大阪府立西成高校では昨年度、オリジナル教材を用いた「反貧困学習」が“バージョン2”となって再開された。その授業の様子については、1学期と2学期ともにお伝えした。
2学期のテーマは、自分達の足元を見つめる「西成学習」だったが、その中から日本で初めて、いや世界で唯一と言われる部活動が誕生した。それが、「西成高校靴づくり部(Nishinari High School Shoe Club=NSC)」だ。
2023年3月22日、東京・有楽町にある「阪急メンズ東京」において開催された、靴作りを学んだ学生による卒業作品会場に、片足だけの靴が2つ、堂々と展示された。それは西成高校靴づくり部の記念すべき一歩となった、16歳の2人が初めて作った靴だった。
「西成高校靴づくり部」が正式に校内で部活として認められたのは、2022年12月。ここに日本初、高校の部活動に“靴を作るクラブ”が発足した。
西成高校に「靴づくり部」を作ろうと働きかけ、指導者として生徒に寄り添うのが、靴職人の学校「エスペランサ学院」の学院長であり、「西成製靴塾」の塾長でもある靴職人の大山一哲(50)だ。
大山は西成高校生の通学路でもある、鶴見橋商店街に生まれた。西成高校前には南海電鉄の「津守駅」があるが、電車の本数が少ないため、多くの生徒は自転車で、東西に約1キロ続く鶴見橋商店街を通って登下校している。
大山の生家は家内工業で製靴業を営み、1階は仕事場、2階は住居という環境で育った。大山が幼い頃には、家内工業で皮革業を営む住居が辺り一体にひしめきあっていたという。
「うちは親父が創業者で、生まれた時から、靴づくりの現場が当たり前に家にありました。この辺はみんな家内工業で靴を作っているところがほとんど。うちは男ばっかりの兄弟で、私は五番目。長男が父を継いで社長、次男が専務、四男が常務と、跡継ぎは足りていたんです。だから、おまえは好きなことやれと言われていました」
そのつもりで、教師になろうと思っていた。しかし高校時代、靴の手伝いが終わった後、ミナミへ「社会勉強」に通っていた時、女性が履いていた靴に目が釘付けとなった。後先も考えずに声が出た。
「すみません、靴のネームが見たいんで、靴、脱いでもらっていいですか?」
無茶な願いだったが、靴を見せてもらったところ、大山製靴のネームが貼ってあった。
「衝撃でした。ああ、あれもこれも、うちの靴やん。自分がデザインしたり、作ったりした靴が、日常的にいろんな人に履かれていたら、こんな面白いことってない」
靴を作りたいと、強烈に思った。
「親父に何回も頼み込んで靴職人になることを認めてもらい、東京にある靴の専門学校とイタリアの専門学校に行かしてもらい、実家で技術を学び、30歳で独立しました」
順風満帆とは行かなかったが、現在、「ロカシュー」という靴メーカーを経営し、自身のブランドも展開している。
大山が西成高校に「靴づくり部」をと発想したのは2022年4月、鶴見橋商店街の一角に工房を構える「西成製靴塾」の塾長に、大山が抜擢されたことが大きかった。
「西成製靴塾」は1999年、地場産業の製靴業の再興を目指して作られた、手製の靴づくりの技術者を育てる学校だ。
大山は塾長となり、西成高校の生徒たちが毎日、工房の前を通って行く姿を見ているうちに、生徒たちが靴を作る喜びを知ったり、何かのきっかけが生まれたりする、そんな場所が作れないかと思うようになった。
早速、西成高校に電話をして、校長の山田勝治(65)と会う約束を取り付けた。その場には、反貧困学習を主導する教員、肥下彰男(63)も同席した。
「先生、西成高校は前のように、今も荒れてるんですか?」
何気なく発した問いだったが、山田からは思いもしない言葉が返ってきた。
「今はもう、荒れるというより、貧困でまともに食事がとれない子や、家に居場所がない子とか、子どもたち、大変なことになっているんですわ」
ショックだった。まさか、高校生たちの状況がそんなことになっているとは。一刻の猶予もないと思った。生徒の窮状を聞いてしまった以上、やるしかない。地域の大人として、やるべきことがあるだろう。大山の決意は固まった。