バイブス人類学 第3回

一緒に稼ぎ、一緒に暮らす――インドで考える「身体」

長井優希乃

 

 そうこうしているうちに、私のもとに1人の男性が現れた。

 

「『TIMES OF INDIA』の記者です。あなたはインド人?」

 

 私が日本人だと答えると、「面白いね。いまカルワチョートとメヘンディのネタを探しているから、あなたの話を記事にしてもいい?」と言ってきた。『TIMES OF INDIA』はインドの全国紙だ。それを聞いたマンジュリは、「絶対に私の名前を言ってね!絶対だよ!コンノートプレースのマンジュリ・シブ・クマリだからね!」と私に念押ししてきた。取材を受けている最中も、何度も「マンジュリ・シブ・クマリ!」と記者に言い続け、記者は苦笑いしていた。

 一通り取材が終わって記者が去ってからも、客足は途絶えず、無我夢中で描き続けているうちに気づいたら夜中になっていた。

 

 夜中の3時。もう、限界。私とミナクシは力尽き、マンジュリに「もう休む」と言って、それまで座っていた折りたたみ椅子に、体育座りのように縮こまって仮眠を取ろうとしていた。

 

 メヘンディに集中しているときは全然寒くないしお腹も空かないのにやめた途端、骨が痛むほど寒い。昼間は暑いのに、深夜の路上はこんなに寒いのか。風も冷たく、半袖のパンジャービ・ドレスを着て、上着も持って来ていなかった私は首に巻いていたぺらぺらのドゥパッタ(セットになったスカーフ)で身体を包んだ。ないよりは幾分ましだが、そんなぺらぺらの布一枚で体温が確保できるわけもなかった。足首と足指が凍るほど冷たくて、眠いはずなのになかなか寝付けない。こんなに寒いと、周りにたくさん人がいるはずなのに、自分の身体がたったひとつ世界に放り出されてしまったようで、なんだか孤独だ。

 

 そうしてガタガタと身体を震わせていたら、少し離れた隣の椅子に縮こまっていたミナクシが椅子をくっつけてきて、自分の布を一緒にかけてくれた。触れ合ったミナクシの身体の温かさが、まるでカイロのようだった。隣からじんわりと温められ、救世主ってこういうことかと本気で考えていた。体温が伝わり、身体が溶け合っているようにも感じた。先ほどの身体が放り出されているような孤独感もどこかに消え、すこしずつリラックスし、うとうとし始めた。

 数日前には夜中にインドの路上でガタガタ震えながら仮眠を取るなんて、全く思っていなかった。5日前には、この広場に来たことさえなかったのに……そんなことを考えていると、だんだん意識が遠のき、眠りに落ちた。

 

 はっと気がついたら、朝の6時半だった。目を開けて時刻を確認するが、ワンデータイプのコンタクトレンズが乾いてぱさぱさする。替えのコンタクトレンズを持って来ていなかった自分を恨んだ。どうにか自分の涙で潤いをまかなうため、わざとあくびをしたり強く瞬きをする。顔も洗いたいので、ミナクシと一緒に寺院の水場に行って顔を洗った。

 周りのメヘンディ描きたちは、まだ仮眠を取っている人が多い。でも、マンジュリは寝ていなかった。早朝だというのに、客にメヘンディを施術している。なぜか、明け方や早朝でもお客さんは通るのだ。午前3時だろうが4時だろうが、人々はメヘンディをしに広場にやって来る。そのため、広場では起きている者が勝つ。周りのメヘンディ描きがどんどん寝落ちしてしまうなか、起きてさえいれば必然的に自分のところに客がやってくる。ふた晩連続で一睡もしていないマンジュリからは、絶対にここで稼ぎきるんだ!という鬼気迫るオーラすら漂っていた。

(2016年10月19日撮影 この翌年のカルワチョート早朝の写真。メヘンディ描きたちはみな力尽きて仮眠中。この間にもお客さんは通るため、起きているもの勝ちだ)

 

「サプライズ断食」

 

 カルワチョート当日、昨日ほどではないが、案外お客さんが来る。寺院の水場で洗った顔には化粧水もつけていないし、歯磨きもできていないけれど、だんだん付けっ放しのコンタクトレンズも馴染んできて、今日もなんとかやっていけそうだ。

 

 店番の合間を縫って、マンジュリと一緒に昨日の『TIMES OF INDIA』の取材が本当に記事になっているかどうか、裏の路上の新聞売りのおじさんのところに行った。中身を確認すると、何枚目かに「From Japan, with mehndi and lots of love」という題とともに、私の写真が載っている記事があった。読みすすめると、私が質問に答えた内容よりもすこし美談のように書かれているフシはあるが、いい感じの記事だ。

(2015年10月30日撮影 カルワチョート当日、『TIMES OF INDIA』はちゃんと記事を出していた。マンジュリの名前も出ていたため、マンジュリは大喜び)

 そして、「Manjhli Shiv Kumari」と書かれているところをマンジュリに指差して教えた。その瞬間、マンジュリは「オーー!マンジュリ・シブ・クマリ!!」と叫んだ。そしてその新聞屋のおじさんにも、「私の名前が載っているよ!」と嬉しそうに叫んだ。隣にいたお客さんもこっちを見たので、マンジュリは「自分の店が載ったんだ!」とすかさず言った。その新聞を何部も買って「私の店が全インドで有名になった!」とミナクシや長男のアマルジート、隣の店のメヘンディ描きたちに大声で自慢した。

「みんなが嫉妬するよ!嬉しいね、ユキノは神の贈り物だよ!」

 

 その時のマンジュリの顔は、お客さんから高額をもらった時の悪い笑顔と同じだった。それからは記事をアルバムに挟みながら、毎回お客さんに「この記事は私の店だよ!ほら、あの子がこの写真のユキノだ」と言いながら客引きを始めた。そんなマンジュリを見て、少しは役に立てたかなぁなどと思いながら、ミナクシの隣に戻った。すると、ものすごく嬉しそうな顔で、待ちきれなかったよとばかりに話しかけてきた。

 

「ユキノ、聞いてよ!なんと、私の彼氏が昨日、私のために断食したんだって!カルワチョートは女性が断食する日なのに彼は断食をしたの。しかも、1日早く。私のことを想って、水一滴すら飲まなかったんだって!普通の男子はそんなことしないよ。はあ、私って本当に愛されている。なんて幸せ者なんだろう……!」

 

 なんと、1日早い「サプライズ断食」をされたというノロケ話だった。日本でいうバレンタインの逆チョコみたいなものなのだろうか。このサプライズ断食の話を、ミナクシは40分間ぶっ続けで喋り倒した。そこで一人お客さんがやってきて、やっとサプライズ断食のノロケ話が終わりすこしホッとした。あそこでお客さんが来なかったら、ミナクシは本当に日が暮れるまでその話をする勢いだった。

 それにしても、「サプライズ断食」が愛の証になるだなんて。実は私もカルワチョート当日は、断食をしてみた。その当時日本に付き合っている恋人がいることをミナクシもマンジュリも知っていて、「ユキノは日本の恋人のために断食しなよ!絶対にしたほうがいい!」と勧められたのだ。ミナクシも家族にはバレないようにこっそり断食すると言うし、みんながやっていることを私もやってみたいという思いがあった。そのため、水は飲んでいいという緩めのルールを作ってミナクシと一緒に断食してみた。断食自体は実際そんなに辛いものではなく、初めておこなう断食の高揚感で、楽しく乗り切った。

 

 ミナクシの「サプライズ断食」の話を聞いたので、次の日ワクワクしながら、日本にいる恋人に「昨日は恋人のために断食をする日だったから、あなたのために断食したんだよ!」と言った。すると彼から、「え、断食なんて健康によくないよ……インドで大変なんだから、身体を一番に大切にしてね」と返って来た。

 私のことを心配して言ってくれているのが痛いほどわかったし優しさは伝わったが、なんだかすこし期待外れだった。「マジで!俺のために断食してくれてありがとう!嬉しいよ!」って返ってきたら、やった甲斐があったのに。

 

 日本の日常生活において断食は、あまり身近ではない。ダイエットや健康のために数日間断食する人の話もきいたことがあるし、友人が減量のために断食道場なるものに行ったという体験談を聞かせてくれたこともある。しかし、わざわざダイエットや修行などに取り組まない限り、日常生活で断食という行為をおこなうことはなかなかないのではないだろうか。

 対してインドでは、意図せずとも日常生活のなかに断食という行為が現れる。今回のカルワチョートもそうだし、イスラム教徒の場合ラマダン(断食月)をするのは一般的に知られていることだろう。また、社会運動においても断食が重要な意思表示の方法として用いられる。インド独立運動の父ガンディーが、争いを止めるためになんども断食を繰り返したことは有名だ。インドでは何かを訴えたり、メッセージを伝えるための手段として自らの身体をもって意思表示をする行為として「断食」があるということを社会が共有している。そのメッセージはときに愛だったり、ときには社会的な要求であったりする。身体を通した意思表示によって、インドの人々は日々の暮らしを保ったり、また、変革を行ったりしてきたのだ。

 

マンジュリ家での暮らし 食べることと、寝ることと

 

 マンジュリの家は、東デリーのラクシュミナガルというところにあった。ハヌマーン寺院前広場のあるコンノート・プレースからはオートリキシャで30分ほど、100ルピー(約150円)で行くことのできる場所だ。細い通りに家々がひしめき合っていて、埃っぽい路地をしばらくいくと、綺麗な青に塗られた壁のマンジュリの家がある。外にメヘンディの看板もかけてあるが、家でメヘンディをすることはほとんどないらしい。家のなかも様々な色の装飾で塗られ、とても可愛い。家の天井の半分は金網のようになっていて、外と繋がっている。雨が降ると家のなかの一部は水で濡れる。その代わり、家の中に干した洗濯物でも直接日光があたるため、よく乾くのだ。

(2015年10月29日撮影 家の前に立つマンジュリと家によく来る野良犬)

 

 マンジュリの家に来て初めて食べた食事は、ミナクシが作ってくれたピラウだった。ピラウはご飯にスパイスを加えて炊き、煮込んだ豆やアチャール(インド式の漬物)などを混ぜて食べる。ベッドの上に新聞紙を引いて、その上にラヴィーナと一緒にあぐらをかいて座った。いつもベッドの上で食べるの?と聞いたら「テーブルでも食べるし色々だよ」と言う。

 

(2015年11月1日撮影 ラヴィーナと、いつものご飯スタイル。この日はチャパティ、ダール、卵。三人別々に盛り付けた)

 

 大きな銀の皿にびっくりするくらい大盛りのピラウをミナクシが運んで来てくれた。とても熱そうだ。そんな熱そうなピラウをミナクシはいとも簡単そうに手でかき混ぜる。そうして、ミナクシもラヴィーナも、手でピラウを食べ始めた。指についたご飯粒も、綺麗に舐めとって食べる。私は慣れていないからか指先が熱さに耐えられず、ピラウを触るのにも時間がかかった。そんな私を見かねてかミナクシに「口を開けて」と言われた。

 

 あっという間に口中に広がるむわっとしたスパイスの香り。彼女の手から私の口に押し入れられたピラウは口全体を塞ぎもういっぱいだ。……美味しい、けど、辛すぎる!てか、食べさせてくれたけどその手、すでにミナクシのよだれでぐちゃぐちゃだったよね?!でも、口いっぱいのピラウに阻まれてそんな声が発されるわけもなく、とにかく頬張るしかない。そして彼女はまた唾液のついた手で、また大皿のピラウをかき回している。色々動揺しながらもとにかく食べることに必死な私を見て、みんなが爆笑する。「ユキノは、インド人だよ!」

 次は、私が手に持ったピラウを口に押し入れる番だ。すでに私の手もぐちゃぐちゃで唾液もついているが、そんなのは気にしない。いやむしろ、それが大事なことなのかもしれない。

 

 

 マンジュリの家では、長男のアマルジートは小さな一人部屋を持っていて、マンジュリと父のハリシュは夫婦の寝室で寝る。ミナクシとラヴィーナは二人で一部屋を使っている。その娘たちの部屋に私は入れてもらうことになった。

 娘たちの部屋にはダブルベッドと、シングルベッドが一つ。それなのに、なぜか寝るときは、一つのダブルベッドに、三人で川の字で寝ることになった。私が真ん中になり、二人は私を抱き枕のようにして絡みついて寝る。私は、真ん中で、文字通りミイラのような姿勢で寝る。両脇から絡みつかれるのは可愛いけれど、正直、まったくリラックスできない。毎日こういう体勢で寝ると次の日まで疲れが残る。「ああ、一人で大きなベッドで大の字に寝たい……」。毎日のようにそう願っていた。

 もう一つ空いているベッドがあるというのに、2人は私を抱き枕にしたがった。3人でおしゃべりしながら寝ようとしても、誰かが吹き出してしまい寝付けなかったりと、楽しい時間だ。でも、やっぱり、誰かに絡みつかれるとリラックスできない。反対に、ミナクシとラヴィーナは相当リラックスしているようで私より早く眠りに落ちる。

 

 日本で暮らしていると、他人の身体に触れ合うことってそうそうない。身体に触れ合うのは恋人同士の特権みたいになっている感じがするし、恋人同士ですら、人前では手も繋がないというポリシーを持っている人たちだっている。仲のいい友達同士で身体が触れ合うときは、その接触は一時的なものが多い。一時的にハグする、とか、手相を見る、とか。隣に座っていて長時間触れ合うことはあるかもしれないけれど、意思を持って触れるのは、一時的な接触が多い。だから、長時間接触されるとドキッとする。なににも触れていない「単体の身体」でいるほうが、リラックスできるような気がする。

 でも、ミナクシとラヴィーナを見ていると、全く違うようだ。上記の3人で寝るときの体勢もそうだが、街中を歩いている時も絶対に私と手を繋ぎたがる(しかも「恋人つなぎ」で!)。あるいは私が熱を出したり寝込んでいるとずっと横にいて、四六時中頭を撫でてくれる。私は熱が出ているときは1人で寝たいと思っていたけれど、彼女たちにとっては触れているほうが自然なようだ。

 

 ピラウを食べさせあったり、くっついて寝たり、手をつないだり。私がこれまで取っていたコミュニケーションからしたら、少し驚いてしまうくらい、近く感じる。ふと考えると、カルワチョートの極寒の夜、寒くて孤独に放り投げられてる感じがした私は、ミナクシの身体に触れることでリラックスしていた。身体が溶け合っているように感じ心地よかった。「単体の身体」って先ほど書いたけれど、実際それってどういうことなんだろう?

 

「閉じられた身体」と「開かれた身体」

 

 そもそも、日本で過ごす私たちがなんとなく捉えている「単体の身体」とは、なんなのだろうか。

 現代の日本において、しばしば身体は個人のものであり、その周囲にはパーソナル・スペースという個人の空間領域があると考えられている。この空間を他者が侵犯すると驚いたり、不快に感じたりする。パーソナルスペースからさらに内側にある身体というものは、より個人的な、単体で存在する不可侵なものである、と捉えられている。言葉を変えれば、身体は個人のもので、その身体は日常的には他者と交わらず、「閉じられている」イメージだ。

 このような個人の「閉じられた身体」という概念に対し、インドをはじめとした南アジアの身体観は流動的な「開かれた身体」というものである。

 

 文化人類学者の常田夕美子によると、インドには「人間含め、存在するすべてのものはお互いにやり取りされる流動的な物質からなる」という観念があるという。それゆえ、身体は、ただ孤立した単体で存在するのではなく、人と人のあいだで流動的に交換・共有される物質によって構成される。その物質は、生活の中で食事を共にしたり、接触したり、会話をすることなどをつうじて交換・共有されていく。そうして、お互いの属性や価値が流動的に交わり、社会関係が構築されている。それゆえ、身体は流動的で、関係性の中で他者に対して「開かれている」のだという。

 ひとつ例を挙げると、一緒に食事をすることで、唾液などの体液が物理的にも交換される。それがお互いの属性や価値を行き来させる行為となり、より親密な関係をつくる。「単体の身体」ではなく、どこか自分の一部分を共有しているイメージなのだ。

 

 そう考えるとミナクシと唾液のついた手でピラウを食べさせあったことは、お互いの身体をなす物質を共有・交換し、関係性を構築する積極的な行為だ。また、寝るときに絡みついて寝るのも、手を繋ぐのも、彼女らの身体が、私との関係性のなかで「開かれて」いたからだ。

 インドにおいて断食をすることが胸を打つメッセージになるのも、身体というものが関係性のなかで開かれていて、流動的に、相互に作用し合っているからではないだろうか。「身体をもって訴求する・伝える」という行為は、流動的な開かれた身体同士の関係性において、ひとごとではない「じぶんごと」となる。それゆえに、大きな力を持っているのかもしれない。

 

 ともに食べ、寝て、働くなかで、私の身体は戸惑いながらも、行ったり来たり、開いたり閉じたりを繰り返しながら、徐々に彼女らの関係性に編入されていった。

 身体と身体のあいだで流動的に物質が交換され、共有され、だんだん自分の身体が「単体の身体」でいられなくなる。これまで交わらなかった人間同士が出会い、共に暮らすなかで生まれたバイブスが身体を揺るがす。そんな揺るがされる自分の身体に戸惑いつつも、気がついたら彼女らの関係性にとっぷり浸かっている。そうして、今日も一緒の皿からご飯を食べ、3人でくっついて寝るのだ。

 

 おもむろに、マンジュリが孔雀の羽根を取り出して、「クリーシュナ、クリーシュナ」と言いながら私の頭頂部を羽根で撫でた。真面目なのかと思ったら、マンジュリは途中で吹き出した。なにこれ。魔除けなの?おもしろい!と私が喜ぶと、ミナクシとラヴィーナにも同じことをした。こんな毎日を過ごしながら、日が経つにつれて、私はマンジュリのことをミナクシたちと同じように「ママ」と呼ぶようになっていった。

 私は当初、インドでは絶対にフィールドワークをしたくないと思っていた。しかし、急流に飲み込まれるように彼女らとの生活が始まると、最初のネガティブな感情を打ち消すように、彼らのおもしろさの虜になっていった。この人たちと出会うために、私は行きたくなかったインドに引き寄せられたのか?とすら思った。

 

 しかし、そんな淡いセンチメンタリズムをぶっ壊すようなクレイジーな毎日が、これから始まるのであった。

 

(第4回に続く)

 

参考文献

『ポストコロニアルを生きる 現代インド女性の行為主体性』

常田 夕美子(世界思想社 2011年)

 

 

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 第2回
第4回  
バイブス人類学

文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていきます。

プロフィール

長井優希乃

「生命大好きニスト」(ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザー)。京都大学大学院人間・環境学研究科共生文明学専攻修士課程修了。ネパールにて植物で肌を様々な模様に染める身体装飾「ヘナ・アート(メヘンディ)」と出会ったことをきっかけに、世界各地でヘナを描きながら放浪。大学院ではインドのヘナ・アーティストの家族と暮らしながら文化人類学的研究をおこなう。大学院修了後、JICAの青年海外協力隊制度を使い南部アフリカのマラウイ共和国に派遣。マラウイの小学校で芸術教育アドバイザーを務める。

 

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一緒に稼ぎ、一緒に暮らす――インドで考える「身体」