「不便益」という言葉をご存じだろうか。不便な物や事柄の中に「有益さ」を見出し、それをデザインや設計などに活かす学問分野らしいのだが、耳慣れない言葉である。そんな「不便益」研究の第一人者が、京都大学デザイン学ユニット特任教授の川上浩司(ひろし)氏だ。
「不便」の研究は、いつからどんなきっかけで始まったのか? 今後の野望は何か? そして、今の時代に敢えて「不便」に目を向けることに、どんな意味があるのか。前編に引き続き、インタビューの模様をお伝えしたい。
──先生はもともと、AIの研究をされていたと伺いました。それが、今の不便益研究を始めるきっかけになったのが、師匠にあたる方の「これからは不便益の時代や」という一言だったと。それはどんな文脈での発言だったのですか?
川上 私が学生の時にAIを教えてくれた指導教官が、数年後に新たな研究室を立ち上げるというので、私は助手時代を過ごした岡山大学から、そこのスタッフとして京大に帰ってきたんです。きっとまたAIを一緒に研究するのだと思って。
ところが、研究室に新しく配属された学生たちとの最初の顔合わせで師匠が言ったのが、「これからは不便益や!」でした。機械工学系の学生たちでしたから、いかに便利な機械をつくるかをずっと考えてきたのに、いざ研究室に入ったとたんに「不便について考えよう」なんて言われて。私も学生たちも全員、キョトンとした顔をしていました(笑)。
──それはそうですよね(笑)。
川上 ただ、時間が経つにつれて、その師匠の問題意識も理解できるようになっていきました。彼はそれまで「不便益」という言葉は使っていませんでしたが、色々な学会誌の解説記事なんかを読むと、「人と機械とのかかわり合い方」というのをすごく考えていたみたいで。
それまではとにかく、人間がやっている作業を機械に肩代わりしてもらう「代替」を目指してきた。けれど、全てを機械にやってもらったら、人間の出る幕は無くなってしまう。そうではなくて、人間と機械とが互いに力を出し合い、それぞれの弱点を補い合う「協働」という道もあるだろうと。師匠はそういう風に考えて、更に細かく3種類か4種類くらいの「人と機械の関わり合いのパターン」を模索していたんです。
その中で、「目指すべきは代替だけじゃないんだよ」と言うのが長くて面倒なので、「不便益」という短い3文字にまとめたんじゃないかなと思うんです。
──その師匠の「不便益」という言葉を受け継いで、先生の不便益研究は始まったんですね。
川上 はい。師匠の研究は、あくまでも哲学的な思考という色彩が強かったですね。人と物とのかかわり合い方はこうあるべき、みたいな抽象的思考です。「だから、こういうものをつくりましょう」という、具体的な「物のデザイン」は前面には出ていませんでした。
ただ、そんな哲学を語られていても、工学系の成果や論文にはなりません。なので、私は不便益をデザイン論にまで持って行こうとしています。師匠には「君の不便益は浅いねぇ」なんて言われる日々ですが(笑)。
プロフィール
1964年島根県生まれ。京都大学工学部、京都大学大学院工学研究科修了。博士(工学、京都大学)。岡山大学助手を経て、現在は京都大学デザイン学ユニット特定教授。「不便から生まれる利益」である不便益研究のパイオニア的存在であり、不便益システム研究所所長を務めている。