ウクライナの「戦場」を歩く 第1回

お茶の間から戦地ウクライナへ

伊藤めぐみ

■2つの顔を持つ謎のホテル

キーウでの初日は凍えながら始まった。街中は早朝かつ戦時下という両方の理由でひっそりとしていた。それでもヨーロッパの豪華な建築は圧倒的で、石畳の道は広く、首都の威厳を感じさせる。

キーウ中心の独立広場にある、ウクライナ独立記念塔。奥には土嚢が見える。4月16日に筆者が撮影

予約していたホテルにタクシーで到着した。しかし問題はここからだった。ドアを叩いても電話をしても誰も出てこない。どうやらこの戦時下で休業中のようだった。友人のすすめによりホテル予約サイトで部屋を予約できたので、てっきり開業中だと思っていたのだが、単にサイトでだけ動いていたらしい。西部リビウのホテルは比較的普通に営業していたので油断していた。やはりここは今、戦時下なのだ。

先にキーウ入りしていたジャーナリストが滞在先を教えてくれていたのを思い出し、そこに向かうことにした。

ホテルのドアを開けてくれたのは長身で優しそうな顔をしたミーシャ(仮名)という名の男性だった。6時30分に電話して叩き起こしたのでものすごく眠たそうだ。彼はこう言った。

「一つ、お願いがあります。ホテルは安全のためにいつも施錠しています。出かけたい時、戻った時は鍵を開け閉めするから僕の携帯に連絡してください」

両方の腕のジャケットの部分には青いテープを巻きつけている。ウクライナ軍側であることを示すものだ。

ホテルのロビーには小型のヒーターがうずたかく積まれていた。

「これは何ですか?」

「ウクライナ軍に提供するんです。あとガスマスクもあるよ」

このホテルはどうやらウクライナ軍を支援する拠点になっているようだった。実はこういうことは今では珍しくなくて、ウクライナ各地でカフェや学校などあらゆる場所が物資拠点になっていた。

宿泊客を迎え入れるのは「ついで」といった感じのようだった。ロビーは気配を感じさせないために照明を落としていて薄暗い。今はわずかな従業員のみでこのホテルを運営しているようだ。

ホテルのマネージャーのミーシャはとても温かい人だった。

以前、日本人客から教わったのか、「イットウさん」と私のことを呼び、出かける時は「ようじんしろ!」という、誰が教えたんだろうと言いたくなる言葉で見送ってくれた。

時々、びっくりするくらい赤い目をしていることもあった。妻や娘は今、ヨーロッパに避難しているという。

荷ほどきをして一息ついた頃、ミーシャに聞いてみた。

「戦争以前はここにもロシア人の宿泊客は来てた? 友達はいた?」

ため息をついてミーシャはデスクの後ろの時計を指差した。モスクワ時間の時計がかけられていた。

「学生時代からのロシア人の友達はいたよ。でも戦争が始まってからは、『ウクライナ人がロシア系ウクライナ人を殺している』というんだ。洗脳されちゃっているんだよ。友達だった僕が『逆だよ、ロシア人がウクライナ人を殺しているんだ』って言っているのに信用しないんだ。だからもう連絡とらなくなっちゃったよ」

ウクライナとロシアの関係はとても多面的だ。ウクライナにはウクライナ語話者(ウクライナ系)とロシア語話者(ロシア系)がいる(実際はそう簡単に二分できるものでもないのだが)。ロシア政府の言い分では、「虐げられているウクライナ国内のロシア語話者を守ること」が戦争の目的だという。

しかし、実際にはそのロシア語話者たちもロシア軍の侵攻で多く殺されている。このホテルの従業員家族にも、ロシア語話者が多い東部ドネツク、ルハンシク(ルガンスク)の出身者がいるようだった。

ウクライナ人にとってのロシアの存在と言語の問題は、今回の取材のテーマになりそうな予感がしていた。

そしてもう一つ、重要なテーマがある。とても根本的な問題。ロシア軍がウクライナで一体何を行っているのか、だ。

キーウ市内の標識。ロシア軍が侵攻してきた時に位置情報を与えないため、住民によって塗りつぶされている。4月2日に筆者が撮影

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第2回  
ウクライナの「戦場」を歩く

ロシアによる侵攻で「戦地」と化したウクライナでは何が起こっているのか。 人々はどう暮らし、何を感じ、そしていかなることを訴えているのか。 気鋭のジャーナリストによる現地ルポ。

プロフィール

伊藤めぐみ

1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。同作により第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程への留学経験がある。

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お茶の間から戦地ウクライナへ