マーク・キングウェル『退屈とインターフェース』を読む 第2回

「ステイホーム」でスマホから離れられなかった私たちが、ポスト・トゥルースについて考えるべきこと

②真実を見捨てた代償
上岡伸雄

 2016年のトランプ当選に続く数年は、彼が気まぐれに吐き出す半端な真実と真っ赤な嘘が、肥料をたっぷり与えた地下室のキノコのように、無差別に増殖していった。デイヴィッド・レムニック(訳注:『懸け橋(ブリッジ): オバマとブラック・ポリティクス』などで知られるジャーナリスト)は、ロシア大統領ウラディミール・プーチンとの悪名高きヘルシンキ「サミット」(2018年7月)のあと、次のような指摘をした。背信行為の要点は、表面上、選挙への介入に関してロシアが明らかに犯人であるのかないのか、トランプの発言が混乱しているということにある(訳注:トランプは最初肯定し、それを言い間違いであったと訂正した)のだが、トランプが非道な不正行為を働いてもずっと逃げおおせているように見えるのは、単純に気の滅入る光景だ。「あからさまな欺瞞や一貫性のない言動をするトランプの傾向は異常行動ではない」と彼は書いている。「これは彼が日常していることだ。この2年間、多くのアメリカ人が背負ってきた漠然とした無力感や陰鬱な気持ちは、まさにトランプが腹立たしい発言や行動を絶えず繰り返してきたことに由来する」。これはもちろん、新種の退屈である──自国が体系的に蝕まれていくのをなすすべもなく見守るしかない、消沈した有権者たちの無力感。蝕んでいるのは、「アメリカを最優先する」とか「アメリカを再び偉大な国にする」とかいった影絵芝居を続けている、明らかな背信者だ。当然ながら、このいんちきショーは、いわゆるトランプ作戦基地の過激な集会でうまく機能し、根性の据わらない共和党によって不自然に支えられている。共和党は、その実入りのいい在職期間を明け渡すのが怖くて、この明らかにおかしな男、錯乱した道化のような変人と、手を切れずにいるのだ。

Tonic / PIXTA(ピクスタ)

 

 ここで言及するに値する歴史上の注釈を入れよう。トランプが2016年の大統領選挙で勝ったとき、エリック・ハガーマンという男が完全なメディア断食をしようと決意した。ソーシャルメディアも、テレビも、ラジオも、インターネットも使わない。この行動は、オハイオ州にあるハガーマンの養豚場で実行されたのだが、とても珍しい意識的な決意だったので、ニューヨーク・タイムズ紙が詳しい記事を書くことになった。「すごく厳格で完璧なものでした」とハガーマンは自分の決意について語っている。「ただトランプから離れたいとか、話題を変えたいとか、そういうことじゃないんです。まるで自分が吸血鬼で、トランプの光の粒子をちょっとでも浴びたら、塵になってしまうかのようでした」。ほとんど度肝を抜かれたニューヨーク・タイムズ紙の記者は次のように表現した。「彼は、現代アメリカ史における最も波瀾万丈の局面の一つにおいて、衝撃的なほど情報を遮断することに成功したのだ。現代の市民が望む限りにおいて最高に無知になれたのである」

creativefamilly / PIXTA(ピクスタ)

 

「ただ天気を見ています」とハガーマンは言った。53歳で一人暮らしである。「でも、それだけでも楽しいですよ」。それから、本書の議論に関してキーとなる主張をした。「退屈ですけど、苛立ったりはしません」。ニューヨーク・タイムズ紙の記者、サム・ドルニックは本当に重要なのはどこかを見抜いた。「退屈を見つけるには綿密な計画が必要である」と彼は書いている。「ハガーマン氏はメソッド演技法の役者のように厳格に取り組み、彼が自分に課したプログラムは──コーヒーショップではホワイトノイズのテープを聴き、友人からぎこちない叱責を受け、ソーシャルメディアを禁じるなど──彼の人生の大部分を再形成した」。もちろん、そうだ。しかし、これは経済的に恵まれた者だけができる贅沢な暮らし方ではないか? ハガーマンはナイキの元重役であり、だからほかの人たちには無理でも、メディアを閉め出すことができるのだ。彼の退屈はヴェブレン財(訳注:有閑階級が「目立つため」「見せびらかすため」に購入する高額な商品)であり、ほとんどの消費者には手が届かないのである。それはすでに提示した「創造的退屈」ともある程度関係があるが、ネオリベラルに特化した状況の要素もあり、それを彼は苦しみから快楽へと変換したのである。これはとても進歩した退屈に関する思考だ──簡単に言えば、自意識を亀のように甲羅のなかに引っ込め、外界をゼロにする。甲羅のなかに引きこもった人間に真実は問題にならない。同様に、嘘やナンセンスも──それが集積されていくことで合理性自体を蝕んでいくのだが──問題にならない。

(第3回へ続く)

1 2
 第1回
第3回  
マーク・キングウェル『退屈とインターフェース』を読む

「ステイホーム」の号令下で、いつもとはまったく異なる日々を自宅で過ごした読者も多かったのではないだろうか。スマホやパソコンを手放すことの出来ない時間が飛躍的に増え、コミュニケーションから生活、余暇のすべてがこうしたデバイスに支えられていることを実感しただろう。カナダでポピュラーな哲学者・Mark Kingwellが「退屈」という概念を哲学的に考察することで、こうした事態を巡る問題に警鐘を鳴らした『退屈とインターフェース』から、現下の状況に関わりの深い第二部をアメリカ文学研究者、上岡伸雄の翻訳連載で送る。

関連書籍

テロと文学 9.11後のアメリカと世界

プロフィール

上岡伸雄

1958年生まれ。翻訳家、アメリカ文学研究者。学習院大学文学部英語英米文化学科教授。東京大学大学院修士課程修了。1998年アメリカ学会清水博賞受賞。フィリップ・ロス、ドン・デリーロなど現代アメリカを代表する作家の翻訳を手がけている。著書に『テロと文学 9.11後のアメリカと世界』、『ニューヨークを読む』、訳書に『リンカーンとさまよえる霊魂たち』、『ワインズバーグ、オハイオ』、共著に『世界が見たニッポンの政治』など。

集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル
プラスをSNSでも
Twitter, Youtube

「ステイホーム」でスマホから離れられなかった私たちが、ポスト・トゥルースについて考えるべきこと