怖いもの知らずの初大会
エリーは、グーグルで検索してナタリーのことを調べ上げ、映像を見て憧れ続けた。偉大な選手の存在がまたもエリーの成長を促した。全豪大会の予選通過タイムを突破すると、そのまま本大会でも好成績を収めてついに代表チームに呼ばれることになった。14歳で2006年の世界選手権に出場することになった。本人にとってまったく予想外の喜びだった。しかも開催地はあこがれのナタリーのホーム、南アフリカだった。初めての代表、初めての世界大会は、それまで足が二本ある子にも負けないと遮二無二頑張っていたひとりの少女を興奮させるのに十分だった。エリーはケープタウンの水泳の練習会場に着くと、ビデオカメラを出してすべてのレーンを見て回り、ナタリーを探した。そしてお目当てのスーパースターが第1レーンを泳いでいるのを見つけると、はしゃぎ回ってチームメイトに叫んだ。
「ナタリーがいる!ナタリーがいる!」
飛び跳ねながらその映像をカメラに収めた。
「すごく興奮して多分チームのみんなに迷惑をかけたと思う。楽しいこともたくさんやったわ。ビーチでも過ごしたし、アフリカン・サファリへ行った。バッファロー・ソーセージも食べてみたけどあれは、あんまりおいしくなかった(笑)」
(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM
初めての経験故に、怖いもの知らずでもあった。100m背泳ぎで笛が鳴ってプールに入ると、嬉しくなってスターティンググリップを握ろうとせずにコーチを探して、手を振った。「集中しろ!」とコーチは怒鳴った。それでも自分の周りで起きていることに興奮しっぱなしであった。肝心のナタリーとの対決は完敗で、体6つ分ぐらい引き離されてしまったが、同じプールで泳げただけで感激していた。
最初のこの国際大会で2位に入賞する。
「これは私の中ではとても大きなことだった」
エリーの照準が二年後のパラリンピック北京大会に向けられた。
内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。