田原:それも、やはり無難にいきたいからでしょう。テレビのコメンテーターや評論家たちも「危ないこと言うとコメンテーターを降ろされるんじゃないか」とか「メディアに出られないんじゃないか」と思っているから、結局、無難なことしか言わないんだ。
『朝生』始めた頃は、大島渚さんとか野坂昭如さんとか、戦争は絶対嫌だっていう人たちがいて、作家の小田実さんなんか「国を信用してない。国は悪だと」言い切っていた。こういう連中がいるときは大変心強かったね。
プラス:田原さんが常に権力を疑っている。そして、常に「知りたい」という気持ちを持っている。その原点が、終戦のときの体験、それからもう一回、朝鮮戦争のときに世の中が無責任にひっくり返るところを見たからだ……というのはよく分かるのですが、村本さんはなぜ、田原さんと同じような気持ちを持ち続けているんですか? 戦争を体験したわけではないのに。
村本:戦争を知らない世代っていうけど、テレビをつければ世界では今もあちこちで戦争やっているのに、みんなそれを無視して、「もう平和だ」と思い込もうとしている。「それも含めて、ともかくいろんなことが、「腑に落ちない」からじゃないですかね。腑に落ちないからずっと聞く。ところが、聞かれた人は毎回、なんだか「わかったふうなこと」を言い出して、話を終わらそうとするから、いつまでたっても納得がいかない。
田原:おそらく村本さんは、芸能人も世の中の人たちも、みんな無難でいこうと思っていることが気に入らないんだよ。面白くないじゃないか!と。僕もそう、無難なのは面白くない。そもそも、ジャーナリストの仕事は「波風立てること」なんだと思っているからね。
村本:でも、芸人たちの多くは「メシを食うため」に言いたいこと言わないんです。
プラス:実は我々「見ている側」も「報道も芸人も無難じゃつまんない」と思っているんですけどね。その一方で「無難じゃないこと」を妨げる空気が社会の中にある気がします。これを変えていくための方法ってあるのでしょうか?
田原:この前、あるシンポジウムで僕がジャーナリズムについて話したとき、ある人が、「今はジャーナリズムなんてない。メディアしかない。メディアとジャーナリズムは全く違う」と言ったんだよね。ジャーナリズムとは「疑問に思ったことを何でも言える」。一方、メディアは「無難なことしか言えない」と。で、要するにジャーナリストの基本は政治権力を疑うことだと。まず、そういう姿勢を取り戻さないとね。
村本:それにしても、僕、前から思っていたんですけど、田原さんってなんだか「ずっと中学生」みたいな感じですよね。
田原:そうそう、この歳になっても、まだ青っぽいの(笑)。
村本:すてきですね「青い」って……。少年のような感じでキラキラしている。
取材・文/川喜田研 撮影/藤澤由加
第4回「『意見を持つこと』が特殊視される日本だからみんな『政治』から目をそらしている」へつづく
お笑い芸人・ウーマンラッシュアワーの村本大輔氏が、毎回、有名・無名のゲストを迎えて、政治・経済、思想・哲学、愛、人生の怒り・悲しみ・幸せ・悩み…いろいろなことを「なんでそんなことになってるの?」「変えるためにはどうしたらいいの?」とひたすら考えまくる連載。
プロフィール
田原総一朗
1934年、滋賀県彦根市生まれ 早稲田大学文学部卒業。岩波映画製作所 テレビ東京を経て、77年にフリーに。現在は政治・経済・メディア・コンピューター等、時代の最先端の問題をとらえ、活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。テレビ朝日系で87年より『朝まで生テレビ』、89年より2010年3月まで『サンデープロジェクト』に出演。テレビジャーナリズムの新しい地平を拓いたとして、98年ギャラクシー35周年記念賞(城戸賞)を受賞した。2010年4月よりBS朝日にて「激論!クロスファイア」開始。02年4月より母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講、未来のリーダーを育てるべく、学生たちの指導にあたる。05年4月より17年3月まで早稲田大学特命教授。著書に『日本の戦争』(小学館)、『塀の上を走れ』(講談社)『AIで私の仕事はなくなりますか?』(講談社+α新書)他多数。
村本大輔
1980年、福井県おおい町生まれ。小浜水産高校中退後、NSC入学、2000年デビュー。2008年に中川パラダイスとウーマンラッシュアワーを結成。2013年、THE MANZAI 優勝。昨年末のTHE MANZAI で、原発・沖縄・東京オリンピック・熊本地震などをテーマにしたネタが話題になり、以後、災害被災地や沖縄をはじめ全国で独演会を開催。今年のTHE MANZAIでも政治ネタを取り上げ注目を集めた。