対談

マリーナさんを通して、国際政治の裏側、プーチンの特殊性、夫婦の愛…いろいろなものが見えてきました

小倉孝保×長野智子

2024年12月17日に刊行された集英社新書『プーチンに勝った主婦 マリーナ・リトビネンコの闘いの記録』(小倉孝保・著)。2006年、元KGB(現FSB)諜報員だったアレクサンドル・リトビネンコ氏が放射性物質ポロニウムで暗殺された。この殺害を命じたのはロシア大統領のプーチンなのか? その死の真相を突き止めるため、妻マリーナは立ち上がった。だが、その動きを妨害するイギリス・ロシア両政府。この大国の壁を突破し、真相を明らかにしたマリーナさんに密着、同書でその過程を克明に著したのが毎日新聞論説委員の小倉孝保氏である。

この本の発売を記念して、報道キャスター・ラジオパーソパナリティである長野智子さんに、小倉さんと対談を行なってもらった。ジャーナリストとして、そしてマリーナさんと同じく妻の視点も持つ女性として、長野さんにはこの本はどのように映ったのか? 

なぜ日本の記者がマリーナさんと親しくなれたのか?

小倉 僕は今、2024年4月から始まった文化放送の『長野智子アップデート』(月~金15:30~17:00)という番組に2週間に一度出させてもらっているんですが、初回の放送でお会いした際に長野さんから「はじめまして」と挨拶されたんです。

長野 いやもう本当にあのときは申し訳ありませんでした(笑)。

小倉 というのも、実は全然はじめましてじゃなかったんですよね。20数年前に僕がカイロに駐在していた頃、長野さんが取材でイスラエルに来たことがあって、その時に名刺交換をしていろいろとお話もしていたので、僕は「かすかにでも覚えていてくれればいいな」と淡い期待を抱いていたんですが、「ああ、やっぱそうなんや……」と(笑)。

長野 大変失礼しました。20年以上も前で、小倉さんは若くてバリバリ取材に飛び回っていらした頃でしたから、イメージがあまり重ならなかったんですよ。小倉さんは今ももちろん素敵で、番組では本当にお世話になっています。

上智大学外国語学部英語学科卒業後、アナウンサーとしてフジテレビに入社。1995年に渡米し、ニューヨーク大学・大学院において「メディア環境学」を専攻。2000年4月より「ザ・スクープ」(テレビ朝日系)のキャスターに抜擢され帰国。「朝まで生テレビ!」「スクープ21」「報道ステーション」「報道ステーションSUNDAY」「サンデーステーション」のキャスターなどを経て、現在は国連UNHCR協会理事を務めながら、国内外の現場へ取材の為に足を運ぶ。また、女性国会議員の数を増やすことを目指す、超党派国会議員による「クオーター制実現のための勉強会」の事務局長、 2024年4月1日より、文化放送「長野智子アップデート」(月~金15:30~17:00)のパーソナリティも務める。

小倉 『長野智子アップデート』は今年4月に始まった本当に面白い番組なので、多くの方に聴いていただきたいですね。

長野 ありがとうございます。でも、今日は小倉さんの新刊『プーチンに勝った主婦 マリーナ・リトビネンコの闘いの記録』についてじっくりとお話させていただきたいと思います。

小倉 率直なところ、お読みになった感想はどうでしたか?

長野 一気読みでした。めちゃくちゃ面白かった。読み物として、本当に面白いです。
 まずなにより驚いたのは、取材者と取材対象の垣根を越えた、小倉さんとマリーナさんの距離感です。それとともに、1989年にソ連が崩壊して冷戦構造が終わり、その後にロシアという国ができていった一連の過程も改めて痛切に感じました。
私たち日本人を含む西側諸国の人たちは、「民主主義の勝利だ」「これで世界が平和になる」といった浮かれた話ばかりしていましたよね。私も「モスクワにマクドナルドができました」なんていう現地レポートをした記憶があるんですが、経済が厳しくなって、プーチンという人物が出てきた経緯も、この本を読むとものすごくよくわかります。同時にKGBという諜報組織の姿や論理ももちろん描かれていて、いろんなテーマが何層構造にもなって織り込まれていますね。
 それらすべてが、ロンドンで暗殺されたリトビネンコさんと奥さんのマリーナさんという視点を通して全部わかるじゃないですか。特に、ごく普通の専業主婦だったマリーナさんという存在が全体を貫く軸になっている。彼女を通じて、すごく身近な問題として私たちに迫ってくる。それがすごいと思いました。

小倉 僕は外信部の国際報道を長くやってきましたが、元々は大阪社会部の出身なんです。だから、国と国との動きを見る時も、人の視点を通して見た方が理解しやすいんじゃないかと思うんですよ。
 僕はロンドンに赴任して偶然にマリーナさんと出会ったんですが、この人を通してロシアの政治や、ロシアと国際関係、ロシアとイギリスの関係などが見えてくるんじゃないか、と思って取材をさせてもらったんです。

長野 それにしても、マリーナさんってすごい女性ですね。自分の夫の死の真相究明を、イギリスとロシアという大きな壁に阻まれていても諦めずに頑張りきる姿には本当に感銘を受けました。でも、小倉さんはそもそも、どうして彼女とこんなに仲良くなったんですか?

小倉 ロンドンには世界中のジャーナリストがたくさんいて、しかもこのマリーナさんは、夫の事件でニュースの渦中にいた人じゃないですか。周囲には多くの人間が集まっているはずなのに、「なんで日本から来たジャーナリストが親しくなれるの?」という質問はよく訊かれるんです。
 僕が赴任したのは2012年で、事件そのものが発生したのは2006年だったから、6年ほど経過していたんです。リトビネンコ事件は当初大きく報道されて、僕も関心があったので、赴任後に記者会見へ行ってみると、ジャーナリストは僕だけでした。あとはほぼNGOの人たち。マリーナさんがいて、その横に司会の人がいて、それを囲むようにコの字型に記者席があるんだけど、記者が全然いないんですよ。で、会見が終わって名刺交換に行ったら「あ、そうなの。日本の記者さんなんですか」という話になって、他は誰もマリーナさんのところに集まってこなかったんです。
 その後、マリーナさんたちが独立調査委員会の設置などを求めていくようになると、そこからまた盛り上がって、裁判のたびにすごい人だかりになるんだけど、ちょうど僕が彼女に接した時期は、おそらくあまり関心を持たれていない一番の谷の時期だった。おそらくイギリスの記者たちは、その事件を5年間ずっと追いかけてきて、「あまり新しいニュースも出てこないし、事件も動かなくなっちゃってるよ」くらいの雰囲気だったのかもしれませんね。
 僕はそんなことを何も知らないから、事件に関心を持って記者会見に行って名刺交換をしてみたら「あれ、他には全然誰も来ないのかな」みたいな状態でした。

長野 谷の時期を狙ったわけじゃなくて、たまたま行ったら谷だった、というわけですね。

小倉 マリーナさんにしても「話を聞いてくれるこの東京から来た記者の人、ありがたいな」くらいの感じだったと思うんですよ。まだ忘れずにいてくれるんだな、みたいなね。じゃあ、それだったら一緒にランチでもしませんか、という話になって、雑談も交えていろんな話をするようになっていったんです。
 やがて独立調査委員会設置の裁判が始まると、そのたびにすごい数のジャーナリストたちが集まるようになっていくんですが、マリーナさんは谷の時期から付き合ってきた僕には、すごくよくしてくれるんですよ。「この人に会えば?」と紹介してくれたり、「担当弁護士がボクシングをやっているので一緒に見にいかない?」と誘ってくれたり。
 僕は若手記者時代に「ジャイアンツを取材するのなら、ドームじゃなくて多摩川に行け」と教えられたことがありましたが、まさにこういうことなんだと思いました。

次ページ スパイ組織の長が大統領になる恐ろしさ
1 2 3 4

プロフィール

小倉孝保×長野智子

小倉孝保(おぐら・たかやす)

1964年、滋賀県生まれ。1988年、毎日新聞社入社。カイロ支局長や欧州総局長、外信部長を歴任して現在、論説委員兼専門編集委員。英外国特派員協会賞や小学館ノンフィクション大賞、ミズノスポーツライター最優秀賞を受賞。主な著書に『ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯』『十六歳のモーツァルト 天才作曲家・加藤旭が遺したもの』『踊る菩薩 ストリッパー・一条さゆりとその時代』『35年目のラブレター』など多数。

長野智子(ながの・ともこ)

上智大学外国語学部英語学科卒業後、アナウンサーとしてフジテレビに入社。1995年に渡米し、ニューヨーク大学・大学院において「メディア環境学」を専攻。2000年4月より「ザ・スクープ」(テレビ朝日系)のキャスターに抜擢され帰国。「朝まで生テレビ!」「スクープ21」「報道ステーション」「報道ステーションSUNDAY」「サンデーステーション」のキャスターなどを経て、現在は国連UNHCR協会理事を務めながら、国内外の現場へ取材の為に足を運ぶ。また、女性国会議員の数を増やすことを目指す、超党派国会議員による「クオーター制実現のための勉強会」の事務局長、 2024年4月1日より、文化放送「長野智子アップデート」(月~金15:30~17:00)のパーソナリティも務める。

集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル
プラスをSNSでも
Twitter, Youtube

マリーナさんを通して、国際政治の裏側、プーチンの特殊性、夫婦の愛…いろいろなものが見えてきました