対談

取材とは「相手から何かを奪う暴力的な行為」である――いま改めてメディアの責任を考える

『デス・ゾーン』文庫版刊行記念対談【後編】
金平茂紀×河野啓

河野 ところで金平さんは、取材のカメラに囲まれたことはありますか?

金平 ありますよ。

河野 私は一回だけ。「オウム真理教」の札幌支部を取材した時に、10人ぐらいの信者に囲まれたんです。1989年の、坂本堤弁護士の失踪事件が起きてすぐで、まだオウムのことは一部のワイドショーでしか取り上げられていなかった。私たちはワイドショーの取材で、札幌支部へ行ったんです。

そこはまったくのヨガ道場でした。拍子抜けするぐらいの。みんな車座になって瞑想してピョンピョン跳んでいる。

いくつかのヨガの修行と信者のインタビューを撮って、スタッフが一足先に道場を出たところで、私だけ囲まれました。「自分たちが弁護士を誘拐するような人間に見えますか?!」「取材して、どうでした?」と詰め寄られた。メディアへの怒りが彼らを逆取材に走らせたんでしょうね。

あの時の僕は、ぼくじゃなかった。「皆さん熱心にやっている姿に感銘を受けました」って。「熱心」「感銘」を連呼した記憶があるんですよ。放送の後、報道の人間に随分怒られました。「疑惑だけで取材に動くのはいかん」と。

金平 なるほど。

河野 ところが1995年にオウムの問題が弾けると、私が撮った札幌支部の映像を報道が当然のように使って、しかもTBSの番組にも売り込むんです(笑)。

札幌支部である男性を取材したんですけど、彼が教団を脱会した後、どういう人生を送ってきたのかを知りたくて、随分後、取材から20年ほど経っていましたが、連絡を取ったんです。

再会したらいきなりこう質問されました。「池で子供が沢山溺れている。その中に自分の子供もいる。さあ、アンタどうする?」と。

なんでこんなこと言われるのかと思いながら、「まあ、他の子には悪いけど、真っ先に自分の子供を助ける」って言ったんです。彼は「ワシはそうやないんよ。ワシは池のそばにいる子から順番に助ける。なるべく沢山の子が助かる方法をとる」という。

心の中では、「いざそうなってみろ、真っ直ぐ自分の子のところに行くさ」と思ったんですけど。あまりに彼の眼が真剣だったんで、気づいたんですよ。

ああ、出家するっていうのはそういうことなのか。突き詰めると家族も捨てるし、社会も捨てる。そこまでして宗教的なパワーを求める。それが出家なんだ。この人はそういうことを言いたくて、このたとえ話をしたんだな、と。

金平 あの、河野さん。いまのオウムの話はとても興味深く聞きました。僕は筑紫哲也さんの『NEWS23』にいる時にオウムの取材を最前線でやっていて。教団の中の人間ともかなり深く付き合いました。

信者に対する印象で言うと、みんなものすごく真面目だったですね。凶悪な事件をやる感じでは全くなかった。それで「サリン事件」の本当のところは何だったのか? 立花隆さんと一緒に取材したし、実はまだ取材を続けています。

河野 そうなんですか。

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プロフィール

金平茂紀×河野啓

 

金平茂紀(かねひら しげのり)
1953年北海道生まれ。東京大学文学部卒業後、1977年にTBS入社。報道局社会部記者としてロッキード事件などを取材する。その後はモスクワ支局長、ワシントン支局長、「筑紫哲也NEWS23」編集長、報道局長、執行役員などを歴任。2010年より「報道特集」のメインキャスターを務める。著書は『テレビニュースは終わらない』(集英社)、『抗うニュースキャスター』(かもがわ出版)、『漂流キャスター日誌』(七ツ森書館)、『筑紫哲也『NEWS23』とその時代』(講談社)など多数。

河野啓(こうの さとし)
1963年愛媛県生まれ。北海道大学法学部卒業。1987年に北海道放送入社。ディレクターとして数々のドキュメンタリー、ドラマ、情報番組などを制作。高校中退者や不登校の生徒を受け入れる北星学園余市高校を取材したシリーズ番組(『学校とは何か?』〈放送文化基金賞本賞〉など)を担当した。著書に『北緯43度の雪 もうひとつの中国とオリンピック』(小学館、第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞)など。2020年に『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』で第18回開高健ノンフィクション賞を受賞。

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