ジャズにも大きな影響を受けた世代
僕がNYの音大に入学する少し前、ギタリストの佐橋佳幸さんに東京で偶然遭遇しました。実は佐橋さんのプロとしてのデビュー作は、僕の3枚目のアルバム『未成年』の中に収録されている「もう一度 X’mas」なんです。何かと縁がある彼とはその頃から音楽家同士の付き合いがあります。
「千里くんがジャズをやりにNYへ行くことを聞いて、羨ましいなあと思ったんだよ」
佐橋さんはそう切り出しました。僕は渡米直前でその準備で忙しくて心に余裕もなく、じっと彼の話を立ち話で聞きました。
「僕も一度きちんとそうやってジャズを学びたいっていつも思うんだ。でもそれはなかなかできない。だから千里くんの決断はすごいなって思うよ」
その後握手して、お互いに元気でと言って別れました。同時に手を振った後に熱い想いが立ち上がってきたのを今でも覚えています。
アメリカへ本当に渡るんだということを「現実として実感」した瞬間でもあったんですね、この会話が。もう日本のシーンに戻れない戻らない、この先の人生はまずジャズを学ぶということだけしか思い浮かばなかった。そしてその先が全くの真っ白だったことを、つい昨日のように思い出すのです。
話は変わりますが、アメリカの東海岸に住んでいると、仕事で西海岸に行くことがあります。僕の80年代のツアーバンドの鍵盤奏者だった、アレンジャー・作曲家としても大活躍の松本晃彦さん。彼は伯父さんがジャズサックス奏者の松本英彦氏なのですが、ある日Facebookで会いたいとメッセージをもらったのです。僕がNYに移住してからすぐのこと。彼も実はその頃西海岸に移住していたのです。
たまたまLAに行く機会があったのでイタリアン料理を一緒に食べたのですが、アメリカで音楽活動を精力的にやっていました。映像の仕事にチャレンジしていると目を輝かせていたのが印象的でした。彼の作っている音を聴かせてもらったのですが、いろんな音楽の要素が混じり合ってとても魅力的なものでした。
佐橋さんや松本さん、共に僕より少し若い世代のミュージシャンやアレンジャー。ざっくりと“僕らの世代”という括りで語らせてもらうと、アメリカの音楽に多大な影響を受けて育ち、ロックやポップス同様、ジャズにも大きな刺激を受けてミュージシャンになったのは言うまでもありません。だからジャズというのは、それぞれの心の中にどんな形であれいつも存在する、桃源郷のような大切な場所なのです。
日本で引く手数多で次から次へとビッグネームの音楽家たちと日本中を駆け回る佐橋さん。アメリカのエージェントに所属して活動をアメリカに移して頑張る松本さん。ともに心の中にある自分が大好きな音楽への純粋な憧れを持ちながら、それぞれの場所で切磋琢磨していて、格好いいなと思います。そんな彼らとの会話でジャズが見え隠れするのがとても楽しいのです。
本当にジャズって知れば知るほど奥が深くてポップス同様にキラキラしています。歴史をたどるのも楽しいし、背景を知らなくても音楽だけをSpotifyのプレイリストで聴くのもワクワクするし、理論や聴音、リハーモニゼーションにモードなど、学ぶことがいっぱいで一生かかっても終わらないくらいの冒険があります。
そんなジャズ山を先に登っている人が今から登ろうとする人に「おーい」って声をかける、この連載はそんなノリですね。皆さんも「おーい」って声を掛け返してください。
プロフィール
(おおえ せんり)
1960年生まれ。ミュージシャン。1983年にシンガーソングライターとしてデビュー。「十人十色」「格好悪いふられ方」「Rain」などヒット曲が数々。2008年ジャズピアニストを目指し渡米、2012年にアルバム『Boys Mature Slow』でジャズピアニストとしてデビュー。現在、NYブルックリン在住。2016年からブルックリンでの生活を note 「ブルックリンでジャズを耕す」にて発信している。著書に『9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学』『ブルックリンでソロめし! 美味しい! カンタン! 驚きの大江屋レシピから46皿のラブ&ピース』(ともにKADOKAWA)ほか多数。