なぜ働いていると本が読めなくなるのか 第8回

1990年代の労働と読書―行動と経済の時代への転換点

三宅香帆

1.さくらももこと心理テスト

90年代は「そういうふうにできている」

平成を代表する作家を挙げろと言われたら、私は彼女の名前を出すだろう。さくらももこ。―言わずと知れた国民的アニメ、漫画『ちびまる子ちゃん』の作者だ。

 私は尿のしみ込んだテスターを握ったまま、十分余り便器から立ち上がる事ができなかった。便座と尻の間に吸盤がくっついているかと思うほど、立ち上がるのが困難であった。

 この腹の中に、何かがいるのである。大便以外の何かがいる。便器に座り込んでこうしている間にも、それは細胞分裂をしているのだ。私のショックとは無関係に、どんどん私の体内の養分を吸収しているのだ。

(さくらももこ『そういうふうにできている』新潮社、1995年)

1990年代の到来とともに、さくらももこの時代はやってきた。

1990年に『ちびまる子ちゃん』がフジテレビ系でアニメ化され、主題歌『おどるポンポコリン』の作詞で第32回日本レコード大賞を受賞。1991年にエッセイ集『もものかんづめ』(集英社)を刊行し、ベストセラー2位となる(ちなみに1位は宮沢りえの写真集『Santa Fe/宮沢りえ』)。92年『さるのこしかけ』が年間3位、93年『たいのおかしら』が年間4位、95年『そういうふうにできている』が年間15位と、ベストセラー街道を突っ走った。

ほとんど平成の幕開けと共に始まったさくらももこの作家生活は、平成の終わりとともに、幕を閉じた。彼女のエッセイは、それまでの女性エッセイストと大きく異なり、読者を女性に限定しなかった。向田邦子や林真理子のエッセイの多くが女性読者をターゲットとし、自分のセンスや毒舌を読ませる一方、さくらももこは老若男女だれでも読めるエッセイを書き続けた。

冒頭に引用した『そういうふうにできている』もまた、だれでも読めるエッセイのひとつだ。妊娠・出産という、ともすると女性読者向けに閉じそうな題材を、彼女は誰でも読める文章に開いた。それは女性エッセイストという歴史でみても、真似できる人が他にいない。

さくらももこと心理テストが流行する時代

しかしさくらももこの文章を今読んでいると、なんだか奇妙だと思う点はある。そのうちのひとつが、どこかスピリチュアルな感性が当然のように挟まってくるところだ。

 私の意識が肉体からほんのわずかの距離に心地良く漂っている最中、遠い宇宙の彼方から「オギャーオギャー」という声が響いてきた。私は静かに自分の仲間が宇宙を越えて地球にやってきた事を感じていた。生命は宇宙から来るのだとエネルギー全体で感じていた。

(『そういうふうにできている』)

出産という非日常体験の記述ではあるのだが、「宇宙」という言葉がさらっと出てくるところに、いささか驚いてしまう。新しい生命、と、私、の間に、さらりと宇宙、が登場する。

さくらのスピリチュアル志向は、決して妊娠・出産に始まったことではない。ほかのエッセイ集でも見られる。

そしてもっと言えば、このような傾向は、さくらももこだけに限ったことではない。日本全体で、心への興味、その結果としての心霊現象やスピリチュアル的な感覚が広まったのが1990年代前半だった。

たとえば1995年に刊行された『パラサイト・イヴ』(瀬名秀明、新潮社)は、100万部を突破するベストセラー小説である。本書は、遺伝子「イヴ」が反乱を起こすというホラー小説なのだが、自分の身体や遺伝子が何か変なことを起こすのではないか? という自分の内面への懐疑が主題となっていることは明白だ。

さらに同年刊行の『ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙』(ヨースタイン・ゴルデル著、池田香代子訳、NHK出版)も、なんと200万部以上のベストセラー。内容は哲学史の入門書なのだが、この本が売れること自体、人々が哲学的な問い、つまりは自分の内面の探索に興味を持っていた証左だろう。

臨床心理士の東畑開人は、90年代について以下のように述懐する。

「本当の自分とは何か?」とか「生きる意味とは何か?」とか「私とは何か?」という問いには魅力があって、人々は外界とはまた別の価値を内面に探し求めた。実際、当時は「自分探し」の旅に出ることにはカッコよさがあったし、テレビでは心理テストの番組が放送されることもあった。  

 なにより臨床心理学は大人気だった。心の深層を語る本は一般書の棚でもよく売れていたし、事件が起こればメディアに臨床心理学者が呼ばれて「心の闇が」云々と語っていた。大学の心理学科は高倍率で、「臨床心理士」という資格もできた。心の仕事が少しずつ社会に広がっていった時期だった。

(東畑開人『心はどこへ消えた?』文藝春秋、2021年)

心理テストの番組が、テレビで放送されていた。これについて、雑誌も同様の傾向があったことを示したのは、社会学者の牧野智和である。

牧野は雑誌『anan』(マガジンハウス)や『就職ジャーナル』(リクルート)を分析し、90年代前半には自分を心理学的に読み解くような、心理チャートが多く掲載されていることを明らかにした(牧野智和『自己啓発の時代 「自己」の文化社会学的探究』勁草書房、2012年)。自分を心理学で分析したり、あるいは分類したりするなかで、自分自身を探求するという試みが流行していたのである。

しかし牧野は、その傾向は90年代後半に変化を迎えるという。――90年代半ばを経て、〈内面〉の時代は、〈行動〉の時代に移行する。

2.自己啓発書の誕生と新自由主義の萌芽

『脳内革命』と〈行動〉重視の自己啓発書

1995年、サンマーク出版から『脳内革命』(春山茂雄)が刊行される。

「脳から出るホルモンが生き方を変える」という副題を冠する本書は、プラス思考を心掛けるとエンドルフィンというホルモンが分泌され、老化防止や治癒力向上といった効果をもたらす……という内容を説いた自己啓発書となっている。翌年最大のベストセラーとなった本書は、一番凄いときは「3、4か月ごとに100万部ずつ重版」という状態だったという(澤村修治『ベストセラー全史【近代篇】』筑摩書房、2017年)。売れすぎである。1996年には累計350万部、年間ベストセラー1位。ちなみに続編となる『脳内革命(2)』もミリオンセラーを達成している。売れすぎである。

牧野は『自己啓発の時代 「自己」の文化社会学的探究』において、『脳内革命』について、内面という一見不可視な対象に対しあくまで「実践的技法」によってコントロールしようとしたことが大きな特異点だった、と評する。つまり心理テストや心理学のような抽象的な議論ではなく、イメージトレーニングやポジティブ思考という行動のアドバイスによって、内面を変えることを促す。その点が新しかったのだということだ。

実際、これを契機に、出版界には「脳」ブームが巻き起こる。しかしそのほとんどは、健康法というよりも発想法、思考法やビジネス書――つまり今でいう自己啓発書が多かった。

自分に対して、何か行動を起こすことによって、自分を好転させる。あくまで「行動」を促すことで成功をもたらすという自己啓発書のロジックの原点は、『脳内革命』のベストセラー化が原点にあったのだ。

また「脳」分野以外にも、海外翻訳の自己啓発書でベストセラーは次々生まれていた。

たとえばサンマーク出版は1998年に『小さいことにくよくよするな!』という翻訳本を刊行し、170万部まで至っている。さらに『七つの習慣―成功には原則があった!』(スティーブン・R・コヴィー、川西茂訳、キングベアー出版、1996年)、『他人をほめる人、けなす人』(フランチェスコ・あるベローに、大久保昭男訳、草思社、1997年)がいずれも100万部前後のベストセラーとなる。

挙げたどの著作も、〈行動〉に焦点を当てるところが、なにより注目すべきだろう。

〈内面〉の時代から〈行動〉の時代へ

たとえばこれまでも、自己啓発書の原点として明治時代に流行した『西国立志編』を紹介したり、70年代のサラリーマンに読まれた司馬遼太郎の小説やエッセイを紹介した。しかし90年代の自己啓発書ともっとも異なるのが、自己啓発的な内容ではあれどそのプロセスが「心がまえ」や「姿勢」「知識」といった〈内面〉のあり方を授けることに終始していたことだ。

偉人の人生を紹介することで、その生きる姿勢を学ぶ。そこに〈行動〉のプロセスは存在しない。

しかし90年代の自己啓発書は、読書した後、読者が何をすべきなのか、取るべき〈行動〉を明示する。

そこに大きな違いがある。

〈内面〉重視から、〈行動〉重視へ。90年代にベストセラーで起きた転換をそう呼ぶならば、その傾向は、前述した牧野の雑誌分析においても見られるものである。

90年代前半には心理チャートを多く掲載していた雑誌『anan』や『就職ジャーナル』が、90年代後半になると、「自分の目標を書き出すこと」や「ポジティブな言葉を唱えること」といった行動を示すようになった(『自己啓発の時代 「自己」の文化社会学的探究』)。

それはまさに『脳内革命』で提示された、自分の行動が変わることで、自分の状況を好転させてゆく、という世界観そのものである。とくに『anan』や『就職ジャーナル』といった若年層向けの雑誌でそのような傾向がみられることは、注目すべきだろう。

労働環境の変化と新自由主義の萌芽

では、なぜ90年代に〈行動〉が注目され始めたのだろう? 『脳内革命』はなぜベストセラーとなったのだろうか?

その補助線を引くには、当時の人々の労働環境の変化に注目する必要がある。

90年代。それは30年経ち元号が変わった今考えると、たしかに戦後日本の転換点だった。90年代という名のトンネルを抜ける前と後では、その風景はまったく違うものになっていたのだ。

戦後、高度経済成長期を経てバブル経済に突入した日本経済。その成功体験は、日本の大企業労働モデルを定着させていた。企業が社員に、安定した雇用状態、企業が負担してくれる福利厚生、そして職場共同体つまりはアイデンティティという名の居場所を提供する。その代わりに社員は、転勤や長時間労働という労働条件を受け入れ、企業に忠誠心を持ち続ける。まるで「御恩と奉公」の現代版のような、企業と社員の関係を常識とすることで、日本は経済大国になるに至った(間宏『経済大国を作り上げた思想――高度経済成長期の労働エートス』1996年、文眞堂)。

このなかで「教養」「修身」という思想をもって、階級を上がろうとする大衆たちに本を読む習慣を身につけさせたのは、ほかならぬ日本の企業や政府だった。それが本連載でみてきた日本のサラリーマンの読書の歴史の一側面である。

しかし90年代、好景気はあっさりと崩壊する。バブル崩壊後、日本は長い不景気に突入するのだ。

結果的に、労働環境はどう変わったか。

終身雇用を前提とした日本企業がまず行ったのは、「採用する数を絞る」という策だった。正社員採用の減少によって、就職氷河期が始まる。ちなみにこの時代に「自己分析」という〈行動〉を促すマニュアルが増大したという(牧野智和「「就職用自己分析マニュアル」が求める自己とその機能 「自己のテクノロジー」という観点から」『社会学評論 61(2)』2010年)。

さらに企業は非正規雇用労働者を増加させ、これまで常識とされていた「企業に忠誠心をもっていれば安心」という感覚は消えていくこととなった(石田光規『産業・労働社会における人間関係――パーソナルネットワーク・アプローチによる分析』2009年、日本評論社)。

その結果、1990年代以降、現代で当たり前のように唱えられる「自分のキャリアは自己責任でつくっていくもの」という価値観がつくられるようになったのである。

経済構造も過渡期を迎えていた。都市部と地方の間で再分配が行われていた高度経済成長モデルは終焉しつつあり、経済・金融のグローバル化が進行する。1996年の金融ビッグバンによって、後にインターネット上での株式売買が可能になり、00年代のIT企業ブームへと社会は向かってゆく。

つまり、バブル経済以前の一億総中流時代が終わりを迎え、新自由主義的な価値観を内面化した社会の萌芽が生まれつつあったのが、90年代だった。

〈政治の時代〉から〈経済の時代〉へ

仕事を頑張れば、日本が成長し、社会が変わる―高度経済成長期、あるいは司馬遼太郎が描き出した日本の夢とは、このようなモデルだった。

それはある意味〈政治の時代〉の世界観だったのかもしれない。民主主義の名のもとに、民衆が投票した結果を反映して社会が変わる。あるいはデモや活動によって社会を変えることができる。政治を信じられる時代は、民衆も社会参加できる、という実感に支えられている。

しかし一方で、90年代以降に起こった変化は、社会と自分を切断する。仕事を頑張っても、日本は成長しないし、社会は変わらない。現代の私たちはそのような実感を持っている人がほとんどではないだろうか。というかむしろ「なぜ自分が仕事を頑張ったからって、日本が成長するんだ」と思う人が多数派だろう。

それは90年代以降、ある意味〈経済の時代〉ともいえる社会情勢がやってきたからだ。

経済は自分たちの手で変えられるものではなく、神の手によって大きな流れが生まれるものだ。つまり、自分たちが参加する前から、すでにそこには経済の大きな波がある。そして、その波にうまく乗ったものと、うまく乗れなかったものに分けられる。格差は、経済の大きな波に乗れたか乗れなかったか、適合できたかどうかによって、決まる。大きな社会の波に乗れたかどうかで、成功が決まる―。

自分が頑張っても、波の動きは変えられない。しかし、波にうまく乗れたかどうかは変わる。それこそが90年代以降の〈経済の時代〉の実感なのだ。

だとすれば90年代の労働は、大きな波の中で自分をどうコントールして、波に乗るか、という感覚に支えられていた。

「そういうふうにできている」。さくらももこのつけたタイトルは、存外平成という時代が生み出した感覚を先取りしていた。

世界は、私たちは、脳は、会社は、そういうふうにできている。だから仕組みを知って、行動し、コントロールできるものをコントロールしていくしかない。

「そういうふうにできている」ものを変えることはできない。だからこそ、波の乗り方―〈行動〉を変えるしかない。

そのような環境が、自己啓発書のベストセラーを生み出したのだ。

3.読書とはノイズである

読書離れと自己啓発書

本連載は「なぜ働いていると本が読めなくなるのか?」というタイトルを冠している。

普通に考えれば、長時間労働によって本を読む「時間」を奪われたのだという結論に至る。だが第一章では、それにしては日本人はずっと長時間労働を課されてきており、現代に始まったことではない、と指摘した。

つまり第一章で引用した映画『花束みたいな恋をした』の麦くんは、長時間労働に追われる中で、「パズドラ」はできても「読書」はできない。「パズドラ」をする時間はある。でも「読書」はできない。ここにある境目とは何なのかを知りたくて、私は読書と労働の歴史を追いかけてきた。

戦後、やっぱり本が売れていた。とくに戦後の好景気からバブル経済に至るまで、人口増加に伴い本は売れていたし読まれていた。しかし90年代後半以降、とくに00年代に至ってからの書籍購入費は明らかに落ちている(総務省統計局「1世帯当たり年間の品目別支出金額及び購入数量」(二人以上の非農林漁家世帯、全国)参照)。

しかし一方で、自己啓発書の市場は伸びていた。

出版科学研究所の年間ベストセラーランキング(単行本・新書)を見ると、明らかに自己啓発本が平成の間に急増していることが分かる。1989(平成元)年には1冊もなかったのに対し、90年代前半はベスト30入りした書籍が1~4冊、95年に5冊がランクイン、1996年には『脳内革命』と『『超』勉強法』(野口悠紀雄、講談社、1995年)がランキングの1、2位を独占するに至るのだ。この後の00年代もこの勢いは続き、1990年代はまさに自己啓発書の時代だったと言えるかもしれない。

なぜ読書離れが起こる中で、自己啓発書は読まれたのだろうか。というか、読書離れと自己啓発書の伸びはまるで反比例のグラフを描くわけだが、なぜそのような状態になるのだろうか。

そういえば『花束みたいな恋をした』の麦くんも、自己啓発書は、読めていたのだ。

自己啓発書はノイズを除去する

自己啓発書。その特徴は、「ノイズを除去する」姿勢にある、と社会学者の牧野智和は指摘する(『日常に侵入する自己啓発 生き方・手帳術・片づけ』勁草書房、2015年)。

たとえば現代の自己啓発書の一種である「片付け本」、いわゆる片づけによって自分の人生を好転させるという内容を語る本に、その姿勢は顕著である。

「片付け本」は、好ましいもので部屋を満たすことを重視する。そこにあるのは、私的空間は好ましい、心を浄化するような聖化された居場所になっているべきである、という価値観である。

しかしそのような価値観は、「そのような聖化を行わねばならないほどに、私的空間の「外部」が俗なるもの、偽りのもので充たされているという感覚が分けもたれているのではないか」という牧野の指摘を可能にする。

外部は捨て置いて、自己に専心する。それはまさに自己啓発書のロジックそのものであるが、そこに「社会」を遠ざけようとする姿勢を牧野は見る。

 特にその外部には言及されないものの私的空間において自己を癒されねばならないと語られるとき、その「自己」をめぐるまなざしの奥に啓発書が想定する「社会」が透けてみえてはこないだろうか。それは多くの言葉で語るほどのものではなく、自らを悩ませ、傷つけ、汚し、また変えようと努力しても変えることのできない対象としての「社会」という程度にしか表現できないものだが、いずれにせよ、啓発書がまずもって私たちに示しているのは、自分自身の変革や肯定に自らを専心させようとする一方で、その自己が日々関係を切り結ぶはずの「社会」を忌まわしいものとして、あるいは関連のないものとして遠ざけてしまうような、そのような生との対峙の形式なのではないだろうか。

(牧野智和『日常に侵入する自己啓発』)

この「社会」は、政治参加するような社会情勢という意味もあるだろうが、自分をとりまく労働環境という意味も含まれるだろう。劣悪な労働環境は、変えられない。だからこそそこは「関連のない」「忌まわしい」ものだとして置いておいて、自己の私的空間のみを浄化する。

そのような姿勢が、片付け本には見て取れる。

これはまさに、外部の社会をノイズとして除去し、自分のコントロール可能な私的空間のみに集中する自己啓発書的姿勢そのものである。

あるいは90年代の自己啓発書『脳内革命』が唱える、「脳内ホルモンがすべてを決める」という言説。それは眼前の出来事に「自分がどう感じるか」をコントロールすることによって、人生を好転させるというロジックである。自分がコントロールできる範囲――つまり感情をコントロールすることによって、自分の人生を変える。そう、ノイズのないポジティブ思考こそが、良い脳内ホルモンを分泌させるのだ。

そこに社会は存在しない。なぜなら社会はコントロール不可能なので、ノイズとして除去するべきだから。

たしかに、自己啓発書は「ノイズを除去する」姿勢を重視している。

ノイズのなさ。これこそが自己啓発書の真髄なのだとしたら。自己啓発書が売れ続ける社会、牧野の言葉を借りれば「自己啓発書が書店に居並び、その位置価を浮上させるような社会とは、このような感情的ハビトゥスが位置価を高め、また文化資本として流通するような社会」(『日常に侵入する自己啓発』)は、ノイズを除去しようとする社会のことを指す。

前述したように〈行動〉を促すことが自己啓発書の特徴だとしたら、自己啓発書が売れる社会とはつまり、ノイズを除去する行動を促す社会なのである。

読書は、労働のノイズになる

90年代の労働環境を見るまでもなく、現代の労働環境のなかで働いていると、いかに市場に適合できるかを求められる。

就職活動や転職活動、あるいは不安定な雇用のなかで成果を出すこと。どんどん周囲の人間が変わっていくなかで人間関係を円滑に保つこと。それらすべてが、経済の波に乗り市場に適合すること―現代の労働に求められる姿勢である。

適合するためには、どうすればいいか。適合に必要のない、ノイズをなくすことである。

「片付け本」がまさに現代で示す「断捨離」が象徴的であるが、ノイズを除去する行為は、労働と相性がいい。自分自身を整理し、分析し、そのうえでコントロールする行為だからである。

コントロールできないものをノイズとして除去し、コントロールできる行動に注力する。それは大きな波に乗る――つまり市場に適合しようと思えば、当然の帰結だろう。

だとすれば、ノイズの除去を促す自己啓発書に対し、文芸書や人文書といった社会や感情について語る書籍はむしろ、人々にノイズを提示する作用があると言えるだろう。

知らなかったことを知ることは、コントロール不可能なものを知る、人生のノイズそのものだからだ。

本を読むことは、働くことの、ノイズになる。

読書のノイズ性―それこそが90年代以降の労働と読書の関係ではなかっただろうか。

ノイズのないパズドラ、ノイズだらけの読書

麦くんはパズドラならできるのは、コントロール可能な処理だからだ。スマホゲームという名の、既知の体験の踏襲は、むしろ頭をクリアにすらするかもしれない。知らないノイズが入ってこないからだ。

対して読書は、何が向こうからやってくるのかわからない、コントロール不可能なエンターテインメントである。そのノイズ性こそが、麦くんが読書を手放した原因ではなかっただろうか。

逆に言えば、90年代以前の〈政治の時代〉あるいは〈内面の時代〉においては、読書はむしろ「知らなかったことを知ることができる」ツールであった。そこにあるのは、コントロールの欲望ではなく、社会参加あるいは自己探索の欲望であった。社会のことを知ることで、社会を変えることができる。自分のことを知ることで、自分を変えることができる。

しかし90年代以降の〈経済の時代〉あるいは〈行動の時代〉においては、社会のことを知っても、自分には関係がない。それよりも自分自身のコントロールできるものに注力したほうがいい。そこにあるのは、市場適合あるいは自己管理の欲望なのだ。

そしてこれこそが、00年代以降の思想ではないだろうか。

00年代、「経済の時代」の到来とともに、インターネット、つまり「情報」という存在がやってくる。

それはまさに、私たちに社会や世界が「そういうふうにできている」ことを教えてくれる光―のように、あの頃は、見えたのだった。

 第7回
最終回  
なぜ働いていると本が読めなくなるのか

「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」……そのような悩みを抱えている人は少なくないのではない。しかし、それは現代だけの悩みなのだろうか。書評家・批評家の三宅香帆が、明治時代から現代にかけての労働と読書の歴史を振り返ることで、日本人の読書観を明らかにする。

プロフィール

三宅香帆

みやけ かほ 

作家・書評家。1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了(専門は萬葉集)。著作に『人生を狂わす名著50』(ライツ社)、『文芸オタクの私が教えるバズる文章教室』(サンクチュアリ出版)、『副作用あります!?人生おたすけ処方本』(幻冬舎)、『妄想とツッコミで読む万葉集』(だいわ文庫)、『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』『女の子の謎を解く』(笠間書院)、『それを読むたび思い出す』(青土社)、『(萌えすぎて)絶対忘れない!妄想古文』(河出書房新社)。

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1990年代の労働と読書―行動と経済の時代への転換点