―─日本に帰国されてから移住先に選んだのは、過疎地である高知県・土佐町でした。最終的な決め手はどこにあったのでしょうか。
鈴木 今の日本の教育が根本的に抱えている閉塞感や問題、より具体的に言えば、社会における全ての物事を経済的な、偏った観点から見つめ、公教育にも市場原理を取り入れ、教育さえをも「個人に対する付加価値的な投資」と位置付けてしまう教育の新自由主義改革という潮流への対抗軸というのは、都会からはなかなか出てこないんじゃないかと思ったんです。それで、都会とは全く違う環境にある田舎に目を向けて、本気で変わろうと思っている自治体があるのであれば、どんなに小さくても行こうと考えていました。
隠岐(おき)など、いくつか候補があったんですけれども、最終的には一番縁が強かった土佐町に決めました。瀬戸昌宣という、ニューヨーク在住の頃からつながっていた友人の誘いがあったんです。彼とは3.11の復興支援活動を通して仲良くなったんですけれども、瀬戸が既に土佐町に地域おこし協力隊で入っていて、土佐町が教育を通して地域おこしをしようとしていると。それで「来ない?」と誘われたのが決め手になりましたね。
―─入ってみた土佐町はどんな場所でしたか?
鈴木 最初はなんだか、毎日が面白いことばっかりでしたね。たとえば、風が強い日に物干し竿が倒れてしまって、そのままで外出して戻ってきたら、いつの間にか元通りに直っていたり。お隣さんが戻しておいてくれたんですね。それから、玄関に取れたて野菜の差し入れが置いてあったり。
ところが、そんな話を地元のおじちゃんにしてたら、「あるある」って。「俺なんか、家に帰ったら知らないもんが冷蔵庫に入っとることもよくあるけん」って言うんですよ。それでね、本当にその2週間後くらいに、外出していたらご近所さんから「いやぁ、勝手口が開いちょったきねえ、冷蔵庫に寒ブリ入れちょったよ」なんて電話があって(笑)。
そういう「お金で買えない価値」はいっぱい経験しましたね。
―─東京では考えられません(笑)。
鈴木 よく、「高知は外国」って言われるみたいです。何だか、ラテン系の気質のような気がしますよ。小さいことにはこだわらない、みたいなメンタリティがあるし、来る者は拒まないオープンさがありますよね。それに、金銭的な発展を超えた豊かさがある。
プロフィール
教育研究者。1973年神奈川県生まれ。16歳で米ニューハンプシャー州の全寮制高校に留学。そこでの教育に衝撃を受け、日本の教育改革を志す。97年コールゲート大学教育学部卒(成績優秀者)、99年スタンフォード大学教育大学院修了(教育学修士)。その後日本に帰国し、2002~08年、千葉市の公立中学校で英語教諭として勤務。08年に再び米国に渡り、フルブライト奨学生としてコロンビア大学大学院博士課程に入学。2016年より、高知県土佐郡土佐町に移住。現在、土佐町議会議員を務める。主著は『崩壊するアメリカの公教育:日本への警告』(岩波書店)。