プラスインタビュー

ひとりよがりも迎合しすぎもダメ。劇団ひとりにとって「創作すること」とは?

劇団ひとり

登場人物の心の機微を描くのが最優先

──少し話が変わりますが、ひとりさんの描かれる大正や昭和の浅草は、人権の感覚が現代とはまるで違っていて、今で言うハラスメントも横行していたんじゃないかと思います。ですが、ひとりさんの作品は社会にそういう価値観があったこと自体は描きつつ、登場人物1人ひとりを尊重して表現しているのを感じます。

ひとり 僕は基本的には、物語を利用して社会問題を伝えるような意識があまりないんですよね。プロパガンダのような作品も世の中にはあるけど、僕はもうちょっとピュアに物語を描くことに向かっていて、もっと言えば登場人物がすべて。物語に登場する人たちの心の機微がすべてです。

 小説でも映画でもなんでもそうですが、登場人物の心の動きや葛藤を表現するために物語があるというのが僕の考え。ストーリー先行じゃなくて、人間がまずある。その人間にどんな状況を与えれば見せたい感情や表情を出すことができるのか考える。だからある種、ストーリーは二の次ですね。

 例えば、物語の展開的には右に行ったほうがおもしろいけど、主人公が右ではなく左に行くキャラクターなら、左に行かせる。それで展開が弱くなったとしても、主人公の感情を優先したい。だからプロットやアウトラインを最初に一応作るけど、だいたいその通りには行かないですね。なぜかというと、プロットの段階では感情が乗っていないから。書きながら登場人物にどんどん命が吹き込まれていくと、とてもじゃないけどこの展開にこの主人公がこう動くことはないとわかる。そういう時はプロットを無視して、そっちの展開に従うようにしています。

 それは映像でも一緒で、何度となく推敲した脚本でも、いざ現場に行って役者さんが衣装を着て台詞を言った瞬間に「あ、本当はこの人、こんな台詞言わないな」ってやっと気づく。それでそのセリフをカットします。そういう違和感を無視して撮ったシーンは、大体その後編集でカットすることになる。物語を進めるために無理やり言わせた台詞だってバレるから。まあそこもバランスで、感情も乗って物語も進めるような台詞があるはずで、それを探るんですが。

──何度推敲してもいざ現場に入ると違和感を覚えるということが興味深いです。

ひとり 脚本を書いている段階だと文字だけだから、けっこう派手な台詞回しになっちゃうんですよ。それを役者さんが声に出すと、「こんな劇的な台詞は言わないだろうな」って違和感が出てくる。今はもう脚本を書く段階から気をつけているけど、どうしても1人でパソコンに向かってると、漫画的な台詞になりがちで。

 文字だけだったものを映像にするには、役者さんがいて、光があり、カメラがある。いろんなものが一緒に語ってくれる。小説だと書き過ぎてもいいことでも、映像だと登場人物が自分の思いをやたらに吐露するのは本当に下品なことで、余計なことを語らない方が美しいわけじゃないですか。そこは小説と映像ではそこが全然違いますね。

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浅草ルンタッタ

プロフィール

劇団ひとり

劇団ひとり(げきだんひとり)

千葉県出身のお笑い芸人。
バラエティーで活躍する傍ら、俳優・作家・監督としても多岐に活動。
2006年発表した小説『陰日向に咲く』は100万部を越えるベストセラーになり映画化。
二作目の小説『青天の霹靂』も映画化されその際、初の監督・脚本を勤める。
最近ではNetflix映画『浅草キッド』や日本テレビ『24時間テレビドラマ無言館』の監督・脚本としての評価も高い。
また最新小説『浅草ルンタッタ』が先日発表された。

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