―─GKH。全く初めて聞きました。
鈴木 GKHというのは、「Gross Kochi Happiness(グロス・コウチ・ハピネス)」の略です。なんだか面白いでしょう。
都道府県別の幸福度指標で言うと、高知県はすごく低かったんです。なぜかって、学歴が低い、平均年収が低い、最低賃金も国で最低レベル、高いのは離婚率だけ、みたいな現実があって。
でも、人に何と言われようが自分たちはハッピーだと感じていた高知の人たちが、もしかしたらその幸福度指標そのものが間違っているのでは、と独自の指標をつくっちゃったんです。
その指標がこれまた面白いんですよ。ざっと並べてみると、
・いざという時に頼れる人が身近にいること
・身近に新鮮でおいしい食材があること
・身近に自然があること
・家族と過ごす時間があること
・通勤、通学の時間が短いこと
なんて項目が並んでいるんです。ほっこりするでしょう。
―─そう聞くと、確かにとても魅力的に思えてきます(笑)。
鈴木 ある意味で、すごい開き直りですよね(笑)。でも、その開き直りの発想って、とても大事だと思っています。僕が好きなノーム・チョムスキーの言葉で次のようなものがあります。
「民衆を受け身で従順にしておく賢い方法は、予め議論の枠を設定しておいて、その枠組みのなかで活発な議論を奨励することだ」
教育に目を向けると、たとえば全国学力調査というものがありますよね。今、日本では、全国の自治体が全国学力調査の点数競争に躍起になっています。でも、そんな中で議論されていないのは、そもそも何をもって「学力」と呼ぶのかという議論の枠組みそのものです。
まず何をもって学力と呼ぶのか、と問い始めたら、色々な疑問が出てくるはずです。「生徒の学力や学校の評価を本当に国・数・理の点数だけで決めて良いの?」「社会は? 美術は? 音楽は? 体育は?」ということになり、簡単には結論が出ません。ましてや、文科省の言っている「生きる力」は国・数・理のペーパーテストで測れるものなのか。その辺りは問われてもいないわけです。
学力問題はあくまでも一例ですが、このように世の中の問題の根本にまで立ち返って、それに疑問を呈することは非常に難しい。でも、GKHでわかるように、高知にはそういうこと
ができる「突き抜けた感」がある。それも高知の魅力のひとつですよね。もし、それができるんだったら、教育に関しても同じことができるんじゃないかって思えるんです。
従来的な価値観にとらわれない高知だからこそ、土佐町だからこそ追求できる理想の教育があるはずだと僕は信じています。
写真提供:前田実津/『崩壊するアメリカの公教育』書影は岩波書店提供
プロフィール
教育研究者。1973年神奈川県生まれ。16歳で米ニューハンプシャー州の全寮制高校に留学。そこでの教育に衝撃を受け、日本の教育改革を志す。97年コールゲート大学教育学部卒(成績優秀者)、99年スタンフォード大学教育大学院修了(教育学修士)。その後日本に帰国し、2002~08年、千葉市の公立中学校で英語教諭として勤務。08年に再び米国に渡り、フルブライト奨学生としてコロンビア大学大学院博士課程に入学。2016年より、高知県土佐郡土佐町に移住。現在、土佐町議会議員を務める。主著は『崩壊するアメリカの公教育:日本への警告』(岩波書店)。