対談

取材とは「相手から何かを奪う暴力的な行為」である――いま改めてメディアの責任を考える

『デス・ゾーン』文庫版刊行記念対談【後編】
金平茂紀×河野啓

金平 あの、河野さん自身は、開高健ノンフィクション賞も受賞されたし、こういう形で記録として栗城さんのことを残して良かったと思われているでしょう、いま。

河野 そうですね、本当に。発表することに怖さもありましたけど、彼の山の先輩や幼馴染など関係者も評価してくれてホッとしました。

金平 本の中でも書かれていたけど、栗城さんっていう人は死に場所を求めて「虚構」の中を生きていたっていうか。読んでいて、辛い。

栗城さんはスターになりたかった人ですよね。「メディア・スター」に。だけど、それがどんなに大変なことか、わかんなかったんだろう。大きな意味で言うと被害者っていうか。

だから最終的に「こんなヤツ、死んで当たり前だ」とは決してならなかった。僕はぜったいに。

河野 彼はよくユーチューバーのハシリだと言われてきましたし、私もそうだと思います。ただ、いま問題になっている迷惑動画をウケると勘違いした人たちとは違って、栗城さんは理想の自分、理想の見られ方を持っていた。

「日本を元気にするヒーロー」「夢に向かうカッコいい大人」。目指す世界はきわめて単純で、自己承認欲求は強かったでしょうが、決して歪んでいたとは思いません。少なくとも当初は。むしろ単純すぎて批判を招き、単純すぎて、批判に対して反論や偽りの自己弁護をしちゃってはボロを出し、炎上していたように思います。

『デス・ゾーン』著者・河野啓氏(撮影:定久圭吾)

栗城さんの悲劇は、危険な山を「劇場」にできると思ってしまったことです。その劇場で自分が主役を張れると勘違いしてしまったこと、ではなかったのか。カッコよく見られたい、誰かを元気にしたい、が企画のベースにあった。でも、挑戦を重ねるうちに自分の力のなさも自覚してきた。それでも演じ続けなくてはならない……。

どこかの段階で「やめる」という決断は難しかったのかな。登ること、生きることに限界を感じながら迷走していったのではないか……。

━━栗城さんは「単独・無酸素登頂」をうたいながら、実際には「単独」とは言いがたい、シェルパらの助けを借りながらカメラにその姿が映らないようにし、ベースキャンプでは酸素ボンベを使っていた。多少のズルはバレなければいいという安易さがあった。それは残念であるとともに、きわめて現代的なキャラクターだとも思いました。

河野 栗城さんのズルさは「サービス精神」の裏返しだったのかもしれません。「自分が頑張る姿が子供たちの胸を打つ」と思い込み、そのためにはズルしてもやむをえないと考えていたフシもあります。作品としての自分がカッコよく見えるなら、と。

でも彼が立った舞台は、嘘の通じない劇場でした。彼のことを「登山家というより、表現者だった」と擁護するスタッフもいましたが、「表現者」であるなら「登山家」と名乗らないのがスジです。

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デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場

プロフィール

金平茂紀×河野啓

 

金平茂紀(かねひら しげのり)
1953年北海道生まれ。東京大学文学部卒業後、1977年にTBS入社。報道局社会部記者としてロッキード事件などを取材する。その後はモスクワ支局長、ワシントン支局長、「筑紫哲也NEWS23」編集長、報道局長、執行役員などを歴任。2010年より「報道特集」のメインキャスターを務める。著書は『テレビニュースは終わらない』(集英社)、『抗うニュースキャスター』(かもがわ出版)、『漂流キャスター日誌』(七ツ森書館)、『筑紫哲也『NEWS23』とその時代』(講談社)など多数。

河野啓(こうの さとし)
1963年愛媛県生まれ。北海道大学法学部卒業。1987年に北海道放送入社。ディレクターとして数々のドキュメンタリー、ドラマ、情報番組などを制作。高校中退者や不登校の生徒を受け入れる北星学園余市高校を取材したシリーズ番組(『学校とは何か?』〈放送文化基金賞本賞〉など)を担当した。著書に『北緯43度の雪 もうひとつの中国とオリンピック』(小学館、第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞)など。2020年に『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』で第18回開高健ノンフィクション賞を受賞。

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