんです。くれるというからお金を少し寄付してもらって来ました」
なんとボルシチ・スープだった。キーウ初のボルシチが配給だなんて感慨深いではないか。スーツケースをイスにして食べる。戦場慣れ、山慣れしている八尋さんは頭にライトをつけて完全装備だ。聞けば敷きマットや寝袋まで持っているという。私は前線での取材経験はそれほどない。お金の面だけでなく、八尋さんのようなシリアなどいろんな地域で取材をした人と一緒というのは心強い。
だがふと目線をあげて気づいた。こんな風に駅で座り込んで食べている人は誰もいない。これからの取材にもちょっとした図々しさが必要なのかなと感じつつ、この光景を見てつい笑ってしまった。
ありがたいのは、明らかに浮いているのに誰も冷たい目で私たちを見ないことだ。近くの壁にはゼレンスキー大統領がヒーローに変身した加工写真が貼ってあった。私たちの食事をまったく気にせず、孫と祖母がその写真をニコニコしながら見ている。
「あっちのほうに行けばソファで寝られるみたい」
先ほど列車で別れたばかりのイリーナさんが現れた。彼女も歩いて10分の家に帰ることができず、まだ私たちが右往左往しているのを知って寝床を見つけてくれたのだ。
連れていってもらったのは女性や小さい子に開放されているVIP用のラウンジ。掛け布団まで貸してもらって眠りについた。外国人として特別扱いしてもらっていることが心苦しくもありながら、イリーナさんや駅の人たちの好意に甘えた。
翌日、外出禁止令の解ける午前6時にイリーナさんに何度もお礼を言って別れた。
ロシアによる侵攻で「戦地」と化したウクライナでは何が起こっているのか。 人々はどう暮らし、何を感じ、そしていかなることを訴えているのか。 気鋭のジャーナリストによる現地ルポ。
プロフィール
1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。同作により第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程への留学経験がある。