アメリカ・コロンビア大学教育大学院の博士課程を経て、高知県土佐町という限界集落に移住。そんな異色の経歴の教育研究者がいる。曰く、土佐町という環境には理想の教育を追求できるポテンシャルが眠っているのだという。いま注目の教育研究者へのインタビュー、後編を紹介していきたい。
━━高知県土佐町という限界集落に可能性を感じ、そこで理想の教育を追求されているわけですが、大切にしていることはありますか?
鈴木 最近、僕の中でヒットなのが、「せっかく」という言葉です。アメリカに長い間暮らしていると、通訳をしたり日常会話を交わしたりする中で、「あっ、この日本語は英語に翻訳できない」という言葉に出会うことがあるんですよね。たとえば、「好(よ)い加減」。数値化できない人間的な感覚。強いて言えば just right みたいな感じなのだけど、英語ではどうもうまく表せない。
同様に、「せっかく」というのも英語にできない言葉です。「せっかく」というのは、こういう過疎地にはぴったりのキーワードだと思っています。要するに、逆転の発想。例えば、過疎地では子どもの数が少ない、というように何か制約や課題があったら、それをチャンスにしちゃおう、という発想ですね。
━━ちなみに、土佐町の学校の規模はどれくらいなんですか?
鈴木 小学校1つに中学校1つ、1学年あたり25人くらいなので、小学校は全校で約150人、中学校で75人くらいです。だいぶ少ないですよね。
だから、知らない子がいると、「あなた、どこの子?」っていう聞き方が成り立っちゃう。結局は大人たちがみんなつながっているから、「ああ、あそこの子ね」という風に通用するわけですよ。顔が見える関係性。これは教育においてとても大事な環境ですね。
顔の見える関係で、みんながプロジェクトチームを組んで、一人ひとりの子のやりたいことを聞いて、その子の良さを見極めてそれをとことん伸ばせるよう支援をする、というのはすごく魅力的だと思います。
僕の好きな言葉を紹介します。学力標準テストを監督する義務をボイコットした一人のアメリカの先生が、学力標準テストの有効性に関するヒアリングで連邦政府の上院議会に呼ばれたことがありました。その時、彼女は議員たちに次のように訴えかけたんです。
アセスメント(assessment=“評価”)という単語のラテン語の語源は、「そばに座る」という意味ですよ。
学力標準テストで一律に測られた生徒の点数からは、その子の個性や良さは見えて来ません。ずっとそばに座っている先生だからこそ見えてくる、それぞれの子の良さや課題があり、だからこそ、指導して伸ばすことができる。教育において大切なのは、むしろそちらの方なのではないかと、僕も思います。
プロフィール
教育研究者。1973年神奈川県生まれ。16歳で米ニューハンプシャー州の全寮制高校に留学。そこでの教育に衝撃を受け、日本の教育改革を志す。97年コールゲート大学教育学部卒(成績優秀者)、99年スタンフォード大学教育大学院修了(教育学修士)。その後日本に帰国し、2002~08年、千葉市の公立中学校で英語教諭として勤務。08年に再び米国に渡り、フルブライト奨学生としてコロンビア大学大学院博士課程に入学。2016年より、高知県土佐郡土佐町に移住。現在、土佐町議会議員を務める。主著は『崩壊するアメリカの公教育:日本への警告』(岩波書店)。