プラスインタビュー

父親の不在、毒親、アダルト・チルドレン…コロナ禍後の家族の行方を、信田さよ子さんに聞く

信田さよ子

家族における「父親」の無責任さ、不在のワケ

子どもの教育は母親の責任、という考え方は昭和の価値観かと思っていたが、令和にも生き残っているらしい。父親は自分にも子育ての責任があると感じないのだろうか。

「父親たちのグループ・カウンセリングを15年間実施していました。引きこもりや摂食障害、薬物依存症など、さまざまな問題を抱えた子どもの父親たちです。

子どもたちが、父親や母親の期待に添えずにいることでどれだけ自分を責めているかという話をした際に、彼らはすぐさまノートを取り出して『親の期待に添えない自分を責めている』ってメモするんですよ。どこか学校の授業を聞いてノートをとるような雰囲気で、それによって自分がどうかという回路は遮断されてるんですね。他人事なんです。

家族における父親の問題について語る信田さん

だから聞いてみました、『五十何年生きてきて、ご自分を責めたことありますか』って。すると『え?』って顔をして、『自分を責めるんですか?そんなことないです、ないです』って首を振るんですよ。それはショックでした。その父親だけかもしれないと思って隣の父親にも尋ねると、『僕もです』と。

その後わかったことは、グループに参加している8人ぐらいの父親全員が自分を責めた経験がないということでした。さすがに驚きました。高学歴で社会的にはそれなりの地位の父親たちばかりですよ。たぶん彼らはリベラルな思想で政治を批判してきたんでしょうが、その刃が自分に向かうことがなかった。日本の民主主主義って何だったんだろう。

一番まともなのは、自分を責めて責めて引きこもってる子どもではないか。母親だって子育てに関して毎日自分を責めてますし。そうなると、一番変なのは父親だったんじゃないか、そう思いました」

私も父親なので信田さんのこの指摘は他人事ではない。そういえば、『家族と厄災』を含め、信田さんの著書では母と娘の問題が取り上げられているが、夫や父親はどこにいるのかなというほど存在感が薄い。

「母娘の間での問題がこんなに浮上するのは、裏側に父の無責任、父の不在があるということなんですよ、と講演などの場で話すんです。すると、聞きに来ている中高年の男性たちが、それを神妙な顔でメモするんですよ。その何とも言えない感じ。う~ん、何なんでしょうか、あれは」

『家族と厄災』の中では、在宅勤務になった夫に対して妻が抱くもやもやについてのエピソードが紹介されている。政治家の謝罪と重なるような「責任逃れの話法」が使われ、不満を述べる妻を「それはあなたの主観でしょ」と攻撃することで、発言の機会を奪ってしまう「定義権の収奪」さえ行われているというのである。これもまた思い当たる方は多いのではないか。

「私、娘から性虐待の加害者だと訴えられた父親に何人も会ってきましたけど、そうなったときにはさすがに自分事として考えるだろうと思って、ちょっと緊張しますよね。でもそこですら彼らは切り抜けるんです。『かわいそうに、そんな嘘までつくような病気なんですね』と。娘の虚言だと主張するんです。あるいは逆に『自分が悪かったんです』と繰り返して、そんなことをした自分は病気じゃないだろうかと言う。精神科医を受診しますと言って私の前から姿を消すんです。病気のせいにすることで責任逃れができますから」

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プロフィール

信田さよ子

信田さよ子(のぶた さよこ)

公認心理師・臨床心理士、原宿カウンセリングセンター顧問、公益社団法人日本公認心理師協会会長。1946年生まれ。お茶の水女子大学大学院修士課程修了。駒木野病院勤務、嗜癖問題臨床研究所付属原宿相談室室長を経て、1995年、原宿カウンセリングセンターを設立。著書に『母が重くてたまらない』(春秋社)、『アダルト・チルドレン』(学芸みらい社)、『家族と国家は共謀する』(角川新書)など。

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