平成消しずみクラブ 第8回

銀杏

大竹まこと

 黄色く色づいた銀杏(いちよう)の葉が先を争うように散ってゆく。
 聞くところによると、銀杏の葉は、その木にもよるが、早ければ二時間で全ての葉が落ちるという。
 ラジオの仕事を始めてから十一年、毎日、明治神宮の絵画館に通じる銀杏並木の前を通ってきた。
 初冬、雨の並木はきれいに色を変えて、冬が近いことを私に教えてくれる。
 並木道の街路は、ひとたび北風が吹けばあっという間に黄金色に染まる。
 地面が見えないほどになるのは、散る速さにも起因するのだ。
 今のこの道は、以前とは風景が変わった。
 黄(こう)葉(よう)を見ようと、昨年ぐらいから多くの人が集まるようになった。
 都会の緑が年々減って、都民らの憩いの場は少なくなった。この並木道のすぐ先には、新国立競技場の工事も進んでいる。オリンピックの影響もあるだろう。開発も進み、都心で憩える場所はもう数えるほどしかない。
 いやそれだけではない。
 近頃は、インスタグラムなるものが流行って、この色づいた銀杏並木をスマホで撮り、それをSNSにのせ、皆からの共感を得ることが喜びらしい(具体的には「いいね!」の返信が届く)。
 そして、その数を競う。若者たちの間では普通になっている。
 若者ばかりではない。年寄りたちも、道路にはみ出してまで、スマホをいじっている。
 確かにそこは雨の並木を写す絶好の位置ではあるけれど。
 何かの祭りかと思うほどである。
 以前は、こんなことはなかった。私はラジオに向かう前のひととき、ここに車を寄せ、窓を開け、ほんの数分間ぼんやりするのが日課であった。
 冬の始めには、小さなつむじ風が起こり、落ち葉がクルクルと舞った。通りがかりの私と同世代のジジィも、そのつむじ風に巻き込まれ、ニコニコまわっていた。
 夫婦であろう年老いた二人づれは、国道246を背にゆっくり絵画館のほうに歩いてゆく。老人の手にはコンビニでもらうようなレジ袋。二人の後を、数十羽の鳩がついてまわる。いつもお決まりのグリーンのベンチに座ると、鳩が囲む。老人は袋から細かくちぎったパンくず(らしきもの)を大きくまく。鳩が必死にそれを食べていた。
 若い奥さんが、小さな子どもと手をつないで、もう一方の手で乳母車を押している。
 ハラハラと銀杏が舞う。私はタバコに手を伸ばす。
 都に依頼されたであろう業者の人が植木の手入れをしたり、ベンチにペンキを塗ったりしていた。
 前はベンチの横に金網でできたゴミ箱があったのだが、今はもうない。
 ベンチ前には、灰皿もそなえつけてあったが、何年か前にそれも撤去されてしまった。
 ちょっと車を止めてくつろぐ場所さえない。
 タクシーの運転手なども、ここによく止めていた。

次ページ   私の安らぎの場所
1 2 3
 第7回
第9回  
平成消しずみクラブ

連載では、シティボーイズのお話しはもちろん、現在も交流のある風間杜夫さんとの若き日々のエピソードなども。

プロフィール

大竹まこと

おおたけ・まこと 1949年東京都生まれ。東京大学教育学部附属中学校・高等学校卒業。1979年、友人だった斉木しげる、きたろうとともに『シティボーイズ』結成。不条理コントで東京のお笑いニューウェーブを牽引。現在、ラジオ『大竹まことゴールデンラジオ!』、テレビ『ビートたけしのTVタックル』他に出演。著書に『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』等。

集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル
プラスをSNSでも
Twitter, Youtube

銀杏