ロシアによるウクライナ侵攻が始まって、もう1年半が過ぎようとしている。世界はなぜロシアによるこの暴挙を止められないのか。ロシアが核保有国だから、国連安保理の常任理事国で拒否権を持っているから、などの理由があるが、他にロシアに対する国連総会の非難決議に、グローバル・サウスといわれるアフリカ、アジア、中南米などの国々が反対もしくは棄権票を投じ、世界が一枚岩となっていないことが挙げられる。
なぜこのような状況になっているのか、今後この問題はどうなっていくのかを、神奈川大学教授で国際政治学・アジア政治が専門の大庭三枝さんと、ウクライナ問題を日本で一番詳しく報じ続けているNHK総合『キャッチ!世界のトップニュース』キャスターを務める別府正一郎氏に語ってもらった。
ロシア非難決議への棄権票は、決してロシア支持ではない
別府 先日は『キャッチ!』にご出演いただき、本当にありがとうございました。番組へのご出演は1月でしたが、あれから数ヶ月が過ぎ、ロシアがウクライナへの侵攻を開始してからとうとう500日を超えてしまいました。
侵略は許されない、ウクライナで起きていることは一日たりとも長く続いてはならない、と多くの人は願っていますが、現実はなかなかそうなっていません。
中立という名目でロシア寄りの姿勢になっている国が相変わらず一定数いて、世界が一丸となって侵略に「ノー」と言えていない現状が続いています。なぜこうこういうことが起きて、どうしてこういう現象が続いているのか、大庭先生はどうお考えですか。
大庭 ウクライナ戦争が500日を超えてもまだ続いていることは本当に痛ましいし、早くロシアが撤退して戦争が終わることを望んでいます。他方で、世界が一丸となってそれに立ち向かうのはハードルが高いのかもしれない、と思っています。
ロシアのウクライナ侵攻から1年が経った今年2月23日に国連総会で採択されたロシア非難決議の賛成票は、加盟国193のうち141、棄権が確か32でした。非難決議採択に対する「ノー(反対)」は、2022年の5から7に増えていました。その中に、たしかマリも入っていましたよね。
別府 入っていました。
大庭 マリは前から非常に難しい国だと思っているので、「ああ、こっちへ行ってしまったのか……」と感じました。
しかし、棄権を投じた国々の思惑については、もう少し丁寧に見たほうが良いと思います。今はどうしても米中対立という軸にすべてを落とし込んで見てしまう傾向があって、特にアメリカと日本ではその傾向が強い。
そうなると中国もロシアも一緒くたに見えてしまうし、棄権した国はロシア寄り、と決めつけてしまいがちです。しかし、ロシアとは伝統的に関係が深く、武器の調達移転等でもロシアに依存しているインドが、反対には回らず棄権をしているんですね。中国も、あれだけアメリカと戦略的競争を意識しているにもかかわらず、やはり棄権でとどまっている。
中国をさらに注意深く見ていくと、ロシアに対して協力するとか大事だとか言いながら、実際には直接的な軍事支援をしようとはしていない。また東南アジアだと、ベトナムとラオスが棄権しているんですが、かれらも、冷戦時代よりロシアとの関係が深く、また両国の武器の最大の調達元はロシアなのですが、それでもやはり反対には回らなかったことを重視すべきでしょう。
もちろん、棄権といっても、その中には限りなく反対に近い棄権と、限りなく賛成に近い棄権があると考えます。だから、棄権の読み方は、もう少し丁寧にやったほうがいい。
グローバル・サウスの国々は、列強の帝国主義に晒され、植民地化された歴史を持っている国がほとんどです。そこからなんとか独立を獲得した彼らにとって、大国が他の国を軍事的に侵攻することそのものは、絶対に支持は出来ないし、していないと思います。ただ欧米とは歩調を完全に合わせることもためらわれる。その国々の多くの人々の感情に、過去の経験から欧米諸国への反感と不信が深く根を張っていることも一因だと考えます。21世紀の現在では「人権侵害は許せない」と皆が言うけれども、「じゃあ20世紀まで続いた植民地支配はいったい何なんですか?」と言われたら、もう欧米諸国は反論できないですよね。
また例えば、「アメリカが2003年にイラクでやったことは何だったのか?」といった正論に対してアメリカは本来ぐうの音も出ないでしょう。
しかしながら、そういった過去のことは別途きちんと検証するとしても、今現在起こっていることには対応しなければならない、というのが、おそらくグローバル・サウスの多くの指導者層の考えだと思います。その一方で「昔の話は蒸し返すな。だけどロシアは悪い」というロジックには納得できない、という心情にも説得力はありますし、一般の人々はやはりそちらに傾きます。
つまり多くの国が、そうした欧米のダブル・スタンダードへの反感を抱え、かつ実利的なロシアとの関係を踏まえながらも、どの国も、政府レベルでは、ロシアの侵略行為そのものを賛成や支持はしていないと私は見ています。
だから、その点では、やはり100年前の国際社会とは違うな、と考えます。しかしながら、では現実問題としてこのロシアの行為を止め、戦争を終わらせるにはどうすればいいか、ということについて、具体的な策で合意を得られない。結局、今の国際社会の仕組みでは、ロシアの〈意志〉を止めることはできないんです。つまり、現行の国際社会において、主権国家が相互に独立しているということは、その国が望まないことを強いることはできない。今回のような事態でも、他国を軍事的に侵略するというとんでもないことをしている国に対して無理矢理それをやめさせることは大変難しいわけです。
国際社会の中で「侵略はいけない」「人権侵害を許してはいけない」という規範は広がっている反面、その規範のあり方と国際社会が持っている強制力が噛み合ってない。それが今回の事態では明らかになったわけですが、だからといって国際社会が進化していないわけではない、とも思います。
ロシアがすぐに侵略をやめるとは思わないけれども、まどろっこしい国際社会の現実の中で、変わっていないものと変わっているものを腑分けして、じっくり見る必要がある。グローバル・サウスの場合で言えば、棄権票の中に何が隠されているのか、とういことを各国ごとに注意深く見る必要があると思っています。
プロフィール
(おおば みえ)
神奈川大学法学部・法学研究科教授(国際政治学・アジア政治)。国際基督教大学卒業後、東京大学大学院において修士および博士課程修了、博士(学術)。ハーバード大学客員研究員、東京理科大学教授などを経て、現職。著書に『アジア太平洋地域形成への道程――境界国家日豪のアイデンティティ模索と地域主義』(ミネルヴァ書房、2004年)『重層的地域としてのアジア――対立と共存の構図』(有斐閣、2014年)
(べっぷ しょういちろう)
報道記者。京都大学法学部卒業後NHK入局。カイロ、ニューヨーク、ドバイ、ヨハネスブルクでの特派員を経て、2023年1月からNHK総合「キャッチ!世界のトップニュース」キャスター。著書に『ルポ 終わらない戦争 イラク戦争後の中東』(岩波書店)、『ルポ 過激派組織IS ジハーディストを追う』(共著、NHK出版)、『アフリカ 人類の未来を握る大陸』(集英社新書)。