カルチャーから見る、韓国社会の素顔 第8回

光州は世界をつなげる

伊東順子

 

その当時、『光州City』という歌を作ったという人は今どこで何をしているのだろうか?

 

 

発禁となった『光州City』(1980

 

 彼はその時、ひょっとしたら彼女のすぐ近くにいたかもしれない。 

 「ハクリュウ」は俳優でありミュージシャンの白竜である。1952年に佐賀県伊万里市で生まれた在日韓国人2世。1978年に白竜バンドを結成し、翌年「アリランの唄/シンパラム」でデビューした。日本ではミュージシャンとしてよりも、役者としての方が有名かもしれない。『いつか誰かが殺される』(1984年、崔洋一監督)でスクリーンデビュー、『その男、凶暴につき』(1989年、北野武監督)で一気に注目を集めた。2000年代に入ってからは日韓合作映画『KT』(2002年、阪本順治監督)を皮切りに、韓国映画やドラマの世界でも常連になっている。

 パク・ソルメが「じゃあ、何を歌うんだ」を書いた少し前には、イ・ビョンホン主演で大人気となったドラマ『アイリス』(2009年、KBS)にも出演していた。ただ、その頃の韓国で、ドラマの中の「日本人テロリスト」が、過去に『光州City』を歌っていたことを知る人はほとんどいなかったと思う。

 

 小説の主人公は、旅の途中に偶然訪れた京都の四条駅近くのバーで、「白竜と光州Cityと人がいっぱい死んだこと」について語る店のマスターと銀髪の常連客に、「どうしてそれを知っているのか」尋ね、すると一人がこう答える。

 

 私たちは年を取った人間だから。そのとき生きていた人間だから。

 

 その時まだ生まれていなかった主人公にとって、その説明は説得力をもっていただろうか? そして彼らは彼女に向かって言うのだ。

 

 君は光州の人だから君もよく知ってる人だろう

 

 「別の場所でその時生きていた人間」と「後の時代にその場所で生まれた人間」のどちらが、よく知っている人なのだろうか? 

 

 白竜が『光州City』を作ったのは、1980年5月の直後である。「熱く燃えてる南の大地が俺の目を覚ます 五月の空に銃声が鳴り響き街は炎に包まれた」から始まるその歌詞が直接的だったせいだろうか、この歌が収録されたアルバムは当時日本のレコード倫理委員会から発禁処分を受けたが(今もそのことは本人の公式ホームページにしっかりと記されている)、彼自身はその歌を引っさげて、日本全国をまわっていた。「光州で起きていることを、多くの人に知らせなければならない」というミッションを背負っていた。

 私も彼が歌うのを聴いた。1980年代の初頭、通っていた大学の学生会館のホールに、彼の歌声はまさに「鳴り響いていた」。もともと声量のある、とても歌のうまい人だ。そのとき彼は白いはちまきをしていた。光州の民主化運動への連帯の決意だったのかもしれないと思う。

 

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カルチャーから見る、韓国社会の素顔

「愛の不時着」「梨泰院クラス」「パラサイト」「82年生まれ、キム・ジヨン」など、多くの韓国カルチャーが人気を博している。ドラマ、映画、文学など、様々なカルチャーから見た、韓国のリアルな今を考察する。

プロフィール

伊東順子

ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)好評発売中。

 

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