「私は負けるのが大嫌いなんだ」
今や他の追随を許さないパラスイマーには、彼女の負けん気に火をつけた一人のライバルがいた。憧れ、心を奪われた先輩スイマーが、ライバルに変わるとき……。
(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM
WOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。ノンフィクションライターが、番組では描き切れなかった選手のさらなる深層へと斬り込む。
ずっと泣いていた最下位の帰り道
エリーのフランクストンでのプール通いが始まった。負けず嫌いはここで発揮される。当時の思いをこう語る。
「いつも競争をしていたけれど、私の相手は常に脚が2本ある子供たちだった。全国大会に出るまでの道筋があるのに、私は都市レベルの大会さえ通過できなかった。だから私はいつも母に『これは不公平だ、いつも脚2本の相手と競争していて、いつも相手が勝ってしまう』って抗議していた。でも母はいつも、『もっと水泳の練習をがんばりなさい』って言うばかり。だから、とにかく一生懸命努力したの。脚2本の相手に勝つためにね。12歳になった頃、体育教師の1人が、パラリンピックのことを知っているか?と聞いてきたの。私は最初、彼女が何を言っているのか分からなかった」
エリーはその説明に衝撃を受ける。
(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM
「先生は私みたいな人たちの写真を見せてくれた。腕が1本だったり、脚が1本だったり、いろんな障害のある人たちが水泳で競っている写真よ。それを見て驚いたわ。私にとっては全く新しい世界だった。そして12歳で初めて障がい者のレースに出たの。ビクトリア州選手権だった。大会へ行く時はすごく興奮していて、両親の車の中でもずっとしゃべるのをやめられなかった。そしてプールに着いてみると、私の相手はパラリンピックに出たことのあるオーストラリア代表チームのメンバーだった。私は、この人たちに勝ってやる、この人たちがどんな高いレベルで競っていようと関係ない、って思ってた。スタートのピストルが鳴って飛び込んだ。そうしたらすぐにゴーグルが外れてしまったの。だから止まって付け直して必死に最後まで泳いだんだけど、結果は最下位。帰り道はずっと泣いてた。そんなことがあって私は負けるのが大嫌いなんだと気が付いた。それからできる限りの努力を始めたわ」
内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。
内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。