内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、ときに五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。
(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM
最初はまったく手さぐりだった。WOWOWがIPC(国際パラリンピック委員会)と組んでパラアスリートたちのドキュメンタリーを制作することになった。チーフプロデューサーの太田慎也は初動をこう回顧する。
「スポーツ中継もやっていましたし、パラリンピックがトップスポーツだということは十分理解できていましたけれど、最初は感覚的にわからなかったんですね。それでまずは現場を踏もうと思って2015年(7月)のグラスゴーの(障がい者競泳)世界選手権に行ってきたんですよ。その時の取材で、それこそ脳みそがグシャングシャンになるくらい価値観が変えられたんです。どこか障がい者スポーツってレベルが低いんじゃないか、面白くないんじゃないか、と思っていたんですが。何も知らない中で行って感じたのはもう純粋に『すごいな』と。新しい世界に出くわした驚き、本当にそれでした。競技としてファンがいて、応援もちゃんとされていて、これは自分が想像していた障がい者スポーツじゃないな、と。物凄い闘いを目の当たりにして、これはトップアスリートが集う場所でしかないことに気づきました。だからパラスポーツとか障がい者スポーツとかあえて分けて言っている場合じゃないと考えたんです」
グラスゴーで繰り広げられた水の闘いは圧巻だった。清く正しい障がい者が艱難辛苦の末に栄光を手にする。ドキュメンタリストとしてそんなステロタイプな描き方をハナからする気は無かったが、そこは想像以上の世界だった。
番組のタイトルはスタッフ間の話し合いで「グレイテスト」もしくは「アメージング」というようなワードが上げられた。どうアプローチして良いか、模索していく上ではとにかく現場を踏むことが重要だった。
内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。