バイブス人類学 第5回

ジーンズを履いて脱け出そう

長井優希乃

 

ショッピングモールとカーディガン

 

ある日曜日、ミナクシと次女のラヴィーナとノイダにあるショッピングモールに行くことになった。ノイダとはメトロに乗って数十分、デリーを出てウッタルプラデーシュ州にある都市だ。そこに、ミナクシおすすめのショッピングモールがあるという。三人でのお出かけに、みんなウキウキしていた。

二人は、「もしパパに『どこに行くの?』と訊かれたら、ノイダのショッピングモールとは言わずに、ラクシュミナガルって言うんだよ」と私に忠告していた。どうやら、遠出してノイダのショッピングモールに行くことは、父親のハリシュにとってはあまり好ましくないことらしい。ラクシュミナガルのマーケットは家からの最寄りの市場で、その程度ならハリシュも渋らないそうだ。ハリシュは、息子がどんなに遠出していてもなにも言わないけれど、娘たちが遠出することは嫌うのである。

ミナクシとラヴィーナは、ヘアアイロンで髪をストレートにしたり、何回も服を着替え、何度も私に「このトップスか、こっちのトップスかどっちがいい?」と尋ねてきたり、おしゃれに余念がないようだった。私は、友人からもらった肩の部分だけ生地がカットされている薄手の長袖トップスにジーンズという服装で行くことにした。ミナクシとラヴィーナはその私の着こなしが気に入ったらしく、とても褒めてくれた。

その服に着替えたあとリビングに出ると、ハリシュがソファに座っていた。パパは私を見て、「出かけるの?」と訊いた。私はミナクシとラヴィーナに言われた通りに、「うん、ラクシュミナガルのマーケットに行くんだ」と言った。するとパパは、「その服で行くの?」と訊いた。私が「そうだよ」と答えるとハリシュは、「その服は良くないから、着替えなさい」と言う。驚いた私が「なぜ?」と訊き返しても、ハリシュは少し言いづらそうに「うーん……良くないから」と言うだけだ。面倒臭いなあ、と思いながらも、「オーケー」と言って部屋に戻った。

ミナクシとラヴィーナに「パパにこの服は良くないから着替えなさい、って言われたんだけど、どうしたらいい?」と尋ねると、ミナクシは「あー、肩がカットされているからだね……」と答えた。私が「みんなこういう服は着ないの?」と訊いてみると、ミナクシは「いやいや、インドの女の子はみんなこういう服が好きだよ!肩がカットされているもの、背中がカットされているもの、みんな、カット、カット、カット!大好きだよ。それにジーンズ。イケてるよ。でも、今日はパパがそう言ってるんなら、上にカーディガンを着て出ればいいんじゃない」と言った。私が、「でも暑いよ。パパはなんでこの服が良くないと言うの?」と言うと、「それは、近所の人たちが、『あの家の子は、なんて服を着ているんだ』と思うから。みんな、噂が大好きなんだよ。少し露出していたり、派手な格好をしていると、みんなヒソヒソ言うの。私はこの噂好きな近所の人たちが好きじゃない。だから、パパは間違ったことは言っていないと思うよ。だから、この近所ではカーディガンをとりあえず着ておいて、この近所を出たら、カーディガンを脱いで好きにしたらいいんだよ!着たいもの、なんでも着ればいい。私もいつもそうしているよ」とミナクシは答えた。

その言葉の通り、私は薄手の腰下まである長いカーディガンを羽織った。みんな準備ができたので三人で部屋の外に出ると、ハリシュがまだソファに座っていたので、「これでオーケー?」と着こなしを見せた。するとハリシュは笑顔で「オーケー、オーケー、行ってらっしゃい!」と言っていたので安心した。ミナクシとラヴィーナが「早く!」と玄関の所で急かすので、小走りで玄関から外に出て近所を抜け、リキシャに乗るとメトロの駅近くに着いた。そこでみんなでカーディガンを脱いで、早足で駅に向かい、メトロに乗ってノイダのショッピングモールに出かける。

ショッピングモールにつくと、たしかにそこにいる若者はジーンズばかりだった。サングラスをかけて、ジーンズにクルタ(長いトップス)を合わせている子もいた。ショッピングモールにはトルコアイス屋さんがいたので、みんなで一つずつ買って、トルコアイス屋さんではおなじみの、棒につけたアイスを渡すふりをして渡さない、いわゆる「簡単にはとらせないぞ」といわんばかりのパフォーマンスで大いに楽しんだ。その後ショッピングモールにある芝生で座っておしゃべりをしたり、茂みで生まれていた子犬を可愛がったりしながら周囲を眺めると、やっぱり豪華な刺繍のスーツやサリーを着ている若者はいない。そうした格好をしているのは、若者たちというよりも、母親世代などの年齢が上の人たちのように思えた。ショッピングモールはデリーの「イケてる」若者の過ごす場所なのだから、そこにはやっぱり「イケてる」ジーンズを着ていかないといけないのかもしれない。これまでミナクシの言っていた「どうしてジーンズを履かないの?」という言葉が、なんだか腑に落ちた。

 

(2016年10月23日撮影 ショッピングモールで洋服をあててみるミナクシ)

(2016年10月23日撮影 ショッピングモールの芝生で子犬を可愛がるラヴィーナ)

(2016年10月23日撮影 ノイダのショッピングモール)

(2016年10月23日撮影 ショッピングモール内、なぜかライトアップされているガネーシャの前で記念撮影)

 

 でも、どうしてハリシュは、ショッピングモールに行くことや肩のカットされた服をダメと言うのだろう。どうして、近所の人たちは娘たちの格好をあれこれ噂するのだろう。

 人類学者の杉本星子によると、インドにおける「装い」はイギリス植民地支配のもとで、男性のインディアン・ドレスは「伝統的な衣服と西洋服を折衷」したものに、女性のインディアン・ドレスは「ヒンドゥー教徒の伝統的な衣服であるサリーの民族衣装化」という方向に形作られていった。そしてそれは、近代社会における「パブリックな空間=男性の空間」、「プライベートな空間=女性の空間」という男女の象徴的な空間区分と重なっていった。さらに「西洋/インド」という二項対立が「男/女」というジェンダー表象と重ね合わさったことで、「西洋/インド」、「公/私」、「ソト/ウチ」、「近代/伝統」、「男/女」という重層的な二項対立に基づいたジェンダー観がインド社会にできあがっていったという。

 このようなジェンダー観が形作られていくとともに、女性たちには「正しいインド女性」としての装いと振る舞いが求められるようになった。「正しいインド女性は、伝統的なサリーを着て、「ウチ」である家にいるべきだ」という概念が人々の間に共有されるようになったのである。

 そうした概念が共有されるインド社会において「ジーンズ」は、女性のモラル低下の象徴としてよく語られる。「西洋近代」の象徴であるジーンズを女性が履くことは「正しいインド女性」として「間違ったこと」、なのだ。たとえば、2021年3月22日のBBCの記事では、ウッタラカンド州の新しい男性知事が、膝の破れたダメージジーンズを履いた子連れの女性を批判した。「NGOを運営し、膝が破けたジーンズを履いて、子供も連れて、どんな価値のあることを教えるというんだ?」 その発言に対し、様々な女性リーダーたちから「ミソジニーの拡散だ」という声が挙がっている。知事の発言に対抗するために、女性たちはダメージジーンズを履いた写真を次々とアップした。そして、ある女性が投稿した、首相のナレンドラモディが半ズボンを履いている写真に「オーマイゴッド!膝が見えているよ!」というキャプションをつけた投稿には7万8千件のいいねと7千件のコメントがついた。

 このように、女性がジーンズを着用することは、それだけで議論の対象になるのだ。「サリーを着た正しいインド女性」の像と「ジーンズを履いた女性」の像は相反するものとして捉えられる。「ジーンズを履いてショッピングモールにいる女性は、『正しいインド女性』ではない装いと振る舞いをしている。だから、性被害に遭っても仕方ない」という言説すらある。そうした言説が流布する背景には、根強い男性中心主義的な価値観がある。人類学者の田中雅一によると、インドの公共の場で行われる性犯罪や性的なからかいは、性的欲求の表れというよりも「男性の世界に女性が侵入してきたことへのいらだちの暴力的表現」であり、一種の「罰」のような様相を帯びることがあるそうだ。その「罰」の対象になるのは、伝統的な男性中心主義(家父長制度)を揺るがす行為をおこなった女性だという。たとえば、家ではなくショッピングモールにいること、夜遅くまで映画館にいること、サリーでなくジーンズを履いていること……これらはすべて「罰」の対象となりうる。なぜなら、二項対立をもとにした家父長制的な規範を揺るがしているからだ。「女性自身が正しい振る舞いと装いをしていないから、性被害に遭う。サリーを着て家にいればいいのに、そうじゃない女性には「罰」を与えないといけない」……そんな言説がまかり通ってしまうような状況があるのだ。

 警察官である父親のハリシュは、デリーの性犯罪の多さを目の当たりにしているからこそ、娘たちの身を守るためにも「正しいインド女性」としての装いと振る舞いをしてほしかった。だから、肩のカットされた服はダメだし、本当はジーンズも履いて欲しくなかったのだろう。ハリシュは、娘たちがスーツを着ると、あからさまに嬉しそうな顔をする。ショッピングモールに遠出することをハリシュに言ってはいけなかったのも、「女性はウチにいるべきだ」という考えがあり、その規範を娘たちに適用していた。出かけるにしても近所の市場までなら手の届く範囲だ、という思いがあるからだろう。

しかし、ミナクシはしばしば、そんなデリーでの生活の窮屈さを口にする。そして実際に彼女は窮屈な生活を飛び越えるように、いわゆる「正しいインド女性」ではない振る舞いをするのだ。

 

「夜中にこっそり抜け出そう」

 

ある夜、ミナクシが家をこっそり抜け出して遊びに行くから一緒に行かない?と提案してきた。なんてチャレンジだ!大丈夫かなと思いながらも、面白そうなので、私も一緒に行くことにした。実は、ミナクシは以前に何度も夜中にこっそり抜け出したことがあるらしい。ヨギーの友達のアパートに行って、ヨギーと友達と少し酒を飲んだりしゃべったりするそうだ。今回も、ヨギーの友達のアパートに行くらしい。以前にもミナクシから、「こっそり抜け出してクラブに行こう」と何度か誘われたことがあるが、本当に抜け出すのは今回が初めてだ。

ラヴィーナは毎回、ミナクシが抜け出すのを手伝っているそうだ。ミナクシが抜け出したあとに内側から家の鍵をかける役割と、家族が起きだす前の早朝、ミナクシが家に戻ってきた時にかけてくる電話で起き、こっそり家の鍵を開け、なかに入れるという重要な役割を担っている。ミナクシが抜け出す夜にはラヴィーナも熟睡できないのだ。

 ミナクシとヨギーはWhatsApp(チャットのできるアプリ)で連絡を取り合い、抜け出す時間などを決めていた。姉妹の部屋と玄関の間には、長男のアマルジートの部屋、そしてテレビを見るための休憩部屋がある。彼の部屋は熱気がこもって暑いらしく、よくテレビの部屋でくつろいでいるのだ。テレビの部屋は玄関の隣だ。だからもしアマルジートがテレビの部屋にいたらばれてしまうため、抜け出せない。だから、アマルジートが彼の部屋にいるかどうかしっかり確認してから出よう、ということになった。彼はいつも、ミナクシの振る舞いに対して悪口を言っている。ミナクシが以前男友達と街を歩いているのを見つけて、公衆の面前で彼女をビンタしたことすらあるのだ。そんな彼にこの抜け出し作戦がバレたら、次はどうなるかわからない。絶対に、バレてはいけない。

 

 ミナクシとヨギーは0時に家を抜け出し合流するということで約束したらしい。その少し前にアマルジートの様子を確認したら、彼は自分の部屋にいるようだ。なんだか、うまくいきそうだ。

しかし、安心したせいかミナクシも私も気がついたら寝てしまっていて、目が覚めたら0時40分だった。ヨギーからミナクシの携帯に怒った着信やメッセージが大量に入っていた。ミナクシは「早く行かないと!」と慌ててジーンズに着替えて部屋の中をウロウロしている。皆家族は寝静まっているようだった。私も急いで外に行けるような格好に着替えた。三人で、こっそり姉妹の部屋の扉を開け、リビングの電気はつけず、移動の際に音が立たないように靴を手に持ち、裸足で玄関にそろりそろりと向かう。テレビの部屋の横の、玄関のドアに着いた。もう少し。ミナクシが金属製の玄関のドアをゆっくり開けはじめたその時、「キィッ」と音がなった。

「誰だ!」という声が聞こえた。私たちは青ざめた。

アマルジートがなぜか、こんな時間まで、テレビの部屋で寝ていたのだ。一瞬の間にミナクシは走って部屋にもどり、ラヴィーナは私の荷物を持ってトイレに隠れ、私はすぐ近くの洗面台で歯磨きをするふりをした。しかし、絶対に怪しい。彼がテレビの部屋から出てきて、洗面台のところにいる私を見つけ、「どうしたの?」と訝しげに聞いた。「歯磨きしに来た」と私は答えた。そしてアマルジートは「どうしたのその格好?」と私に聞いた。私はその時、パジャマではなく薄手のクルタを着て、ドゥパッタまで首に巻いていたのだ。

私は「いや、なんか着心地がいいからよくこれを着て寝るんだよ」とごまかした。どう見ても怪しい。アマルジートは訝しげな顔をしながら「本当に?」と訊く。たしかに、あまりにも怪しい。その怪しさを払拭するために、「テレビの部屋にアマルジートとお喋りしに来たんだよ」と言ってTVの部屋に入ってみた。「……最近彼女とはどう?妹たちには相談できないでしょう」などと白々しく始めると、彼の表情は柔らかくなり、少し嬉しそうに話し始めた。アマルジートの恋愛相談などを長々と聞き、30分ほど楽しくおしゃべりした。やっぱり、恋愛の話は盛り上がる。「もう寝るね、話してくれてありがとう。これからもなにかあったら相談してよ」などと言って、姉妹の部屋に戻った。アマルジートは完全に、私がおしゃべりしにきたと信じているようだ。

姉妹の部屋に戻ると、ミナクシとラヴィーナがこっちを振り向いて、「どうだった?!」と小声で叫んだ。私は「多分、抜け出そうとしたのはバレていないよ。色々お喋りしてごまかしておいた」と言うと、二人は安心した様子だった。私はまた気づかれるのが怖かったので行くのをやめたが、ミナクシは諦めていないようだ。ラヴィーナと私は止めたが、絶対に行くと言う。ラヴィーナは疲れたような、呆れたような顔をしていた。 

その後、アマルジートが自分の部屋に戻った音がした。しかし彼はしばらくは起きているだろうからすぐ出てはだめだ、と忠告し、ラヴィーナと私は寝た。

ミナクシは、しばらく経っても抜け出すことを諦めていなかった。午前3時頃、寝ているラヴィーナを無理やり起こし、「行ってくるから」と言った。また、そろりそろりと玄関の方へ向かった。今度は、みんな寝静まっている。ラヴィーナに内側から鍵をかけてもらい、ミナクシは寝静まった街をヨギーのもとへ走っていった。

 

このミナクシの行動は、インド社会における「正しいインド女性」にはあるまじき行為だ。ジーンズを履いて夜中に抜け出すなんて、文字通り「サリーを着て家にいる」の正反対だ。だから、ハリシュにも、アマルジートにも、絶対にバレてはいけないのだ。バレたら、本当にどうなるかわからない。正直、恐ろしい。

でも、そんな心配をよそに、ミナクシはそれから数日後も夜中に抜け出してヨギーとクラブに行った。「正しいインド女性像」を求められる窮屈なデリーでの生活の規範をポンッと飛び越えるかのように、家の男たちの目をかいくぐって、自分のやりたいことをやるミナクシ。彼女は窮屈な生活に、自分で新しいバイブスを生み出し、生きている。そんなミナクシの生活の一部に混ぜてもらえていることが面白くて、嬉しかった。

スーツやサリーも大好きだけど、ジーンズを履いてるミナクシは、マジで「イケてる」なあ、と思いながら、今日も服を選ぶ。

 

(2016年12月19日撮影 ジーンズを履いて三人で出かける)

 

参考文献

 「近代インドのファッション——インディアン・ドレスにみるジェンダー表象」 杉本 星子『現代南アジア 5 社会・文化・ジェンダー』小谷汪之(編)pp. 295-309(東京大学出版会/2003年)

 

『「女神の村」の民族誌 現代インドの文化資本としての家族・カースト・宗教』杉本星子(風響社/2006年)

 

「現代インドにおける女性に対する暴力 ―― デリーにおける集団強姦事件の背景を探る」田中雅一(2013.05.08)

https://synodos.jp/opinion/international/3730/

 

“Why India is talking about ripped jeans and knees” 22 March, 2021

By Geeta Pandey BBC News, Delhi

https://www.bbc.com/news/world-asia-india-56453929

 

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バイブス人類学

文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていきます。

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プロフィール

長井優希乃

「生命大好きニスト」(ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザー)。京都大学大学院人間・環境学研究科共生文明学専攻修士課程修了。ネパールにて植物で肌を様々な模様に染める身体装飾「ヘナ・アート(メヘンディ)」と出会ったことをきっかけに、世界各地でヘナを描きながら放浪。大学院ではインドのヘナ・アーティストの家族と暮らしながら文化人類学的研究をおこなう。大学院修了後、JICAの青年海外協力隊制度を使い南部アフリカのマラウイ共和国に派遣。マラウイの小学校で芸術教育アドバイザーを務める。

 

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