WHO I AM パラリンピアンたちの肖像 第5回

不死鳥の如く

たった5メートルから果たした再起
木村元彦

 遂にパラリンピックの舞台に立った義足のスイマーにとって、悲願は憧れの選手、そして永遠のライバルでもあるナタリーとの勝負であった。その舞台となるはずのロンドンパラリンピックが刻一刻と近づく一方、悲劇は静かに彼女を蝕み…。念願の勝負と、その後に待っていた崩壊、そして再生の足跡を辿る。

 

 キャンベラにあるAIS(オーストラリア国立スポーツ研究所)でのトレーニングこそ強化指定に選ばれた者の特権と言えた。3年間、ロンドンパラリンピックに向けて生活を保障されながら最高の環境で国家から支援が受けられるのだ。その自覚があればこそ、エリーは一切の妥協を排して自らに負荷をかけた。一週間で80キロ泳ぐというメニューが続いた。北京大会でのメダルは大きな自信になっていたし、地方スイミングクラブ出身のエリーにとって、24時間態勢の整った施設で専門的な指導を受けるのは初めてのことで、伸びしろは大いに期待できた。しかし、水泳を楽しむことから始めた、ある意味で野育ちの人間にとって、大きな環境の変化とハードワークは徐々にその体を蝕むことになっていった。AISでは、エリー本来の責任感の強さが余計に自身を苦しめることになったのだ。国家に特権を与えられた以上、それに応えなくてはいけないという意識は北京であれほど無邪気に競技を楽しんだ16歳の少女をすっかり変えてしまった。涙を流しながら練習を続けた。初めて親元を離れたことで孤独に苛まれ、練習の帰り道にはいつも泣きながら母親に電話をした。いつしか、ロンドンパラリンピックは大きなストレスになっていた。

(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM

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WHO I AM パラリンピアンたちの肖像

内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。

関連書籍

橋を架ける者たち 在日サッカー選手の群像

プロフィール

木村元彦
1962年愛知県生まれ。中央大学文学部卒業。ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト。東欧やアジアの民族問題を中心に取材、執筆活動を続ける。著書に『橋を架ける者たち』『終わらぬ民族浄化』(集英社新書)『オシムの言葉』(2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞作品)、『争うは本意ならねど』(集英社インターナショナル、2012年度日本サッカー本大賞)等。新刊は『コソボ 苦闘する親米国家』(集英社インターナショナル)。
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