シアトル・CHOP自治区の終焉と大坂なおみが立ち向かう世界

大袈裟太郎のアメリカ現地レポート⑤ シアトル

大袈裟太郎

 自治区の斜陽

 100基ほどあったテントも、あれから数日で30基ほどになっていた。銃撃事件を受け、市長から「深夜は家に帰ってほしい」との要望があり、多くの人々がここを去りはじめていた。ある日の昼間、CHOPでiPhoneを拾った。ボランティアスタッフに届けようと思ったが、スタッフの数が減っており、見当たらなかった。

 どうにかiPhoneケースにあった学生証から本人をFBで探し、メッセージをしてiPhoneを届けることができたが、オーガナイズが機能していないことに不安を感じた。昼間のピースな雰囲気も徐々に失われていた。道でCDを渡してくる男たちが居て、手に取ると5ドル要求された。観光地でよく見かける押し売りの手口だったが、彼らを排除する力ももうCHOPにはなくなっていたのだろう。

 残ったスタッフたちが会議で激しく口論するのも見た。ここに居続けるべきか? 場所にとらわれず活動をするべきか? そんな内容が聞き取れた。日に日にさびれていくのがわかった。ホームレスへの食糧支援もほとんど行われなくなり、それを求めて集まっていたホームレスたちが露頭に迷い、CHOPの周囲にあふれていた。街頭で唐突に煙草や金をせがまれることが多くなった。昼間から奇声を上げている人物もよく見かけた。治安が目に見えて悪くなっていた。

 あるCHOP周辺に住む白人女性から話を聞いた。「初めは応援していたけれど、今の状態だと応援できない。ゴミなども誰も片付けなくなって放置されている。コロナ対策も心配」。隣人としての切実な悩みだった。運動体と近隣住民の対話の場がないことが露呈した。その様子を配信で知った沖縄・高江在住のミュージシャン、石原岳さんも眠れなくなったと言う。あの頃の高江も、運動と地元住民との話し合いの場がなかったのだ。

「そのズレが大きくなると取り返しがつかなくなる」と石原さんからメッセージが来た。しかしもう、CHOPは手遅れのように見えた。地元消防署長が交渉に訪れたが、ボランティアスタッフたちは対応しきれていなかった。外部からの連日の銃撃と、フリーライダーやインスティゲイターのものと見られる内部的な混沌で、彼らにはもう余裕がなかったのだ。CHOPが自己目的化してしまっていると感じた。誰かのための運動ではなく、運動のための運動になった時、古今東西、すべてのプロテストはその価値を失うのだろう。

 そんな最悪の状況の中、白人至上主義者グループが7月4日の独立記念日にCHOPの襲撃を予告し、そのFBには5000人の参加表明がついた。

 昼夜問わず、いつ銃撃があってもおかしくない雰囲気が漂っていた。僕も殴打事件でネオナチから有名になってしまったので、狙われる可能性があるとアメリカの友人に指摘された。銃撃に備え常に退路や遮蔽物を意識しながら取材を続けた。これまでの3回の銃撃はいずれもドライブバイ、走行する車からの銃撃だったという。

 

 モン族とベトナム戦争

 宿のWiFi環境が悪く、その頃の僕はいつもモン族が経営するラオス料理屋さんで仕事をさせてもらっていた。モン族とはベトナムとラオスの国境付近に暮らしていた山岳民族。金属すら見たことのなかった少数民族である彼らをCIAは教育し、ベトナム戦争で米国側に加担させたのだ。その結果、米国の撤退後、無責任に置き去りにされ大量に虐殺された数奇な民族たちだった。

 虐殺から逃れ、難民となった約25万人は現在も米国で暮らしている。イーストウッドの映画「グラン・トリノ」に登場したのがこのモン族であり、コッポラの「地獄の黙示録」でカーツ大佐の築いた王国のモデルとも言われている。シアトルでは同じアジア人のよしみだろうか、コーヒー1杯で何時間も居座ってパソコンを叩く僕に、彼らはとても優しくしてくれた。人生の中でネオナチから狙われることも想像していなかったが、モン族に救われることもまた想像していなかった。

 さらに数奇なことに、このモン族はジョージ・フロイド殺害事件とも密接な関係にあるのだった。まず、フロイド氏が警官デレク・ショービンに窒息させられる時間を間近で傍観していた警官トウ・タオがモン族の出身だった。彼はこの事件以前の2017年に過剰武力行使で起訴されており、約300万円で和解している(この和解金も警察予算から支払われたとされる)。そしてフロイド殺害事件を起こしたデレク・ショービンの妻もまたモン族出身であった(事件後に離婚)。

 虐殺から逃れたマイノリティたちが、加害側としてまた歴史の表舞台に立つことを不思議に思う読者もいるかもしれない。しかしそれは現場で取材した僕にとっては不思議なものではなかった。圧倒的な白人優位の構造の中、その権力の傘の下で、他のマイノリティを弾圧する側にまわることが彼らにとっての数少ない生きる術だったように感じたのである。これは運命の螺旋というほど曖昧なものではなく、この白人優位のアメリカ社会が構造的に生み出したものであることは明らかだった。

「俺はあいつらベトコンたちに何の恨みもない。ベトナム人は俺を〈差別的な言葉〉で呼ばない」

“I got nothing against no Viet Cong. No Vietnamese ever called me a n✖️✖️er.”

 1966年、プロボクシングヘビー級世界王者だったモハメド・アリはベトナム戦争への徴兵を拒否し、3年7ヶ月にわたって王座を剥奪された。

「権力のある白人男性によって人間を殺す道具として私は使われたくない。」

 50年前、モハメド・アリはすでにこの構造を鋭く見抜いていたのだ。当時の米国の黒人比率は11%だったのに対し、ベトナム従軍兵士の中での黒人の割合は32%だったと言われている。マイノリティとマイノリティを殺し合わせ、搾取し、富を維持してきた白人社会の構造がそこに浮かびあがる。同じ兵士でありながら黒人は差別され続けてきたのだ。より過酷な現場へ送られる対象であったとの証言もある。

 この構造はちょうど2020年6月12日にNetflixで公開されたスパイク・リー監督の「DA 5 BLOODS」の中にも痛烈に描かれている。ベトナムの最前線で闘う黒人5人組が、その戦地でキング牧師の暗殺を知るというシーンだ。「自分たちの闘う相手は本当に目の前のベトコンなのか? 立ち向かうべきは自分たちを都合よく消費している存在なのではないか?」そんな葛藤が描かれている(リーダー役のチャドウィック・ボーズマンは2020年8月28日に死去)。

 私が暮らす沖縄にもベトナム戦争の傷跡は深く残っている。沖縄の米軍基地からベトナムへの爆撃機が飛び立ったことから、加害者意識に苦しむウチナーンチュもいる。辺野古の社交街も当時は一晩でドル札がバケツいっぱいになるほど栄華を極めた。死を覚悟して戦地に駆り出される海兵隊員たちは有り金をすべて使い切って旅立って行くのだ(今、新基地建設を推進する人の中にはその当時の幻影を抱く者もいる)。また沖縄北部、高江ではベトナム戦を想定した訓練が行われ、住民たちがベトナム人役で駆り出された歴史がある。高江に程近い北部訓練場内で枯葉剤を散布する実験が行われたという疑惑もある。いまだに草木の生えない地域が混在するのだ。

 極東最大の空軍基地と称される嘉手納基地のある沖縄市コザでも、当時は白人街と黒人街がはっきり分かれていて、基地を一歩出れば交わることがなかった。その痕跡は今も残る(銀天街のアーケードは今年9月に撤去工事が開始)。1992年のロス暴動はこのコザにまで波及し、白人と黒人の抗争があったそうだ。60年代には沖縄にもブラックパンサー党員(マルコムXの暴力主義を受け継ぎ、革命による黒人解放を目指した組織)がおり、そのような背景から、復帰直前の1970年に起こったコザ暴動(騒動)では黒人兵の乗った車両に対しての攻撃は行われなかったという証言がある。琉球人たちは誰がマイノリティかを理解し、怒りの矛先を定めていたのだ。

 BLM、ベトナム戦争、モン族、沖縄、辺野古、高江、私の中で、点と点が歴史を超えてひとつの線になる気がした。そして、その構造は今も本質的には改善されていないのではないか……。さらに私に向けられたJAPという言葉が、私自身も白人社会に対してマイノリティであることを重く意識させた。個人は、その状況や構造によってマイノリティとマジョリティを往復するのだ。加害と被害の属性を誰しもが背負う。だからこそ、ポジショナリティを常に明確に意識し続け、そこから個人としてどう動くかが重要になるのだ。

終焉間際のCHOP、遠くのビルにBLMの文字が見える

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プロフィール

大袈裟太郎

大袈裟太郎●本名 猪股東吾 リアルタイムドキュメンタリスト/現代記録作家。ラッパー、人力車夫。2016年高江の安倍昭恵騒動を機に沖縄へ移住。やまとんちゅという加害側の視点から高江、辺野古の取材を続け、オスプレイ墜落現場や籠池家ルポで「規制線の中から発信する男」と呼ばれる。 2019年は台湾、香港、韓国、沖縄と極東の最前線を巡り、「フェイクニュース」の時代にあらがう。

 
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