16歳のときに、思い立ってアメリカの高校への留学を決意。そのままスタンフォード大学教育大学院で修士課程を終えると一度日本に戻り、通信教育で教員免許を取得後、千葉県の公立中学校で6年半の間、教師に。その後、フルブライト奨学生としてコロンビア大学大学院の博士課程(教育政策)に再留学。研究の成果としてまとめた本の出版を機に、今度は高知県土佐郡土佐町という山間の限界集落に移住。そんな異色の経歴の教育研究者が、鈴木大裕氏だ。
なぜ、彼はアメリカから日本への帰国を決断したのか。そして、移住先として高知県の過疎地域を選んだのか。彼は土佐町という小さな町にこそ、日本の未来を変える「理想の教育」の可能性が眠っていると言う。それはいったいどういうことなのか。いま注目の教育研究者へのインタビューを前・後編に分けて紹介していきたい。
―─まずは経歴についてお伺いします。アメリカに渡る決意をされたのが16歳の時と、非常に早いですが、その当時の動機はどのようなものだったのでしょうか。
鈴木 今思えば、漠然と日本の教育に不満を感じていたんだと思います。行きたい高校に入り、学校生活も楽しんでいたんですが、そのまま日本にいると、高3になったら勉強して、そこそこの大学に入り、3年半遊んで、どこかのサラリーマンになるんだろうと、自分の将来がはっきり見えちゃった気がしたんですよ。自分がユニークな存在になれない気がしてね。そうしたら急につまらなくなってしまって。
もともとアメリカへの憧れも強く、それで思い切ってアメリカの高校に編入しました。そしてそのまま大学・大学院修士課程と進んだわけです。
―─アメリカで学生生活を送られている間、日本に戻るということは考えていたのでしょうか。
鈴木 僕は、アメリカに行って、生まれて初めて自分が「学んでいる」と感じました。留学先が、生徒一人ひとりの個性や感性、考える力、そしてリーダーシップなどを伸ばそうとする素晴らしい学校で、そこで人生の恩師と呼べる先生に出会ったからです。それ以来ずっと、いつの日か日本の教育改革に貢献したいと考えてきました。
また、編入した高校が日本人がいない学校でしたので、日本人としてのアイデンティティは日本を出たことのない友達よりもよっぽど強く、意識は常に日本に向いていたように思います。
プロフィール
教育研究者。1973年神奈川県生まれ。16歳で米ニューハンプシャー州の全寮制高校に留学。そこでの教育に衝撃を受け、日本の教育改革を志す。97年コールゲート大学教育学部卒(成績優秀者)、99年スタンフォード大学教育大学院修了(教育学修士)。その後日本に帰国し、2002~08年、千葉市の公立中学校で英語教諭として勤務。08年に再び米国に渡り、フルブライト奨学生としてコロンビア大学大学院博士課程に入学。2016年より、高知県土佐郡土佐町に移住。現在、土佐町議会議員を務める。主著は『崩壊するアメリカの公教育:日本への警告』(岩波書店)。