日本に住んでいると、ちょっと想像しにくいと思う。チョンセ契約の期間は通常2年であり、期間終了の1ヶ月前までに、双方が更新の意志を確認しあうことになっている。韓国の不動産は常に右上がりのため、更新時に大家がチョンセ金の値上げを通告することは多々あるが、Aさんの場合はなんと5000万ウォンの追加を要求されたのだ。
日本円に換算すれば500万円近くの大金だ。それを1ヶ月以内に用意しろという。払えなかったらどうなるか? 出ていくしかない。
Aさんは悔しさの中で決意した。
「もうチョンセはやめてマンションを購入しよう。2年毎にこんな屈辱を味わいたくない」
さらに衝撃的な事実も発覚した。なんとAさんが借りている中古マンションの売買価格は、2018年の5億ウォンから倍の10億ウォンに暴騰していたのである。つまり大家は2年の間に5億ウォンも資産を増やした上に、さらにAさんから4500万ウォンを追加徴収しようというのである。
大家の言い分は聞かなくてもわかる。
「それが相場だから。周囲のマンションを見てごらんなさい。どこも上がっているでしょう? 無理なら出ていってください。他にも借り手はたくさんいるのだから」
これは実際の話だが、同じような話は文学作品などにも頻繁に登場する。『優しい暴力の時代』(チョン・イヒョン著/斎藤真理子訳 河出書房新社)に収められた「引き出しの中の家」という作品には、チョンセ契約のせいで2年毎に引っ越しの心配をしなくてはならない、若い夫婦のつらい心情が綴られている。それにしても、「優しい暴力の時代」というタイトルはなんと的確なのだろう。それは前時代の「むき出しの暴力」とは、確かに区別されるものかもしれない。
- 「不動産階級社会」の起源と連続(『こびとが打ち上げた小さなボール』『残酷なアリスさん』)
チョンセの起源とその功罪
ところで、このチョンセという制度はいつ始まったのだろう?
すでに朝鮮時代末期からその賃貸システムはあり、特に朝鮮戦争直後の住宅難の中で広まったというのが通説だ。朝鮮戦争では激しい戦闘で多くの家屋が失われた上に、北から南への避難民も多く、ソウルや釜山などの都市は圧倒的な住宅不足に陥った。
家を建てるには、まとまった資金がいる。そこで人々はお金を融通し合う必要があったのだろう。その意味でチョンセは頼母子講などと同じく、庶民の共済システムという性格もあった。
今もチョンセ金が家を購入する際に、不足分の補填になっているという点は変わらない。ただし家を購入する目的が過去とは異なる。その家は自分が暮らすためではないし、実は他人に貸すためでもない。
「貸すためでもないって、どういうことですか? 現実に貸しているじゃないですか?」
反論が聞こえてくるが、ここが大事なところだ。
通常、「家」とは人が暮らすためのものである。持ち家でも賃貸住宅もそれは同じだ。もちろんオーナーにとって家賃収入は魅力であり、韓国でも「ウォルセ」という月払い住宅の大家さんは、家賃を老後の年金代わりと思っている人も少なくない。冒頭で紹介したドラマ『賢い医師生活』のト先生の大家さんは、家賃を90万ウォンずつもらう予定だった(保証金の2000万ウォンも決して小さいお金ではないが、こちらは文字通りのデポジットであり、家賃が未払いの場合の保険のようなもの。韓国では通常のことだ)。
しかし、チョンセ住宅のオーナーの目的はそこにはない。彼らにとって重要なのは月々の家賃などではなく、その不動産物件の価格上昇だ。たとえば先の新聞記事にあった4年間で5億ウォン上昇したというソウル市内のマンション。1ヶ月に換算したら1000万ウォン(!)の利益であり、ウォルセの家賃収入をはるかに超える。しかも、その5億の半分をチョンセ金として払っている入居者は「出資者」でないため、相分の配当金を払う必要もない。
「家は住むためのものであって、お金を儲けるものではありません。複数の家を持つのはやめましょう」-- 韓国政府はしきりに訴えているが、与野党の政治家自身が多住宅所有者であることが発覚したりで、あまり効果はない。そもそも「家」を住むところではなく、マネーゲームの主役にしてしまったのは歴代政権の、政治家や官僚や公務員たちだったのだ。
「愛の不時着」「梨泰院クラス」「パラサイト」「82年生まれ、キム・ジヨン」など、多くの韓国カルチャーが人気を博している。ドラマ、映画、文学など、様々なカルチャーから見た、韓国のリアルな今を考察する。