ホシノ おそらくなんですが……。
古谷 ん?
ホシノ 円谷御大を始め、制作スタッフは古谷さんのわだかまり、心の内の葛藤を知っていたんじゃないですかね。それでもあえて古谷さんにウルトラマンになれと言ってきた。それこそ古谷さんのおっしゃったとおり、ウルトラマンをあくまでもカッコいいヒーロー作品、アクションを前面に押し出した勧善懲悪の子供向け番組にしたいと考えていたならば、運動神経のよい人がスーツの中に入り、殺陣師が計算づくの指示をすれば、そういう作品に仕上がる。でも、そうしなかった。結果的にアクションの経験がなかった古谷さんが指名された。ということは、制作側は単に怪獣と戦うアクション・ヒーローを作りたかったのではなく、ヒーローの内面さえも子供たちに伝えられるような作品を目指し、表現できる役者、スーツアクターを探していたんじゃないでしょうか。
それには演じることの意味を理解し、場面ごとに心の動きを紡げる役者でなければいけない。これは顔を出して演じる役者よりもある意味、非常に難しい表現力を求められることくらいは素人のボクにでもわかる。でも、円谷御大や制作スタッフは役者・古谷敏なら必ずや成し遂げてくれるだろう、と判断したのだと思います。
古谷 そう言ってもらえるのは嬉しいですけどね。僕のスタイルだけがウルトラマンになる決め手ではなかったということですね(笑)。
ホシノ そういうことです。
やく 私もいま、古谷さんの言葉を伺っていて気付いたことがあるんですが、金城さんの助言がやはり大きなポイントになっていますよね。
ホシノ 「背中のチャックを閉めた瞬間、古谷敏はウルトラマンという宇宙人になる」という言葉?
やく ええ。察しますに、当時の現場は金城さんのその言葉が共通認識として、きちんと浸透していたのではないでしょうか。古谷敏の動きがウルトラマンなのだから、怪獣と戦っている最中、何が起きても監督はカメラを止めなかった。こうしろ、ああしてほしいと要求もしなかった。もちろん、撮影前の細かい打ち合わせなども必要なかった。
ホシノ 決戦シーンの打ち合わせよりも大事なことは、古谷敏にスーツの中に入ってもらい、背中のチャックを閉めることだった、と。
古谷 ハッハハハ。
やく そう考えていくと、なぜウルトラマンのマスクが3タイプあったのかも理解できます。第1話から第13話まで使用されたA-TYPEと呼ばれているラテックス製のマスク。口元がしゃくれているといいますか、あれはウルトラマンもしゃべれるという設定のもとに造られたマスクですよね。
古谷 そうです、そうです。しゃべれるように造れているため、口元にしわができちゃったんです。あとは口からも光線を出すっていう設定もあったので。
ホシノ えっ、本当ですか。
古谷 そうだったんですよ。でも、口からの光線のアイデアはボツになりまして。ウルトラマンが口から何かを出すと、怪獣になっちゃうという意見もありましたし(笑)。まあ、口から何も出さないほうがウルトラマンらしいから、よかったかな、と思います。
やく 結局、しゃべらなくても古谷さんの想いであったり、戦う意思みたいなものは十分にスーツを通して茶の間に届いていた。だったら、逆にB-TYPEやC-TYPEのように完全に口を塞いでしまったほうが、より古谷さんの内面を伝えることができるのではないか、と円谷御大や制作スタッフは考えたのでしょう。
古谷 そういうことだったのかも知れませんねえ。ただ、中に入っていた当人としてはA-TYPEが一番、顔にフィットしましたね。気持ちよく自然に着けることができたんです。B-TYPEもC-TYPEもカッコいいですけど、なにかね、硬い感じがして。ゴツゴツした感じとでもいえばよいのか。C-TYPEはとくに顔がきれいすぎるような気もしますし。そういう意味で、僕の中ではウルトラマンといえば、A-TYPEのマスクになっちゃう。
やく それで話をアントラー、第7話の『バラージの青い石』に戻したいのですけども。
古谷 ええ、はい。
やく この作品でウルトラマンとアントラーの戦い以外に語っておきたいのは、ノアの神の使い、チャータムを演じた弓惠子さん。
古谷 素敵な女優さんですよね。現場ではお会いできなかったけど(笑)。
やく 子供心にドキドキしましたよ、あの美しさには。
古谷 当時、おいくつだったのかな。
やく 30歳のようですね。彼女の妖艶さがまた、バラージという架空の中東の国なのに、本当は存在するんじゃないかと説得力を持たせていましたね。とにかく数多くの映画、ドラマ、舞台に出演されていて、どの作品においても存在感を放っている女優さんです。花登筺原作の『細うで繁盛記』大西館の女将とか。
ホシノ 特撮ヒーローファンからすると、『仮面ライダー』に敵役として出演されていた、ショッカーの大幹部・ゾル大佐を演じた宮口二郎さん(1995年没)の奥様であったことのほうが有名ですけどね。
古谷・やく ワッハハハ。
やく ともあれ、この第7話は科特隊が海外にまで進出したというグローバルな事実と、ウルトラマンの必殺技、スぺシウム光線が早くも7話のアントラー戦で通じなかった衝撃と、弓惠子さんのエキゾチックな美しさが相まって、私にとってはとても印象深い作品なんです。
古谷 僕もそうです。この『バラージの青い石』の監督、野長瀬三摩地さんは東宝で助監督をされていて、黒澤組でチーフ助監督を務めていたくらい優秀な助監督だったんです。だけど、当時の東宝はたくさんの監督がいらして、いわゆる上がつかえている状態とでもいえばいいんですかね、なかなか助監督が監督になれない時代だったんです。それでも監督になりたいと野長瀬さんは努力していたし、僕も彼の苦労を知っていました。そんな下積みの日々を繰り返したのち、ようやく円谷プロ制作の『ウルトラQ』の作品で監督をすることになりましてね。
やく 1966年1月30日に放送された『ペギラが来た!』ですね。
古谷 ええ。そして、ウルトラマンの制作が始まり、撮影スタジオで野長瀬さんと会ったときに、彼から「敏ちゃん、今度ウルトラマンの監督をすることになったんだよ」と言われ、僕も昔の苦労を知っているぶん、お互いに鼓舞するように元気よく「はいっ、僕も頑張りますから」と答えた思い出があります。だから、そういう昔の懐かしい思い出も含め、やくさんが第9位にアントラー戦を選んでくれたのは嬉しかったです。
ホシノ というわけで、次回は第8位の発表でございます。えっと、第8位は……こりゃまた、渋い!
(第8位は10月15日に公開予定)
司会・構成/ホシノ中年こと佐々木徹
撮影/五十嵐和博
©円谷プロ
誕生55周年記念 初代ウルトラマンのMovieNEX 11月25日発売!
https://m-78.jp/movie-nex/man/
プロフィール
古谷敏(ふるや さとし)
1943年、東京生まれ。俳優。1966年に『ウルトラQ』のケムール人に抜擢され、そのスタイルが評判を呼びウルトラマンのスーツアクターに。1967年には「顔の見れる役」として『ウルトラセブン』でウルトラ警備隊のアマギ隊員を好演。その後、株式会社ビンプロモーションを設立し、イベント運営に携わる。著書に『ウルトラマンになった男』(小学館)がある。
やくみつる(やくみつる)
1959年、東京生まれ。漫画家、好角家、日本昆虫協会副会長、珍品コレクターであり漢字博士。テレビのクイズ番組の回答者、ワイドショーのコメンテーターやエッセイストとしても活躍中。4コマ漫画の大家とも呼ばれ、その作品数の膨大さは本人も確認できず。「ユーキャン新語・流行語大賞」選考委員。小学生の頃にテレビで見て以来の筋金入りのウルトラマンファン。