バイブス人類学 第3回

一緒に稼ぎ、一緒に暮らす――インドで考える「身体」

長井優希乃
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 文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていく。

 

 前回(第2回)では、インド、デリーのハヌマーン寺院で出会ったメヘンディ(植物を用いた身体装飾)描きマンジュリの家に住むことに。マンジュリ一家とともに路上商をすることで、インドの「ビジネス」やヒンドゥー教徒のお祭り「カルワチョート」、そして5人家族との暮らしを経験する。そこで考えた、「身体」のありかたとは。

 

「メヘンディ ラグワーニー ハェ(メヘンディをしませんか)!」

 

 この客引き文句を、路上で一体何回叫んだだろうか。たくさんのメヘンディ描きが集まる広場で、客を取り合う。あ!観光客だ!外国人観光客らしき人が見えると同時に、すかさず立ち上がり、こっちに来てもらえるようにメヘンディのデザインブックを開いて見せる。声をかけた人に断られると、「あーあ、500ルピーを逃したよ!」と隣にいるマンジュリと悔しさを分かち合う。

 あれ、いま私、観光客がお金に見えていた……?

 

はじめての20ルピー

 

 2015年、10月27日。私はハヌマーン寺院前広場で、折りたたみ椅子に座って、客を待っていた。今日は私が一緒に住むことになったメヘンディ描き、マンジュリのお店での初出勤日だ。マンジュリの長女のミナクシと次女のラヴィーナも一緒に店番をしている。店番といっても、ただおしゃべりをしながら人が通るのを待って、メヘンディをやりそうな人に声をかけるだけなのだが。

 

 冒頭に書いた「メヘンディ ラグワーニー ハェ」は、ヒンディー語の客引き文句で、「メヘンディをしませんか」という意味だ。とくに女性が通りかかった時には立ち上がって、デザインブックなどを手に持ちながら積極的に声をかける。

 

 しかし今日は、全然客が来ない。そもそも広場自体に人通りが少ないのである。

 だからずっとミナクシとおしゃべりをしていた。彼女は19歳で、専門学校でカンパニー・セクレタリーという資格を取ろうと勉強しているそうだ。カンパニー・セクレタリーとは、会社の管理や運営に携わる資格だ。そうして勉強しながら、マンジュリの店を手伝い、自分もメヘンディ描きとして稼いでいるのだ。ミナクシはとてもお喋りで、なおかつ頭の回転が速い。話題が次々と飛び出すし、自己の主張がはっきりしている魅力的な人だ。

 

 対して次女のラヴィーナは、ミナクシに比べたらおっとりしていてキュートな雰囲気の15 歳。学校では11年生、日本で言うところの高校生だ。ミナクシもラヴィーナも、学校で1年飛び級したことがあるそうだ。

 

 インド滞在中に2人がいてくれたことで私がどんなに助かったか、ここでは書ききれない。年がそう離れていない女の子というだけで安心したし、2人とも英語が喋れた。マンジュリはほとんど英語が喋れず、当時の私もヒンディー語は挨拶程度しかできなかったのでので、2人がいつも通訳してくれ、ヒンディー語も教えてくれた。2人がいたからこそ、デリーの人々と関係を構築できたと言っても過言ではない。

 

 初めての店番で隣に座ったミナクシは、新しい友達ができたとばかりに、自分のことをたくさん話してくれた。

 

「ラヴィーナだけが知っているんだけど、4年くらい付き合っている彼氏がいるの。他の家族には内緒だよ。ユキノがラージャスターンに行くときに、ユキノについていくと嘘をついて彼氏と旅行しに行こうかな」といたずらっぽい顔をして笑った。

 2人の秘密の旅行に貢献できるなんて、なんて楽しいんだ!とワクワクし、それは絶対に協力するよ!と言った。そうやっておしゃべりしているうちに、3人組の若い女性たちが通りかかった。

 

「メヘンディ ラグワーニー ハェ!」

 

 ミナクシと私は同時に声をかけた。すると、3人組のうちの1人が私を見て「え、あなたもメヘンディを描けるの?」と訊いてきた。ミナクシがすかさず、「この人は日本から来たメヘンディ描きだよ、ぜひ描いてもらって!」と言った。

 3人は皆19歳。この広場は通りかかっただけでメヘンディをやる予定でもなかったらしい。しかし私がメヘンディを描くということを聞き、興味を持ってくれたのである。そうしてそのうちの1人が、私のインドでの初めてのお客さんとなった。

 

 記念すべき初めてのお客さんだ。できるだけ素敵なメヘンディを描き、満足して帰ってもらいたいと思った。早く描かないと、と思いながらも一つ一つの線を丁寧に、綺麗に描こうとするあまり一つの手のひらを描き終えるのに20分ほどかかってしまった。それでも、完成したメヘンディを見て、お客さんは「いいね!またやってね。おしゃべりも楽しかった」と言ってくれた。

(2015年10月27日撮影 記念すべき初めてのお客さんと施術したメヘンディ)

 お客さんからもらったのは、40ルピー。半分はマンジュリに渡す契約なのでその場でマンジュリに渡し、手元に残ったのは20ルピー。これが、私がインドで最初に稼いだお金だ。日本円にしたらたったの30円くらいだが、メヘンディ描きとして認められたようで、胸がトクンと鳴った。

 あとでミナクシに、「デザインは良かったけど、一つの手をやるのに20分もかかったら遅すぎる。5分でやらないと!」とダメ出しをされ納得しつつも、嬉しさが隠せなかった。たったの20ルピー。だけど大切にしまって、次のお客さんに備えよう。

 こうして私のインドでのメヘンディ描きとしての日々が始まった。

(2015年10月27日撮影 記念すべき初めてのお客さんと、その友人たちと記念撮影。 一番左はミナクシ、その右隣は私)

 

徹夜と極寒のカルワチョート

 

 マンジュリの店で働き始めてからすぐ、メヘンディ描きにとっての一番の稼ぎどき、カルワチョートがやってきた。

 

 カルワチョートとは、北インドのヒンドゥー教徒の女性が祝う一日限りの祭りで、既婚女性が夫の健康と長寿を願って断食をし、さらには愛を表現するためにメヘンディで装う。ヒンドゥー暦のカルティク月(太陽歴では10月から11月にあたる)の満月の4日後に行われる。主に既婚女性の祭りと言われているが、未婚女性が婚約者や恋人のために断食することもある。

 

 「カルワ」はヒンディー語で壺という意味だ。カルワチョートの数日前に女性は壺に美しいデザインを施し、そのなかに腕輪や菓子を入れる。友人同士でメヘンディを描きあったり、マーケットに行ってメヘンディを施してもらうことで美しく装う。妻たちは服や腕輪を新調し、夫たちも妻に新しい洋服やアクセサリーなどを贈る。

 

 さらにターリー(銀色の平皿)やチャルニ(チャパティの粉を濾すザルのようなもの)を飾りつけ、お菓子を用意する。このセットは「サルギ」と呼ばれ、義理の母から義理の娘に贈ったり、またその反対に義理の娘から義理の母に贈ったりすることが慣例とされている。そのためカルワチョートが近くなるとマーケットや通販サイトでは豪華なサルギが「カルワチョートのギフト」用として売り出されている。

 

 カルワチョート当日、女性たちは陽の出ている間に断食をする。夕方頃になると、女性たちは赤、オレンジ、ピンク、金などの吉祥とされる色のサリーやレヘンガーで豪華に装い、地域や友人同士で集まる。用意したランプや壺、お菓子を乗せたターリーを持って輪になって座り、歌い、プジャ(礼拝)をし、女性同士で壺やプレゼントを交換する。月が出ると、夫のそばで、飾り付けたチャルニ越しに月を見て、そのあと夫を見る。その後、祈りを捧げ、断食を終えるのである。

 

 女性たちは、カルワチョート前にメヘンディをやり逃すことのないよう必死だ。女性の手にメヘンディがあるかどうか、そしてその美しさと色の濃さが「愛の証」とされるからだ。とくに結婚してから初めてのカルワチョートでは、新婚の花嫁は誰よりも美しい柄を持っていることを望まれる。みな新婚の花嫁のメヘンディを見て、あれこれ評価し合うのだ。そのため新婚の花嫁は結婚式並みに豪華なメヘンディをする。

 だから、メヘンディ描きにとってはカルワチョートが1年で1番の稼ぎ時であり、その前日は普段の値段の5倍ものメヘンディの値段がつくこともある。普段、ハヌマーン寺院前広場でのメヘンディは両手にフルでデザインを描いて100ルピー(約150円)ほどだが、カルワチョート前日は両手で500ルピー(約750円)は請求する。もっと高級なところでは、10000ルピー(約15000円)以上の値段がつく場合もあるのだ。

 

 メヘンディをするのは、カルワチョートの前日、前々日が多い。メヘンディは施術した次の日以降に一番色が濃く出るので、当日より前に施すのだ。そのため、カルワチョートの前日が一番の稼ぎである。

「カルワチョート前の2日間は深夜まで客が来る。だから、徹夜で店に座り続け、なるべく高い値段でメヘンディをして、できるだけ多く稼ぐんだ」とマンジュリは言う。

 そうはいってもマンジュリの言葉を、私は信じていなかった。彼女は、よく話を大きく言うのだ。たとえば以前「観光客からは20000ルピー取ってメヘンディをする」と言っていたのだが、実際もらえるのはせいぜい1000ルピーだった。もちろんただの嘘ではなく、それくらい稼ぎたいという気持ちの表れではあるのだろうが。

 だから今回も「徹夜するくらいの気持ちで挑むぞ」と言っているだけで、夜中にお客さんは来ないだろうと思っていた。

 

 しかし、マンジュリの言葉は大げさではなかった。いざ始まってみると、お客さんはひっきりなしにやってきた。目の前のお客さんをさばくのに必死で、食事を取る余裕もない。カルワチョート前々日は、夜中の2時半まで広場でメヘンディを描き続けた。

 マンジュリの家に帰ってからも、来る稼ぎ時のために、メヘンディ・コーンを作り置きしておかねばならなかった。メヘンディ・コーンとは、メヘンディのペーストが詰まっていて絞り出せるようになっている円錐状の道具だ。

 2種類のヘナパウダーにお湯を加えながら、オイルを加えて練る。ケミカル染料を加え、よく混ぜ、布巾で2回濾す。

 

(2015年10月29日撮影 午前3時30分、ヘナペーストを混ぜるマンジュリ)

(2015年10月29日撮影 ヘナペーストを布巾で濾す)

 その後、24時間置く。すでに昨日作っておいたペーストを、アルミ箔でできた円錐状のコーンに詰め、紐で縛る。これでメヘンディ・コーンの完成だ。結局、徹夜でコーンを作り続けた。マンジュリの言葉を甘く見ていた自分が愚かだった。マンジュリは準備をしながら「一番の稼ぎどきなんだから、朝5時には広場にいるようにするからね!」と言う。

(2016年11月10日撮影 自宅でコーンにメヘンディペーストを詰め、紐で縛るマンジュリ)

 娘たちも私も疲れていたので、マンジュリを言いくるめて少し仮眠を取った。しかし一度寝てしまったら数十分で起きられるわけもなく、結局朝7時30分に家を出た。マンジュリは、出発が遅くなったことで「早起きしない娘たちのおかげで貧乏だ、プアウーマン、プアウーマン……」とずっと文句を言っていた。

 ハヌマーン寺院の広場に着くと、昨日とは比べ物にならないくらい、メヘンディを求める人でごった返している。今日はカルワチョート前日、デリー中のヒンドゥー女性たちがメヘンディを求めていると言っても過言ではない。休む暇もなく、お客さんが来続けた。初めてのお客さんのときのように、もらったお金にしみじみ思いを馳せる暇なんてもちろんなく、ただただ雑にポケットに突っ込む。

(2016年10月18日撮影 この翌年のカルワチョート前日の写真。広場は大混雑だ)

 インドのお客さんは、忖度がない。嫌だと思うと我慢することなく、「ここの線をもっと太くして」「もっと腕の上の方まで描いて!」と言ってくる。マンジュリやミナクシはそういうお客さんのあしらい方も慣れているのだが、私はいいメヘンディをやってあげたいと思うあまり、言われるがままに模様を足したり、線を太くしたりしていた。そうすると、とても素敵なメヘンディが出来上がるのだけど、最初に値段交渉を済ませているので値段に見合わないほどいいメヘンディができてしまう。そうしてマンジュリに毎回、「あんなにいいメヘンディをやったのにこれしかお金をもらわなかったのか?!あんなのはもっとお金を取らないといけないんだよ」と言われ続けていた。たしかに、私はお金をもらわなさすぎだ。マンジュリたちみたいにみたいに、ちょうどいい具合に値段をふっかけたり、安い客には雑なメヘンディをして回転率を上げるということがどうも苦手だ。もっと「ビジネスマン」にならないと……

 ビジネスを意識してメヘンディをやっていると、高くお金を払ってくれそうなマダムが通ると、「よし、稼げるぞ!」と思う。外国人観光客なんか通った時には、「金だ金だ金だ〜〜〜!」とテンションぶち上げだ。これまでバックパッカーをしていて路上の客引きに声をかけられることや値段をふっかけられることがとても嫌だったのに、まさか自分がふっかける側にまわるとは思わなかった。いつしか私のマインドは完全に、路上メヘンディ描きになっていた。

 

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 第2回
バイブス人類学

文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていきます。

プロフィール

長井優希乃

「生命大好きニスト」(ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザー)。京都大学大学院人間・環境学研究科共生文明学専攻修士課程修了。ネパールにて植物で肌を様々な模様に染める身体装飾「ヘナ・アート(メヘンディ)」と出会ったことをきっかけに、世界各地でヘナを描きながら放浪。大学院ではインドのヘナ・アーティストの家族と暮らしながら文化人類学的研究をおこなう。大学院修了後、JICAの青年海外協力隊制度を使い南部アフリカのマラウイ共和国に派遣。マラウイの小学校で芸術教育アドバイザーを務める。

 

 
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