WHO I AM パラリンピアンたちの肖像 第4回

エリー・コールの心を奪ったスイマー

パラリンピック北京大会で負けず嫌いに火がつく
木村元彦

心を奪われたひとりの選手

 エリーはフランクストンのトレーニングセッションにすべて通った。友人で同じように障がいのある水泳選手が2005年に全豪選手権に出場していった。彼女は刺激的な体験をして戻って来た。その大会は健常者も障害者も同じプログラムの中で出場していたから、地元シドニー五輪で金メダル(1500m自由形)を取ったグラント・ハケットやバルセロナ五輪、アトランタ五輪で二連覇(1500m自由形)を達成したキーレン・パーキンスに会う機会があったのだ。エリーが子供の頃からあこがれていた水泳王国オーストラリアのオリンピック代表選手たちである。

 「それを聞いて私はすごくエキサイトした。自分のアイドルに会える機会があるなら、絶対にそういう大会に出なきゃって思ったの。当時の私のタイムではすごく難しかったけれど、おかげで次の目標が明確になった」

(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM

 人間はモチベーションによって可能性を一気に広げる。さらに厳しいトレーイングを課した。 

 この頃エリーはひとりの選手に心を奪われる。当時、父親のパソコンで同じ水泳のS9クラスの公式記録による世界ランキングを常に見ていた。40位から50位の間にいたエリーは記録を伸ばして順位を上げることを目標にしていたのだ。ある日突然、見たことも無い名前が突然世界ランクのトップに登場した。

「私は思ったわ。『この子誰? 突然1位になるなんて』ってね。それまで聞いたことがなかったし、すごく速いタイムで泳いでたのが驚きだった」

(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM

 それが、南アフリカのナタリー・デュトワだった。ナタリーは元々、南アフリカの競泳の代表選手だった。14歳の頃から国際大会にも出場して未来を嘱望されていたが、2001年に左足の膝から下を切断するという事故に遭う。しかし、それに彼女は絶望しなかった。ケガが完治する前からプールに戻り、トレーニングを再開する。そして障がい者水泳の大会に出場をし始めたのである。それだけではない。片足を失っているにも関わらず、ハンディを克服し健常者のトーナメントにも出場し、2003年のナイジェリアでのアフリカ選手権ではただ一人の障がい者でありながら、800mで優勝を果たしている。足を失ってからの方が記録も伸びているのだ。部類なき強い精神力はまさにスーパースターだった。

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WHO I AM パラリンピアンたちの肖像

内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。

関連書籍

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プロフィール

木村元彦
1962年愛知県生まれ。中央大学文学部卒業。ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト。東欧やアジアの民族問題を中心に取材、執筆活動を続ける。著書に『橋を架ける者たち』『終わらぬ民族浄化』(集英社新書)『オシムの言葉』(2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞作品)、『争うは本意ならねど』(集英社インターナショナル、2012年度日本サッカー本大賞)等。新刊は『コソボ 苦闘する親米国家』(集英社インターナショナル)。
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