スポーツウォッシング 第9回

日本の選手はなぜ自分の意見を言えないのか?

筑波大学・山口香教授インタビュー前編
西村章

アスリートの姿は日本国民の映し鏡

――参加する場合は、個人資格で参加した選手という立場になるわけですよね。

山口 そうですね。国旗も掲揚しないし、国歌も流さない。あくまでも個人資格で参加する選手枠になります。

――今は40年前よりも様々な情報に接しやすくなっているので、そういうルートで参加できることを知ったり、その方法を示唆して支えてくれる人たちも出てくるだろうから、個人参加を探る選手が出てくるかもしれないですね。

山口 おそらく、そういう人も出てくるでしょう。では、それに対してメディアはどう反応し、どういう評価をその選手たちに与えるのか。あるいは、社会でどういうハレーションが起きるのか。個人資格で参加した選手の所属しているクラブや大学、連盟では、どんな同調圧力や摩擦が発生するのか。ちょっと考えるだけでも、だいたいの想像はつきますよね。
 国・政治からはそういう力が作用する。だから、日本オリンピック委員会(JOC)は、モスクワの後に組織として独立したわけです(1989年)。将来に万が一、同じことが起こったときのことを考えて……。

――では今、JOCはその独立性を保つことができるのか、ということですよね。

山口 モスクワ五輪以降、国もスポーツには一定の距離をおいてきました。しかし、現状では先ほども申し上げたように多額の補助金を出しているわけなので状況は大きく変わっていません。1980年の時もそうですけど、「もし行くのであれば、来年から補助金はないものと思ってください」と、脅しのようなことも辞さないわけです。あからさまには言わないとしても。今だってJOCは独立組織としておよそ90億円の正味財産を持っているけれども、もしもこれから先、国と距離を置いて予算を自分たちで賄うことになったとしたら、果たして何年活動を続けることができるのか。
 つまり、本当の意味での独立性とは何なのか、それを担保するためにはどういう組織であるべきなのか、そういったことはあまり議論されていないんですよ。そんなこと起きるはずがない、と希望的観測を持っていますしね。

――山口さん自身、2011年から2021年までJOCに理事として10年間関わってきたわけですが、その中に身を置いていた経験として、どう感じましたか。JOCは独立性を保てていますか?

山口 政治に物を申さない、ということもそうなんですが、そういう議論をよしとしない雰囲気が、脈々とあるわけです(笑)。
 国からお金をもらうという前提だから、「まあここは清濁を併せ呑んでやって行きましょうよ」と。でも、そういう雰囲気って日本じゅうどこにでもありますよね。
 極端なことをいえば、私も参加している日本学術会議だってそう。学問・研究なんて政治からは一番アンタッチャブルでなければならないのに、あからさまな任命拒否をして、「国に逆らうのなら、自分たちでやってください」と突きつけてくるわけです。スポーツがそうならない、という保証はありますか?
 そして、それを支持する国民もいる。学術会議の時もそうでしたが、ネットの反応などを見ていても「学術会議なんてたいした役に立っていないんだから潰してしまえ」「逆らうなら自分たちのお金でやれ」と思っている人がとてもたくさんいました。国が考える(認める)とおりの研究をしなさい、国の意向に沿った意見を言いなさい、という御用学者ばっかりでは恐ろしいことなのに、理由も言わずに任命拒否する国のやり方を支持している人もかなりの数がいる。もちろん、組織のあり方や運営に関しては点検し、改善すべき点もあるでしょう。しかし、理由も述べずにいきなり手を突っ込んで「この人間は排除する」と言うやり方は違うと思います。
 スポーツの世界だって同じことだと思いますよ。万が一何かが起きて、アスリートが「私は自分の自己責任でも行きます」と単独行動を取ったとして、その時に国民はどちらを支持するのか。ほかの国の人たちと比べると日本国民は私も含めて、まだ国家に対する依存、従属というか、根拠のない肯定感のようなものが根強くあると思うんですよね。

――スポーツとアスリートが政治から距離を保ち、独立した存在でいることができるのかというのは、要するに、その姿は国民の姿勢や考え方の合わせ鏡であり反映であるということなんでしょうね。

山口 スポーツをやっている人たちだって日本で生まれて日本で育ち、日本の国に支えられて今があるわけですから。スポーツを通じて広く世界を見ているからといっても、政治から独立性を保つのはそんなに期待はできないし、期待するのも難しいだろうと思います。

――期待するのもかわいそう、ということですか。

山口 かわいそうですね、「アスリートなんだからちゃんと発言しろよ」とか、そういうところにたどり着くのはまだちょっと時間がかかりそうだし、そもそも日本が変わっていけるかどうかもわからない。

撮影/五十嵐和博

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プロフィール

西村章

西村章(にしむら あきら)

1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

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