バイブス人類学 第4回

地獄のなかで宝探し

長井優希乃

文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていく。

第四回目は、インドで暮らすことで経験した身体の不調からインドの文化と食、そしてフィールドワークとはなにかに思いを巡らす。

 

【前回までのバイブス人類学】

文化人類学を学んでいた長井優希乃は、メヘンディ(植物を用いた身体装飾)を描く人々の暮らしを調査するためにインドに渡る。そして、デリーのハヌマーン寺院で出会ったメヘンディ描きで三児の母、マンジュリの家に住むことに。マンジュリの娘、ミナクシとラヴィ―ナとともに路上商をし、インドの文化や価値観に惹き込まれていったのだが……

 

 

この連載ではこれまで、人間と人間が交わることで生まれる「バイブス」について書いてきた。そのことを通して、多様な「他者」が混在する世界で「ともに生きる」ということを見つめなおそうとしている。

その過程で、改めて考える。「バイブスが合う」ってどういうことだろう?

先日、ミュージシャンの友人がこう言っていた。

 

「音(vibrations)は異なるものが同じ位相にあると、お互いを打ち消しあって消えてしまう。違う音が本当に同じように整ってしまったら、聞こえなくなる。だから、お互いぶつかることなく調和して存在する音というのは、位相が違わないといけないんだ」

 

音楽の知識がほとんどない私にとって、初めて知る興味深い話だった。

これを人間同士が生み出す「バイブス」に当てはめるとどうなるだろう?全く同じものが二つある場合、互いのバイブスを打ち消しあってしまうから、「バイブスが合う」とは言えない。

バイブスが合う、というのは同じ波長がぶつかるのではなく、違う波長が層になって、心地よく混ざり合うということなのかもしれない。全く同じ波長、整えられすぎた波長では、バイブスは生まれない。違うものが集まることによって、心地よい振動に身を任せることができる。

 ――それでは、あまりにも違いすぎるものが集まった場合、どうなるのだろう……?

 2015年から2018年までの私がインドでマンジュリたちと暮らすなかで体験した「ちがい」に焦点を当てて考えてみよう。

 

マンジュリの特効薬

 

「ぎゃああぁ!!」

私は叫んだ。そんな私を見て爆笑しているマンジュリを横目に、左目を押さえ、水道に走った。眼球を洗い、強烈な痒みに耐えながら、確信した。もう絶対にここでは生きていけない――。

 

話は昨晩までさかのぼる。2018年3月、私は大学院にフィールドワークの調査結果を持ち帰り、修士論文を執筆するため、しばらく家を空け日本に帰国していた。この日は久々にマンジュリの家に戻ってきて、家族みんなで久々の再会を喜び合った。ともに食事をし、日本からのお土産を渡し、娘たちと同じベッドで眠りについた。幸せな気持ちで眠りについたはずなのに、私はなぜだか夜中にうなされながら、浅い眠りを繰り返していた。悪夢か現実だかわからない何かが身体を這う感覚が続いた。うなされながら早朝に目覚めると、何かがおかしい。自分の身体の異変に気付いた。お風呂に行き鏡を見て、腰を抜かしそうになった。左目がパンパンに腫れ、まるで「お岩さん」のような顔になっていたのだ。なるほど、家のベッドにダニが大量発生していたのだ。数えてみると全身70箇所、ダニに刺されていた。身体中が、ありえないほど痒い。刺された箇所の周囲は熱をもってパンパンに腫れている。手もパンパンで、握りこぶしを作れない。

家族が起きてきて、私の顔を見ると、もちろん大騒ぎになった。「何が起こったんだ!」でも、私以外には誰も刺されていない。同じベッドで寝ていたのに、なんで……?みんなは刺されていないため、私がどんなにベッドにダニがいると言っても信じてくれない。私は全身が火照ってつらいのと、痒いのと、みんなが信じてくれないので、頭がおかしくなりそうだった。

 

よくベッドを見ると、なんと目で見えるサイズのダニが歩いていた。まじかよ、こんな大きなダニっているの⁈ 長女のミナクシが、「なんか小さいクモがいるね」と言った。違う、クモじゃない!こいつがさっきから言っているダニなんだよ!絶対こいつが私を刺したんだよ!そう訴えても、ミナクシは「えーでも、私たちは刺されていないじゃない。絶対違うよ。本当にこのクモ刺すの?」と言って、ピンと来ていない様子であった。

表面に目で見える形でダニがいるということは、ベッドの中には一体どれほどのダニがいるのだろう。想像したくもなかった。

 

もうこのベッドでは寝られないから布団を天日干しさせてほしい、などとミナクシに言っていると、マンジュリが「落ち着け、落ち着け」と言いながら自慢げにキッチンから何かを持ってきた。何かの汁のようだ。

「ジャガイモのすりおろし汁。これを塗ると、治るんだよ!特効薬だ!」

彼女はそう言う。いやいや、何を言ってるんだ。私はもともと素手でジャガイモを触ると痒くなる体質であった。だからそんなものを塗ったら悪化する気しかしない。絶対にいやだったので、とりあえず病院に行くと伝えた。しかしマンジュリは「わかってないな」と言いたげな顔で「いい?これを塗ると治るんだよ。みんなそうするんだ。試したことないだろう。絶対に治るから、落ち着いて。私を信じろ」と言った。

自信に満ち溢れたマンジュリの顔が、憎らしい。私は、頑なにジャガイモ汁を塗りたくないと主張し続けた。

すると、そばにいた長男のアマルジートが、いきなり私の両手を掴み、拘束し、「ママ!早く!」と言った。気が動転しながらも、「本当に、やめて!」と叫んだ。しかし、彼に私の言葉は届かない。アマルジートは「絶対に治るから!ママ!早く!」と言って、拘束を強めた。

必死で手を振りほどこうとしているうちに、こうも思った。もしかしたら、0.000001%の確率で、マンジュリやアマルジートの言う通り治るかもしれない。突然の出来事に追い詰められた人間は、ほとんどないわずかな希望にもすがってしまうのだろうか?小さな希望に自分を納得させ、私は手を振りほどこうとするのを諦めた。

マンジュリは、ティッシュにひたひたに含ませたジャガイモの汁を、私の左目に押し当てた。溢れ出たジャガイモ汁は、私の目に流し込まれた。そうして、冒頭の状況が生まれたのだ。

 

案の定、私の左目は良くなるどころか、そのうち眼球までどんどん痒くなってきて、気がついたら私の白眼はピンクのゼリーのようになっていた。

瞼を刺されていただけだったのに、眼球までゼリーになったのは、絶対にジャガイモ汁のせいだ。もう、この家にいたらいつか私は死ぬ……。心が折れた私を横目に、マンジュリは満足そうな顔でチャイを沸かし始めた。

(2018年4月1日早朝撮影 お岩さんの私。よく見たら、まぶた以外にもたくさん刺されている。この時はまだ、ジャガイモの汁は塗られていない。この後にもっと辛い地獄が待っているなんて、思いもしなかった)

(2018年4月1日早朝撮影 パンパンだ。腫れすぎて、どこが刺し口なのかわかりづらい。)

 

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文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていきます。

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プロフィール

長井優希乃

「生命大好きニスト」(ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザー)。京都大学大学院人間・環境学研究科共生文明学専攻修士課程修了。ネパールにて植物で肌を様々な模様に染める身体装飾「ヘナ・アート(メヘンディ)」と出会ったことをきっかけに、世界各地でヘナを描きながら放浪。大学院ではインドのヘナ・アーティストの家族と暮らしながら文化人類学的研究をおこなう。大学院修了後、JICAの青年海外協力隊制度を使い南部アフリカのマラウイ共和国に派遣。マラウイの小学校で芸術教育アドバイザーを務める。

 

 
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